東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

富永有隣関連の史跡などを訪問

2015年01月17日 | ふるさと

 今年、NHK大河ドラマ「花燃ゆ」に合わせて、我田布施町郷土館も吉田松陰に関わる富永有隣や楫取素彦関連の展示会を予定しています。また、町内にある史跡も案内する予定です。今回郷土館長のNさんと二人で、それに関わる史跡を確認し、富永有隣などの資料を保管しておられるT氏を訪問しました。

           富永有隣の巨大な石碑と剪定予定の巨大庭木(カイズカイブキ)


 富永有隣は幕末の長州志士の一人です。萩の野山獄に投獄されている時、吉田松陰と知り合いました。獄を出た後、松下村塾で一時教育に当たったこともありました。明治になってから奇兵隊反乱事件に関わり土佐藩に逃れていました。その後捕まりましたが、恩赦後に妹が嫁いでいる田布施町で余生を過ごしました。その時に定基塾と呼ばれる私塾を開いていました。その頃の彼を訪問したのが国木田独歩です。

      富永有隣碑近くにある観音堂              観音堂の内部
 

 富永有隣碑前の庭木(カイズカイブキ)が巨大に育っているため石碑が隠れて見えません。庭木を剪定する確認を地元の方としました。この有隣碑傍に観音堂があることに気が付きました。いつかこの観音堂を調査しようと思います。有隣碑の後ろにあったものを移築したとのことでした。
 次に、富永有隣関連の資料を持っておられるT氏を訪問しました。T氏の家は美郷の丘キャンプ場の中にあります。史料をT氏の家から郷土館に運びました。ざっとその資料を見ると、明治から昭和にかけての城南地域の資料もたくさんありました。近いうちに、その中から展示すべき資料を選ぼうと思います。

        美郷の丘キャンプ場の入口、冬のためか時計が止まったように静寂

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