東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

麻郷,平生町,上関町,そして柳井市方面の神社を初詣(6/9)

2017年01月08日 | 歴史探訪他ウォーキング

 上関半島を一日で回れなかったため、再度尾国を回って阿月に行きました。最初、去年の6月にウォーキングした赤崎神社に行きました。下見などで4度も行った神社でした。続いて西神明社、東神明社に行きました。誰もおらず静かな神社でした。

   阿月赤崎神社        阿月西神明社      阿月東神明社
  

 阿月を出ると伊保庄に入りました。そして、この周辺では一番大きいと言われる加茂神社に行きました。元々は二家族の宮司さんがいたそうです。その昔、阿月の神明祭時にこの二人の宮司さんが東と西の神明社にそれぞれ就いていたそうです。しかし、今は一家族だけが宮司さんをしているとのこと。

          この周辺地域で一番立派な加茂神社本殿


 明治時代初め、廃仏毀釈により廃寺になるお寺が少なくなかった一方で、神社は威勢が良かったそうです。伊保庄生まれの母親の話では、明治の初めにお寺の檀家をやめて加茂神社の氏子だけになった家が少なくなかったそうです。つまり、結婚式やお葬式などすべて神社で行うようになったそうです。それだけ、この加茂神社は威勢が良かったようです。そのため、戦前は地域の方々が半ば義務的に掃除などを担当していました。ところが戦後、たまたま私の祖母が婦人会の会長をした時に、婦人会として掃除を止めたとか。すると、そのことを宮司さんにとがめられて祖母が泣いていたのを、私の母親が見たそうです。氏子さんが掃除するのは普通としても、戦前は婦人会も掃除に参加していたのですね。

             伊保庄から見た柳井の三ヶ岳と琴石山


 加茂神社を出ると黒島に行きました。私が平生保育園時代にバスで毎年遠足に来ていた場所です。今は開発されてサザンセト伊保庄マリンパーク(黒島海浜公園)になっています。私が記憶している黒島はもうありません。そのマリンバーク入口にひっそりとブロック作りのお堂があります。ここは南陽八十八ヵ所霊場の第九番札所浄念寺跡なのです。明治維新後取り壊され廃寺になりました。このお堂内に、とても長く大きな数珠が遺品として飾られていました。記録によると今から250年前の明和七年(1770年)に念仏講か作られたとあります。、全員が念仏を唱えながらでこの大数珠を回したのでしょう。

   浄念寺跡のお堂     長く大きな数珠       黒島の平和記念塔
  

 このお堂の横に山道があります。その道をどんどん登ると、山の頂上に平和記念塔が建っていました。建立が昭和20年代のため、忠魂碑が平和記念塔になったのではないかと思われますが詳細は分かりません。しかし、管理されていないようで記念塔前の広場は草木が生い茂っていました。続いて近くの黒島神社に行きました。

    初詣のために通った、麻郷,平生町,上関町,柳井市のコース

コメント
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