東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

紡いだ毛糸をほどいて束に

2016年06月23日 | 綿栽培,糸つむぎ,織り,染色



 羊の原毛をスピンドル(紡錘車)で紡いでいます。スピンドルいっぱいに紡いだので、いったんほどいて束にしなければなりません。ほどかないと、スピンドルが次の紡ぎに使えないからです。ところが、私はほどいて束にする経験がありません。そこでE姉妹に郷土館に来ていただいて、手ほどきしてもらいました。姉妹は子供の頃に手伝ったことがあるそうです。

   スピンドルから毛糸端を取り出す      腕を使って毛糸を束ね始める
 

 E姉妹を見ていると、ロープを束にする動作とほぼ同じでした。私はボーイスカウトにいた頃、いろいろなロープワークを子供達に教えたことがあります。その一つによく似ていました。今では、ほとんどのロープワークは忘れてしまいました。使わないと忘れてしまうものです。
 E姉妹は毛糸をほどいて束にする手作業をよく覚えていたものです。関心しました。自転車と同じで、子供の頃に体で覚えた経験は忘れないのでしょう。

    スピンドルいっぱいに巻いた毛糸を、ほどいて束にしているE姉妹


 記憶には大きく2種類あります。一つは読み書きなどの学習で覚える知識を中心とした記憶です。そしてもう一つは、手足などの体を使って覚える動作記憶です。前者は、年を重ねるにつれて、特に認知症などでどんどん忘れます。ところが、後者は忘れることが少ないのです。覚えていると言うよりも、体の反射として記憶されるようです。
 時々、自分は何から忘れていくのだろうかと思います。すでに忘れていることに気が付かない何かがあるのでしょうか。さて、私を含めて60歳以上の方々は、自分の終わりはどうなのだろうと時に不安を覚えることがあると思います。しかし、こればかりは自分の努力ではどうにもなりません。黙って天運に任せるほかはありません。でも、ひきこもって黙っていてはただ時が進むだけです。自分しだいでまだまだ充実した生活ができるような気がしています。例えば、たくさんの友を持つことや夢を持ち実行することも自分しだいです。

  毛糸を束ねるEmさん     毛糸をほどくEtさん     気の合ったE姉妹
  

 私はかつて認知症専門病棟に勤務していたことがあります。その時、自分の子供や夫を忘れてしまったような認知症の方が何人も、器用に包丁を使ったりリンゴの皮をむいていました。知識,理性,知性,その人らしさなどを失っても、体で覚えた手仕事の記憶はいくつになっても忘れないようです。記憶のメカニズムが違うのでしょう。

          毛糸を束ねる作業もそろそろ終了


 E姉妹のおかげで、紡いだ毛糸を束にすることができました。ありがとうございました。この束ねた毛糸、量的にまだ少ないと思われます。そのため、あと1,2ヶ月かけてスピンドルでもう一巻き紡ごうと思います。それが終わったら、タマネギの皮か何か自然の素材で茶色か黄色に染める工程に入ろうと思います。藍を栽培しているので、青色もいいかも知れません。
 すべてが素人づくしの毛糸作りです。編めるところまで持ち込めるか心配です。

         束ね終わった毛糸、もう一束紡いで、次は染色

コメント
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