東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

田布施町 麻郷の神社などを初詣

2015年01月02日 | ふるさと

                                       高松八幡宮


 お正月、去年は田布施町麻郷の高松八幡宮,伊保庄の賀茂神社,余田の名合八幡宮,防府天満宮へお詣りしました。今年は、田布施町の神社などを中心にお詣りしてみることにしました。今年は寝正月と決めたので、午前中はほとんど寝ていました。10時頃に起床して、最初に高松八幡宮に行きました。この神社は麻郷一の神社なので、たくさんの参拝者で溢れていました。

                 たくさんの参拝者で溢れた高松八幡宮


 高松八幡宮が盛んなのは、宮司さんとその娘さんのお二人が神職を持っており、麻郷を中心とした神社をはじめ小さな祠も含めて祷られているからではないかと私なりに思っています。そして、毎年の秋祭りなどで地元の方に愛されているからではないかと思います。
 今回の初詣、私は車のお守りと神宮暦を購入しました。神宮暦には神社に関わるお祭り,日の出など太陽や月の動き,農業の豆知識,庚申暦などが書かれています。ところで、今年は庚申暦で平成二十七年乙未です。庚申暦で乙未は60年に一度訪れます。つまり、今年61歳の方が生まれた年は乙未なのです。この庚申暦は江戸時代以前の碑文によく書かれているため、古い年代を特定するには欠かせない暦です。

      本殿でお祓いを受けてい方々        私が購入したお守りと神宮暦
 

 午前中に高松八幡宮にお詣りし、午後から麻郷にある例えば荒神様,祇園様,天神様,天王社,金毘羅社,稲荷神社などを、私が知っている範囲でなるべく多くお詣りしました。初めに、私が住んでいる高塔から八海方面に向かいました。そして、隣町平生の人島を通りました。一番目は祇園牛頭天王社で,次に八海天神社,そして荒砂神社に行きました。

  高塔の祇園牛頭天王社     八海の八海天神社       人島の荒砂神社
  

 次に田布施川の灸川河口に行きました。ここにかつて神社がありました。近くの方に聞くと、何年か前に田布施の天神様にお返ししたそうです。今はわずかに手水石とソテツが残っています。続いて川添橋を渡って浮島神社に行きました。ちゃんと国旗が掲揚されていました。ひねきり明神と呼ばれていた時代の浮島神社を知りたいものです。
 次に新川地区にある神社を訪れました。何と呼ばれている神社なのでしょうか。いずれ調べてみたいものです。石鳥居には文政十年(1827年)と刻まれています。このため、幕末にはこの神社があったことが分かります。

   灸川河口の神社跡     浮島神社(ひねきり明神)        新川の神社
  

 次に三宅に行きました。祇園山の石段を登って祇園様に行きました。広場は相変わらず草が刈られておらず、屋根は一部朽ちてぶら下がった状態でした。山を下りると、荒神様に行きました。扉にしめ縄が飾ってありました。地元の方が飾ったのでしょう。次に、尾迫の稲荷神社に行きました。しめ縄が張られて綺麗されていましたが、お詣りする方は少ないようでした。 

   崩れかけた祇園様       三宅の荒神様           尾迫の稲荷神社
  

 次に、麻郷小学校西隣の山の上にある小さな神社に行きました。近くに住む友達に聞くと、「神臥(じんが)さー」と呼んでいるようです。三宅の祇園様を管理している班を特別に「神臥(じんが)班」と呼んでいます。かつて神に仕えるような何かがあったのでしょうか。どんな由来があるのでしょうか。

              麻郷小学校西側の山の上にある神臥(じんが)さー


 次に蓮輪にあるお志南稲荷大明神に行きました。大正時代この稲荷神社前には広場があったそうです。この地区の方々は神舞をしていたそうで、その広場などで舞っていたそうです。戦後舞う人もいなくなり、広場に今の舗装道路ができるなどして、かつての賑わいが無くなりました。
 次に、千手山千光寺に行きました。今回は千光寺が目的ではなく、その裏山の頂上にある金毘羅社です。かつては立派な建物があったそうです。今はブロック作りのお堂があり、かつて天井を飾っていた絵板が残されています。早々にその絵板を調査したいと思います。続いて浜城に行きました。

 蓮輪のお志南稲荷大明神     蓮輪の金毘羅社         浜城の妙躰神社
  

 浜城に着くと最初、妙躰神社に行きました。この神社は、去年城山に登った時にお詣りしました。この神社の参道を降りている時、浜城に住んでおられるIさん家族に出会いました。Iさんに城山尾根の石垣について尋ねました。すると「城山尾根の石垣上に建物があったと聞いたことがある。」とのこと。Iさんは昭和20年生まれとのことでしたので、少なくとも昭和20年台には建物が無かったことが分かります。瓦が使われていたことを考えると、大正~昭和初期までには廃されたのでしょう。浜城の古老に聞くとより正確な情報が得られるかも知れません。

 浜城の千代稲荷大明神       蓮輪の塩谷天王社         鳥越の麻郷神社
  

 Iさんに、、妙躰神社近くにある千代稲荷大明神についても聞きました。すると「昔、浜城によく火事がおきたのでこの神社を建立した。その後、火事が出なくなった。」とのことでした。その千代稲荷大明神のお詣りを済ませると、蓮輪に戻って塩谷天王社に行きました。
 次に、鳥越の高台にある麻郷神社に行きました。私が子供の頃、この神社前広場にあった灯篭が倒れて下敷きになり死にかけたことがありました。口から血を出していたので、飛んできた父親はもうダメかと思ったそうです。神様が命を救ってくれたのでしょうか、骨盤骨折や全身の軽い出血で済みました。その後、しばらく歩けませんでした。車イスなど無く、這って移動していました。この神社から平生湾が見えます。昔は田んぼが広がり向こうに海が見えました。今は、工場の向こうにわずかに海が見えます。

   かつて田んぼが広がりその向こうに海が見えた。高台の麻郷神社前広場より


 麻郷神社にお詣りすると次に、浮島神社分神とひとまる様が奉られている二つの祠に行きました。かつては浜明神とも呼ばれて建物が建っていたそうです。ひとまる様は柿元人麻呂を祀っている学問の神様です。祠内部に柿本大明神と刻まれています。人麻呂がひとまると訛ったようです。それが本当であれば浮島神社より古いのかも知れません。いつしか浮島神社の分神も兼ねるようになったようです。夏の浮島神社のお祭り時、ここで御神輿がお休みします。

   鳥越の浮島神社分神兼ひとまる様               旭の荒神様
 

 最後に旭地区にある荒神様に行きました。この神社が不思議なのは、旭にありながら管理する方々は鳥越の方々なのです。戦前に今の高塔が軍に接収された時の移転に関係があるようです。この荒神様のお祭りには、鳥越に加え旭の方々も参加するようです。そのため、旭の方々にも管理を手伝ってもらえないかとの思いが鳥越の方々にあるようです。管理しているのは5軒位に減っており、皆お年寄りばかりだそうです。この荒神様に限らず、維持管理に関わる悩みをお年寄りから多く聞きます。明日は、麻里府や西田布施方面をお詣りしようと思います。

                   今回お詣りした麻郷の神社関連

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