新・ボヤッキーでトンズラーな日記

そこいら辺にいる普通のオッサンです。日々気にくわない事や腹が立ったことをつぶやいています。

貴様に来世は無い!(と思う)

2007-07-27 03:23:32 | 光市母子殺害
よく言われるネタですが、世の中には二種類の人間がいます。
あまりにもバカバカしい話を聞かされて怒りが倍増する人と、かえって冷静になるタイプ
どうやら、今回の件に関しては私は後者のようです。
人間、あまりにも頭に来すぎるとかえって冷静になるもんなんですね

山口県光市母子殺害事件の集中審議が終わりましたが、弁護側は最終日にとんでもない“爆弾発言”をやってくれました。

以下、弁護側が用意した精神科医として登場した関西学院大教授・野田正彰氏「福田被告が話した」と主張する内容を書き連ねてみます。

福田被告は弥生さんと夕夏ちゃんは死んだと理解しているが、「弥生さんはまだ生きている」と言う事を話す事もある
「弥生さんと夕夏ちゃんと僕は仲良く暮らせると思う。洋さんと四人で仲良い家庭を作れるんじゃないかと思う」
「僕は死刑になって仕方ない」
「(本村さんよりも)先に弥生さんと夕夏ちゃんに来世で会う」
「再会した時に、先に弥生さんの夫になる可能性がある。洋さんに申し訳ない」
「弥生さんは、洋さんが今のように怒っているのを喜んでいないと思う」


さて、いつもの私ならこの辺で「貴様らには地獄すら生ぬるい!」と怒りまくる所なんですが、今回は聞いているウチに、ある疑問が浮かんできたので怒りよりも疑問に対する考察の方が優ってしまって結構冷静に聞いていました。

で、その疑問と言うのは「これらの発言は本当に福田被告が言ったのだろうか?」

今回の「自分が夫になる」だの「家族になりたい」と言う発言を見てみると、福田被告は殺した二人に対してかなりの愛情を抱いていると“一見”思えます。
弁護側はその辺をもって「精神的に未熟な証拠だ」と主張していますが、それはとりあえず置いておいて、この発言内容を聞いているうちに、以前にも被告が二人への愛情を語っていた事があったのをフッと思い出しました。

それは、福田被告の弁護士が安田氏に変わった直後に本村さんに送られてきた謝罪の手紙

リンクよりも直接読んでいただいた方が良いと思うので、再度その手紙の内容をアップしてみます。
ちなみに改行などがメチャクチャで読みづらくなっていますが、原文がそうなっているからですのであしからず。


 これは やよい さん と ゆうか さんへ

拝啓
   はじめての 御便りが このようなかたちと
なってしまったことを まず 御詫びいたします。

   あの日、4月14日の日、僕の身勝手な
行動が 洋さんの最愛の弥生さんと生後間
もない夕夏さん(当時11ヵ月でした)を傷つけ
殺してしまったこと、また、辱めてしまったこと等
深く お詫びします。誠に すみませんでした。
また、弥生さんと 夕夏さん が 生前に愛され、
今でも 天国より 愛されている 洋さんや 御家族
友人、それを支えてくれている人たちの 傷を、
なやみ を、僕も 手助けしようとすることを どうか
御許しください。 救ってゆきたいのです。
できるかぎり、また、できることなら この身が
朽ち果てるまで。

   僕は長男として産まれ、次男がすぐに産まれ
たことから母親のぬくもりをあまり 知らずに育ちました。
なにかにつけて ものごごろがついたより「 お兄ちゃん
なんだから 」と子供の頃 甘えさせてもらっており
ませんでした。そして その母を自殺で失いました。
言いわけなんかはしたくはありませんが、弥生さんが幼い
夕夏さんを抱っこしている所を一つの家の中で見て
しまった時、僕は 弥生さんに抱きついています。
結果として甘えてしまったことが 弥生さんを傷つけ殺す
ことへとつながり、僕は人を殺してしまった あまりにもの
ショックと絶望の中で 屍姦し、夕夏さんにおいては
片親になってしまったことへのわけのわからない反発から
殺してしまっています。自殺した母の思いが屍姦
となり、再婚してできた 新しい弟への憎悪がこういった
かたちとなり表にあらわれました。とはいえ なんら
弥生さんと夕夏さんに過失なるものがあるわけでもなく
 僕個人の身勝手きわまりない凶行と認識しております
 勝手ですよね。 弥生さんと夕夏さん二人もの命を
殺しておいて、僕は生きています。いえ、一人で生きて
ゆくことすらままなりません、生かされています。
自殺すら 許されておりません。すぐに止められます。

