これまで錦之助の恋人役を演じた女優は、美空ひばりと瑳峨三智子以外、年上ばかりであった。とくに『笛吹童子』以降、タライ回しのように錦之助の相手役を務めた東映専属女優の三人、千原しのぶ、高千穂ひづる、田代百合子は1歳ないし2歳上だった。この頃の錦之助は実際の年齢よりずっと若々しく見えた。だから余計彼女たちが姉のように老けて見えてしまうのだった。
中原ひとみは、錦之助より4歳年下、錦之助の恋人役としてふさわしかった。東映は二人を「新鮮コンビ」と呼び、『源義経』の売りとして大々的に宣伝した。後年、錦之助は、『一心太助』で同じ東京っ子の中原ひとみを恋人・女房役にして、彼らしい地の出た熱演ぶりを見せたが、『源義経』当時はまだ二人とも初々しかった。牛若丸もうつぼも16歳の設定だったが、22歳の錦之助も18歳の中原もまったく違和感なく、思春期の純愛ドラマを睦まじく演じた。今、『源義経』を見ても、二人の場面は新鮮である。錦之助はプライベートでも妹のような中原ひとみを愛称のバンビと呼んで可愛がり、中原が京都滞在中はあれこれと面倒を見た。
『源義経』の脚本には、牛若丸がうつぼを女として意識し、うつぼも女の本能を感じる重要な描写があった。平家の荒くれ者(平教経=片岡栄二郎)に打たれて怪我をしたうつぼを牛若丸が介抱するシーンの中である。
牛若は、うつぼを寝かして、小袖の肩をはだけて、紙にのべた練りぐすりを貼る。
牛若は、うつぼの襟を合わしてやりながら、初めて女の肌にさわったことに気付き、顔を赤らめ手を引く。
と、気を失っていたと思ったうつぼの手が、牛若の手を求めて、そっと握りしめる。はっとして見下す牛若。
うつぼ(目を閉じたまま)「嬉しうございます」
牛若「うつぼ!」
思わず、うつぼの手を握ってやる。
うつぼ「牛若様(閉じた瞼から涙の玉がにじみ出る)お会いしとうございました」
牛若(頷く)
うつぼ(牛若の手を握りしめて、泣く)
錦之助も中原ひとみも脚本のこの部分を読んで、ワクワクし、監督がどう演出するのか不安に思う反面、期待していたにちがいない。それを実際の撮影では、萩原遼は適当に誤魔化してしまった。この監督はどうでもいいところを凝るわりに、肝心の場面をじっくり演出して撮らない。ストーリーの表面ばかり追って、芯になるドラマの盛り上げ方も上手くなく、強調すべき場面(映画用語では「押すところ」)の表現もありきたりである。
映画を見ると、牛若丸がうつぼの胸に手を入れて膏薬を貼るショットはない。脚本通り、うつぼの乳房にさわって、はっとする錦之助の演技が見たかったものだ。うつぼは、牛若への愛で膨らむ胸を牛若に初めてさわられて、歓喜のあまり涙を流す。目をつぶったままでいるのは、恥じらいもあるが、その初体験とも言える歓喜を身体全体で感じるためであろう。映画は、脚本の意図を無視し、目を開いたうつぼと牛若丸がただ手を握り合うだけで、子供だましの稚拙な演出に終わっていた。錦之助がはっとするのは、家人(藤太=高松錦之助)が現れ、握っていた手を素早く離すところで、意味のないお粗末な変え方であった。
これは、前に書いたことの補足であるが、うつぼ役には三笠博子も候補として上がっていた。彼女も東映第一期ニューフェスで、昭和8年東京生まれ。東映東京では中原ひとみに続いて人気が出てきた新人女優であった。中原とは仲良しで、うつぼ役が中原に決まった時には三笠博子も祝福したという。そして、翌年2月に『続源義経』が製作されると、うつぼの役は中原に代わって三笠博子が演じることになる。中原ひとみがなぜ出演しなかったのかは不確かであるが、日活移籍問題がその理由だったのかもしれない。
『源義経』は、撮影期間が約1ヶ月、東映作品としては長い方だった。製作費も2,000万円以上かけたようだ(東映の本篇は1,800万円の低予算だった)。クランクアップ(6月20日ごろ)後、1ヶ月置き、夏休みが始まった一週間後の7月30日に公開された。併映の娯楽版中篇は『夕焼童子』第一篇(小沢茂弘監督、伏見扇太郎主演)であった。
