東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

田布施町 大波野,小行司,城南の神社などをお詣り

2015年01月04日 | ふるさと

              小行司の多賀神社


 お正月もこれで三日目です。今回は、田布施町の残った地域である大波野,小行司,城南を中心に神社などをお詣りしました。実は小行司は大波野内の一地区なのですが、知らない方が多いようです。

   坪曽近くの祠           惣津の金毘羅社         惣津の妙見社
  

 小行司が大波野の理由は江戸時代に遡ります。当時の町村合併では、各村の石高がなるべく均一になることが求められました。当時隣接していた塩田村や余田村と合併させると、これらの村の石高が増え均一性が崩れます。そこで、当時石高が少なかった大波野村と合併しました。今の大波野は、小行司,上段,惣津,坪曽などから成っています。

               柳井方面が良く見える、妙見社傍の鉄塔からの景色


 さて、今回は坪曽近くの祠を最初に訪れました。何と言う祠なのでしょう。大波野まだ調べていない史跡などがたくさんあります。今後の課題です。次に、惣津の金毘羅社に行きました。曲がりくねる山道を登ると、石の鳥居が迎えてくれました。かつて、ここで大波野神舞を披露したこともあったそうです。あまりに山の上なので、今ここで舞うのはまれなのではないでしょうか。続いて、金毘羅社のさらに上にある妙見社に行きました。ここまで来ると景色が開けており、傍にある鉄塔からの景色は素晴らしいものがあります。

    上段の名もなき祠        上段集会所(日光寺)         平和第xxx番の木札
  

 ところで、妙見社から下山するときに山道を間違えてしまいました。どんどん下っていると、ため池がありました。さらに道を降りると目の前は上段でした。気を取り直して迂回し、惣津に戻りました。続いて、上段に行きました。途中、名も知れない祠がありました。そして、どんどん進んで上段の集会所(日光寺)に行きました。この集会所にはかつて尼さんが住んでいたことがあるそうです。

      上段の女体社        上段の天神社           上段の祠
  

 この集会所の下を見ると木札が一枚落ちていました。その木札を見ると、平和第xxx番と書かれているではありませんか。xxxがどうしても読めません。そこで、たまたま持って来ていた平和八十八ヶ所霊場表をみました。すると、「四十五番仁光寺大羽野」と書かれていました。その前が大和町佐田で次が余田ですので、これに違いありません。日光寺と仁光寺、よく似ています?

     上段の御旅所      ためいけ傍の鳥居と祠       急斜面上にある祠
  

 次に、上段集会所から女体社に行きました。不思議で妖しい名前です。上段の方に聞きましたが、その由来を知っている方は誰もいません。さらに、女体社の上の方にある天神社に行きました。女体社と天神社の間は全て石段にです。採石場があった岩永地区の石が使われたそうです。上段集会所近くに慶長xxと刻まれた祠がありますので、安土桃山時代にはすでに人が住んでいたようです。

             小行司多賀神社から見下ろした田布施や平生湾方面


 上段の次に小行司に行くことにしました。その道の途中に御旅所がありました。やや傾いているので、今は使われていないようです。塩田と上段の境に近くにあるため池の祠を訪れました。文政年間に建てられたと思われる、立派な石鳥居が建っています。その祠と向かい合うようにある祠にも行きました。その祠、見上げるような急斜面上にあるため登っていると足が引きつります。その祠、傍に壊れた瓦などが散乱していました。

   天寿の松を祀る鳥居     小行司の多賀神社      お祓いを受ける参拝者
  

 ため池を過ぎると、峠の道を右に曲がって小行司に行きました。途中、生野の集落を過ぎました。最初、多賀神社に行きました。ここからは、余田,田布施の街並み,平生湾,そして馬島など周防灘の島々がよく見下ろせます。さきほどまでいた坪曽や惣津も見えました。上段は山陰に隠れて見えませんでした。

   郷江の荒神社1?         郷江の荒神社2?       市明の荒神社
  

 多賀神社にお詣りする前に、天寿の松と夫婦松を祀った鳥居を見ました。そして、その傍にある山桜の大木を見ました。この付近は標高300mほどで、雪が溶けずに残っていました。久しぶりに雪を手に乗せてみました。多賀神社に着くと、意外にも参拝する人が多くいました。お賽銭をあげるのに順番待ちでした。宮司さんもいて参拝客にお祓いをしていました。

                  石城山の城南側麓に鎮座する石ノ口八幡宮


 多賀神社の次は小行司の神社を訪れました。最初、旧小行司小学校跡地の近くにある郷江の荒神社に行きました。ただ、祠が二つあり、どちらが荒神社から分かりませんでした。今度来たときに地元の方にお聞きしよう思います。そして、次に旧小行司小学校跡地からにこにこパーク側に500m位進んだ場所にある市明の荒神社に行きました。この荒神社は石鳥居も建物もなかなか立派です。数年前に、周りの樹木をすべて伐採したようです。見晴らしがとても良い山の上にあります。

大権現の巨大石鳥居残骸  石ノ口八幡宮隣りの荒神社  防陽と平和を兼ねる八幡寺
  

 小行司の神社などのお詣りが済むと、大波野に戻って城南に行くことにしました。城南で最初に行ったのは石ノ口八幡宮です。石垣などがなかなか立派な神社です。石ノ口八幡宮本殿傍に荒神社があります。そして、本殿から境内を下った場所に八幡寺があります。その寺を見学すると、柱に木札が打ち付けてありました。読みにくいのですが、「平和第xx五番」と書かれていました。平和八十八ヶ所霊場表に書かれている「七十五番大師堂石の口」に違いありません。ちなみに防陽霊場の三十二番霊場札所でもあります。防陽霊場と平和霊場を兼ねているようです。

        幕末にハゼの実ろうを生産したであろうハゼの巨木と、それを守った祠


 ところで、石ノ口神社に行く前に宿井を通ったのですが、天行居近くの鉄塔がある場所に巨大な石鳥居の残骸があります。残骸の一部には「大権現」と書かれています。残骸と言っても粉々になっているのではなく組み立てることができそうです。何かの工事中に倒れたとのこと。かつて、この石鳥居の下をくぐって石城山に登っていたそうです。

    後西山の妙見神社      後西山の稲荷神社    木の井山古墳近くの妙見宮
  

 石ノ口八幡宮を出る頃にはだいぶ日が傾いてきました。急いで城南川西地区に行きました。途中、ハゼの巨木前を通過しました。せっかくなので、この巨木下にある祠もお詣りしました。この祠が、ハゼの巨木を伐採から守ったとの話が残っています。幕末を知る貴重なハゼの巨木とそれを守った祠です。

   蓮池寺境内の祠          田布施川沿いの祠      竹重の天王社
  

 城南小学校前を過ぎ線路をまたぐと、川西後西山の妙見神社に行きました。この神社は西山林道の途中にあり、後西山から舗装道路がこの神社まで続いています。途中、後西山の稲荷神社もお詣りしました。次に、木の井山古墳近くにある妙見社に行きました。山の中にあるにしてはなかなか立派な石鳥居です。この石鳥居には妙見宮と刻まれています。

              今回お詣りした大波野の惣津,上段地区


 続いて、蓮池寺に行きました。お寺なのですが、どういう訳か石の祠があります。神仏一体のお寺なのでしょうか。続いて、瀬戸の田布施川沿いにある祠をお詣りしました。そして最後に、元日お詣りするのを忘れた麻郷竹重の天王社に行きました。この頃になると、五時を過ぎていたため薄暗くなっていました。やれやれ!疲れた正月三が日でした。

                 今回お詣りした、小行司,城南地区

コメント (2)
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