東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

田布施町 麻里府~西田布施の神社などをお詣り

2015年01月03日 | ふるさと

                   八尋石八幡宮


 お正月2日目、今日は麻里府から西田布施にかけての神社などをお詣りしました。元旦より寒く、粉雪が時々舞う中をあちこち回りました。最初、昨日うっかり忘れていた麻郷戎ヶ下の菅原社を最初にお詣りしました。この神社境内に田布施町の記録がタイムカプセルとして埋蔵されています。いつ掘り出すのでしょうか。100年後かな?同じ菅原社の境内に祠があります。祠内を見ると恵比寿様のような像が安置されています。

 田布施町の記録が埋蔵された菅原社            恵比寿様?の祠
 

 戎ヶ下の次に麻里府漁港に行きました。お正月だけあって漁港関係者は誰もいませんでした。ここに来た理由は、漁船にしめ縄か何かが飾られているかどうかを調べるためです。一隻だけ舳先が飾られていました。松と何かの葉のお飾りです。車にしめ縄を飾るように、船にも松飾りを飾るようです。

             舳先が飾られた漁船(一番手前の漁船)、麻里府漁港


 漁船を見たついでに海岸の砂浜を歩いてみました。私が子供の頃、今ほど砂がありませんでした。小石がごろごろしていて、その石の間にオコゼがいるのです。私は、そのオコゼを踏んで足先がひきつるほど痛かったことがあります。海水浴場があり飛び込み台があったように記憶しています。そして、毎年夏にこの海岸で臨海学校がありました。今は各小学校にプールがあるので、臨海学校はないのではないかと思います。

   麻里府の海岸と砂浜       尾津西の住吉神社        上組の妙見神社
  

 麻里府の砂浜を楽しむと、麻里府小学校校門正面の住吉神社に行きました。ちゃんと国旗が掲げられていました。続いて、上組(中郷かも?)の妙見神社に行きました。昔、この広場で佐賀の神舞を踊ってもらったことがあるそうです。佐賀田名の神舞でしょうか。田名の神舞は、田名地区が海軍(回天の基地)に接収されたこともあり戦後絶えてしまいました。麻里府上組の方々は、この妙見神社で盆踊りをしているそうです。

     姥ヶ盥の祠          八雲八幡              戸倉神社
  

 妙見神社を過ぎて、麻里府から竹尾に入りました。そして、川筋にある姥ヶ盥の祠に行きました。千坊山に住んでいた山姥が石城山に引っ越す途中にここで休憩したとの伝説があります。川が二段の滝になっており、椅子のように見えるからかも知れません。また女性の部分にたとえられている民話もあるようです。続いて八雲八幡に寄り、石段がとても急な戸倉神社に行きました。この石段を登っていると息がハアハア、とても疲れました。

                国木小学校跡地から登った多賀神社


 戸倉神社にお詣りした後、道すがら田布施町郷土館長Nさんの家に寄って新年の挨拶をしました。訪問すると、親戚の方々が来訪中でとても賑やかでした。珈琲をいただくなど15分位お邪魔をしました。ご家族ご親族が歓談中の所、すみませんでした。
 Nさん宅を出て旧国木小学校跡地に向かっていると、中学高校時代の同級生O君に出会いました。O君は、私の事が全く分からなかったようです。しばらく話をしていると、私の事を思い出したようでした。

    多賀神社後背の祠     多賀山の不思議な祠?    V字型にえぐられた山道
  

 旧国木小学校跡地に着くと多賀神社を目指しました。V字型にえぐられた山道が所々にある道を登りました。休まず歩くと足が疲れます。ハアハア言いながら登っていると、多賀神社に到着です。少し休んだ後、後背にある祠を見学しました。左石扉に「多賀大明神」、右石扉に「田布施一郷」と刻まれていました。ついでに、多賀山頂の三角点を見てきました。さらに多賀神社から30m位離れた場所にある不思議な石の祠のような物も見学しました。

                  何家族か初詣中の八尋石八幡宮


 多賀神社に登る時、遍照院がどこにあるのか探すように歩きました。しかし、見当たらなかったため旧国木小学校近くに住んでいる方にお聞きしました。すると、普通の民家のような家が遍照院でした。お遍路像があるのでそれとなく分かりました。続いて、八尋石八幡宮に行きました。