   皮肉ですよね。僕は 生かされている
て感じ、このように 身の自由をさまたげられ
苦しめられてみて始めて 小さな幸せを 今まで
見落としていたことに 気がつきました。
   今こうして目をとじると過去の友だちたちが
よみがえり
   「福田 何してんだてめえ」
と言いつつも
   「 いつまでもしょぼくれてんじゃねぇぞ
こらー」
と、励まされているのか、けなされているのかは ともかく
涙がでる。 ぐあー

   たとえ当時の状態、あわい思いがあったとは
いえ、僕のやってしまった行為は、許されないもの
であることを 僕 は 知っている。知りつつある。
   あの時、僕のかかえるさみしさを弥生さんに
うちあけていたら、 もしかすると相談にのっていて
くれたかもしれない… そう思うと 僕は 何で
君のような やさしい女性を、僕のことを 信じてくれて
いた 女性 を 手にかけてしまったのか、いたたまらない思いです。
本当にすみませんでした。 君を愛した人を僕も愛します



読んでいただくと判るとおり、最後の方では弥生さんを“君(きみ)”と呼んでいます
まるで自分の彼女であったかのような
更に最後の部分「君の愛した人を僕も愛します」とは、「弥生さんが愛した本村さんを自分も愛する」と取れます。
これは今回の発言にあった「洋さんと四人で仲良い家庭を作れる」と言う部分と合致します。

この“弥生さんを愛していた”と言う部分は、私の余り性能の宜しくない記憶によると今までの弁護側の主張では出た事はなく、この手紙と今回の野田氏の発言のみです

これらの事からもの凄く単純に考えてみると、今回の野田氏による「被告の発言」はこの手紙の内容を参考にしたんじゃないか?
と言うか、この手紙の“原本”は野田氏が作成したもので、今回も自分が作ったストーリーを元に“証言”をしたのではないか?と個人的には疑っています。

但し、手紙の内容とは矛盾した所も多々ありますが、それらはこの差し戻しによる集中審議での弁護団による“新証言”と整合性を取ろうとした為に起こった事だろう、とも推測してます。


後先考えずに嘘ばっかりつくから、あらゆる部分で矛盾が出てきてしまって、話のつじつまが合わなくなってしまうんですよねえ

ちなみに、この野田氏、私は未見なのですが、昨夜のニュースZEROで「事件当時の供述調書を読むのが面倒だったから読まなかった」と報じられたそうです。

どうせ自分達が作ったストーリーを語るだけですから、過去の供述は一切必要ありませんわなあ

この野田氏、この方のブログによると かつては

「精神鑑定とは、厳密に言えば、犯行時に精神病であったか否かを診断し、裁判官や検察官に心神喪失者か心神耗弱者か否かの判断の資料を提供するものである。決して「『動機や動機形成の過程』を解明したり、『心理状態などを調べる』ものではない」
「『なぜこんな凶悪な事件が起こったのか』、低俗な物語作りに加わってはならない。精神鑑定はあくまでも、専門の精神科医によって、被告が犯行時に精神病であったか否かを判断するものでなければならない。それ以上でも、それ以下でもあってもならない」


と、かなり真っ当な事を言っておられた方だったようですが、今回の件を見る限り、どう見ても「低俗な物語作り」に荷担しているのは明白。

見事な位、過去の自分の発言を否定してしまってますな
生きているうちに意見が変わる事自体は人として当たり前なので、その点に関してはどうこう言う気はありませんが、その“変化”が、最終的には自分自身の信用を失わせているってのに、ご本人はおそらく気づいてないんでしょうな。
それとも、何か外部要因でもあったのかな?
ま、他人の心の中なんか、誰にも判りゃしませんがね
例え精神科の権威だろうと…。

さて、今回の集中審議での弁護団の発言内容には他にも書きたい事があるのですが、ちょっと頭の中を整理してから又の機会にアップする事にします。

いえね、色々と考えてはいるのですが、元々が大した事のない頭なので考えがうまくまとめられない上、更にそれらをいざ文章にしようとしても、他人に読んでもらえるような文章にならないんですよねぇ。

やっぱり俺って文才無いなあ…(--;)。

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