中原ひとみは、錦之助より4歳年下、錦之助の恋人役としてふさわしかった。東映は二人を「新鮮コンビ」と呼び、『源義経』の売りとして大々的に宣伝した。後年、錦之助は、『一心太助』で同じ東京っ子の中原ひとみを恋人・女房役にして、彼らしい地の出た熱演ぶりを見せたが、『源義経』当時はまだ二人とも初々しかった。牛若丸もうつぼも16歳の設定だったが、22歳の錦之助も18歳の中原もまったく違和感なく、思春期の純愛ドラマを睦まじく演じた。今、『源義経』を見ても、二人の場面は新鮮である。錦之助はプライベートでも妹のような中原ひとみを愛称のバンビと呼んで可愛がり、中原が京都滞在中はあれこれと面倒を見た。
『源義経』の脚本には、牛若丸がうつぼを女として意識し、うつぼも女の本能を感じる重要な描写があった。平家の荒くれ者(平教経=片岡栄二郎)に打たれて怪我をしたうつぼを牛若丸が介抱するシーンの中である。
牛若は、うつぼを寝かして、小袖の肩をはだけて、紙にのべた練りぐすりを貼る。
牛若は、うつぼの襟を合わしてやりながら、初めて女の肌にさわったことに気付き、顔を赤らめ手を引く。
と、気を失っていたと思ったうつぼの手が、牛若の手を求めて、そっと握りしめる。はっとして見下す牛若。
うつぼ(目を閉じたまま)「嬉しうございます」
牛若「うつぼ!」
思わず、うつぼの手を握ってやる。
うつぼ「牛若様(閉じた瞼から涙の玉がにじみ出る)お会いしとうございました」
牛若(頷く)
うつぼ(牛若の手を握りしめて、泣く)
錦之助も中原ひとみも脚本のこの部分を読んで、ワクワクし、監督がどう演出するのか不安に思う反面、期待していたにちがいない。それを実際の撮影では、萩原遼は適当に誤魔化してしまった。この監督はどうでもいいところを凝るわりに、肝心の場面をじっくり演出して撮らない。ストーリーの表面ばかり追って、芯になるドラマの盛り上げ方も上手くなく、強調すべき場面(映画用語では「押すところ」)の表現もありきたりである。
映画を見ると、牛若丸がうつぼの胸に手を入れて膏薬を貼るショットはない。脚本通り、うつぼの乳房にさわって、はっとする錦之助の演技が見たかったものだ。うつぼは、牛若への愛で膨らむ胸を牛若に初めてさわられて、歓喜のあまり涙を流す。目をつぶったままでいるのは、恥じらいもあるが、その初体験とも言える歓喜を身体全体で感じるためであろう。映画は、脚本の意図を無視し、目を開いたうつぼと牛若丸がただ手を握り合うだけで、子供だましの稚拙な演出に終わっていた。錦之助がはっとするのは、家人(藤太=高松錦之助)が現れ、握っていた手を素早く離すところで、意味のないお粗末な変え方であった。
これは、前に書いたことの補足であるが、うつぼ役には三笠博子も候補として上がっていた。彼女も東映第一期ニューフェスで、昭和8年東京生まれ。東映東京では中原ひとみに続いて人気が出てきた新人女優であった。中原とは仲良しで、うつぼ役が中原に決まった時には三笠博子も祝福したという。そして、翌年2月に『続源義経』が製作されると、うつぼの役は中原に代わって三笠博子が演じることになる。中原ひとみがなぜ出演しなかったのかは不確かであるが、日活移籍問題がその理由だったのかもしれない。
『源義経』は、撮影期間が約1ヶ月、東映作品としては長い方だった。製作費も2,000万円以上かけたようだ(東映の本篇は1,800万円の低予算だった)。クランクアップ(6月20日ごろ)後、1ヶ月置き、夏休みが始まった一週間後の7月30日に公開された。併映の娯楽版中篇は『夕焼童子』第一篇(小沢茂弘監督、伏見扇太郎主演)であった。
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