八尋石八幡宮本殿でお祓いを受ける家族        御神輿が置かれた別殿
 

 八尋石八幡宮には宮司さんがおられ、初詣された方々がお祓いを受けていました。私は、お賽銭を入れて神社の周りをあちこち散策しました。神社後ろにも石鳥居があり、その向こうに三方に分かれる道が続いていました。その一つを歩いて行くと、長椅子がある山の斜面に出ました。石城山方面が見渡せました。

    西條稲荷神社       詩情公園の椙山稲荷神社       岸邸隣の祠
  

 八尋石八幡宮を出ると、西條稲荷神社に行きました。西田布施でも麻郷竹重に近いのであちこち道を迷いながら行きました。城電気の後ろの山にある稲荷神社です。この頃になると、少し日が陰ってきました。時々粉雪が舞っていました。次に詩情公園の上にある椙山稲荷神社に行きました。中央公民館近くから登りました。この公園から田布施の街並みが見下ろせます。一昨年から去年にかけてウォーキングした赤子山琴石山三ヶ岳などがよく見えました。

               詩情公園山頂から田布施の街並みや山を遠望


 続いて、詩情公園を西側に降りて岸邸前に下りました。途中、祠に寄りました。岸家代々のお墓の西隣りにある祠です。そのまま中央公民館に戻ると、今度は田布施街に入りました。最初、八坂神社(通称祇園様)に行きました。ちなみに石鳥居には祇園宮と刻まれています。八坂神社にお参りすると、隣りにある祠と、石鳥居がある御嶽教田布施稲荷教会に行きました。

   八坂神社(通称祇園様)   八坂神社傍にある祠      御嶽教田布施稲荷教会 
  

 田布施街内のかつての市を示す祠に行きました。最初に波野市の名前が地区名として残る祠です。このあたりでかつて、波野市と呼ばれる市があったのです。次に、天神近くの恵比寿様の祠にも寄りました。この祠近くで田布施市があったことの証です。かつて、天神祭が行われる日に市が開かれていたようです。田布施庁舎がここにあった頃、天神祭と市で相当な賑わいだったことでしょう。雑貨や農機具などいろいろな物が出されていたそうです。出店する人、買う人などが大勢集まっていたそうです。

          波野市の祠                   田布施市恵比寿様の祠
 

 次に、田布施街の東のはずれにある菅原天神社に行きました。私が子供の頃、牛車が出るなどとても賑わっていたことを覚えています。祖母に連れられて平生人島から歩いてこのお祭りを見に来ました。祖母と二人だけのお楽しみでした。祖母と歩いた道を今でも覚えています。その昔、天神様の境内には松の大木が這うように生えていました。しかし、松食い虫にやられてみんな枯れてしまいました。残念です。でもソテツだけは昔のまま残っているのが救いです。菅原天神の裏にひっそりとある祠も今回丹念に見ました。

                牛車が出るなど、とても賑やかだった菅原天神社


 菅原天神を出ると、大波野に向かいました。そして、線路を横切って八幡八幡宮に行きました。遅い時間のため誰もいませんでした。本殿に置かれたお守り類は売り切れでした。破魔矢が10本位売れ残っていました。
 この神社で面白い発見をしました。車が出入りする近くの建物は何だろうと近づくと、なんと南平和十五番霊場札所でした。びっくりしました。十一番ヶ所霊場が麻郷の戎ヶ下です。十二~十四番霊場はどこなのでしょう。新たな謎が出てきました。 

   菅原天神社裏の祠      大波野の八幡八幡宮     南平和十五番霊場札所
  

 八幡八幡宮を出る頃にはだいぶ日が傾いて暗くなってきていました。次に、八和田の稲荷社に行きました。稲荷社に向かう小道を探し当てて、暗くなった山道を進みました。周りは竹藪だらけです。竹がきしむ音が不気味に響きます。粉雪が舞う中、稲荷社に着きました。石鳥居に宝暦十年(1760年)と刻まれていました。江戸時代中期にはこのお稲荷様があったことが分かります。

       八和田の稲荷社              灸川沿いの田んぼにある流れ恵比寿
 

 暗くさびしい稲荷社を出ると、最後のお詣りをしました。灸川に沿う田んぼの真ん中にある流れ恵比寿です。ここがかつて海だった頃に宮島から流れ着いた恵比寿様の伝説がある祠です。この頃になると、夕日がだいぶ傾いて日が暮れそうでした。急いで我家に戻りました。あまりに寒かったのか頭が少し痛くなりました。痛みが取れないようならば、明日は一日家で過ごそうと思います。

              今回お詣りした麻里府~西田布施方面

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