錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

錦之助よ、永遠なれ!(その9)

2013-10-04 00:27:37 | 2013年錦之助映画祭り
 結局、「中村錦之助伝」(上巻)は、私の出版社エコール・セザムから発行することにした。近代映画社の小杉社長にも相談してみたが、やはり諸般の事情があり、難しいとのこと。9月には週刊新潮のグラビアを担当しているベテラン記者の方に新潮社で出せないかと編集部に聞いてもらったのだが、ダメだった。映画俳優の本は亡くなってすぐ出版すれば売れるだろうが、錦ちゃんの場合、十七回忌ではもう過去の人になってしまったというのが一般的な見方なのだろう。残念だが、仕方がない。
 いや、ほかの出版社から出そうと思ったこと自体、間違っていたのかもしれない。十三回忌に「一心錦之助」を出版した時の、心意気と言おうか、錦之助ファンとしての情熱に、再び帰ったほうが正しいように、近頃の私は思い始めている。あの時は、私も燃えていたし、錦之助を復活させようという意気込みが今よりずっとあったと思う。一人で突っ走っていた。また、ファンの方も応援してくれ、付いて来てくれた。5年前とは、かなり状況が変ってしまったが、錦之助に打ち込んできた私の仕事の集大成である。「中村錦之助伝」の下巻は、来年から手がけるとして、今は上巻の出版に向けて全力を尽くそうと思っている。

 6日の日曜にラピュタ阿佐ヶ谷で、有馬稲子さんのトークショーがあり、朝の9時半に行って、いろいろやって来た。ホールは超満員で、9時40分には札止めで、お客さんを断っていた。
 『わが愛』を観たあと、トークの聞き手をやって、そのあと、サイン会の補助。二階の山猫軒で有馬さんの知人を交えて、お茶とケーキをいただいて、お見送りして……。館主の才谷さんにソバをご馳走になって、帰宅。
 帰ると、悲しい出来事が……。私が可愛がっていた猫(小夏という)がぐったりとして動けなくなっている。土曜の夜から元気がなかったので心配していたのだが、日曜の夕方、小夏は私に抱かれて死んでしまった。5歳だった。悲しくて何もやる気にならず。日曜の夜は、線香をたいて通夜。5年間ずっと私のそばに居て、私の孤独な仕事を見守り、慰めになってくれた同伴者だった。
 7日の月曜の朝、庭に墓を掘り、小夏を埋葬する。墓標を立て、菊の造花を飾る。
 今も悲しくて、胸が痛む。仕事の手を休めると、寂しさが襲ってくる。

 7日、8日は本の編集。二代目錦之助さんに最終原稿を送る。
 今日(8日)、新文芸坐の花俟さんから連絡があり、「錦之助よ、永遠なれ!」のチラシが上がってきたとのこと。もう館内では配布し始めたという。
 忙しくて池袋へは行けないので、500部、自宅へ送ってもらうよう頼む。
 錦之助映画ファンの会の会員と関係者へのチラシの発送は、今週土曜までに済ませたいと思っている。
 「中村錦之助伝」の本のカバーデザインを知り合いのデザイナーに依頼。錦之助映画祭りのホームページに転載するチラシのスチール写真と「錦之助伝」に使う写真の件で、東映の版権課に連絡し、打ち合わせを済ます。
 付録の舞台出演リストでまだ調べることが残っているので、早稲田大学の演劇博物館へ二日ほど行かなくてはならない。