錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

『竜馬がゆく』(その一)

2006-06-20 21:47:30 | 幕末・竜馬がゆく

 錦之助が東映を辞めて、新たに挑んだ大役は坂本龍馬だった。龍馬という人物に渾身の情熱を注いだ。自らの生き様を龍馬になぞらえ、龍馬を演じることをライフワークの一つにした。錦之助は、35歳から40代終わりまでの間に、舞台、映画、テレビで龍馬を演じ続けている。錦之助がなぜこれほどまでに坂本龍馬という人物に打ち込んだのか、その理由も分からなくはない。この頃の錦之助の境遇と生き方が、今にして思えば、坂本龍馬のそれとダブって見えるような気がしないでもないからだ。
 司馬遼太郎の『竜馬がゆく』の新聞連載が始まったのは昭和37年(1962年)夏で、それから四年にわたり連載は続くが、その間単行本が次々と出版され大ベストセラーになっていた。「竜馬ブーム」は日本中を席巻した。司馬遼太郎も一躍人気作家になった。ちょうど日本が昭和39年秋の東京オリンピックをはさんで、高度成長期のピークにある頃だった。それとは反比例的に、東映時代劇は衰退の一途をたどり、製作本数が激減するとともに、製作の主体がチャンバラ時代劇からヤクザ映画やエロ映画に移行していった。昭和40年(1965年)、錦之助は『巌流島の決闘』で「宮本武蔵」を完結させ、東映との年間契約出演作4本を半年で撮り終えると、昭和41年(1966年)5月、ついに東映を去ることになる。錦之助が東映を辞める決意をした最後の決め手は、大川博社長の「時代劇はもう作らない」という言葉だった。
 ちょうどこの頃錦之助は『竜馬がゆく』を読んで、竜馬(司馬遼太郎はフィクションの意図を込めて、あえてこの字をつかう)という幕末のヒーローに自分の姿をなぞらえ、是が非でもこの魅力的な人物を演じてみたいと感じたようだ。坂本竜馬は、封建的な体制の束縛を逃れ、土佐藩を脱藩する。錦之助が東映を辞めたのも、脱藩のようなものだった。東映城という企業の存続に四苦八苦する幹部やこの城に居残らざるを得ない同僚たちと袂を分かち、新たな活躍の場を求め、独立への道を選んだ。竜馬は下級武士や町人たちを集め、亀山社中という会社を作り、それが海援隊に発展するのだが、錦之助も日本映画復興協会を作り、さらには中村プロダクションを設立する。竜馬が同志の隊員とともに船出をしたのと同様、錦之助も息のかかったスタッフを集め、自主的な映画製作に乗り出す。しかし、その船出は幾度も嵐に見舞われ、困難を極めた。東映を辞めて二年あまり錦之助は映画を製作するどころか、他社の映画にも出演できなかった。それで、錦之助はテレビと舞台に活躍の場を移していた。東映を辞めて、『祇園祭』の企画製作に着手したが、この映画の完成までには二年もかかった。クランクインまでにいろいろな問題が持ち上がり、錦之助はその対応に追われたようである。その一つが監督の交替劇だった。鈴木尚之のシナリオを監督に予定されていた伊藤大輔が大幅に変更しようとしたことで、軋轢が生じ、伊藤は監督を降板、代わって山内鉄也がメガフォンをとった。ようやく『祇園祭』が完成し、洋画系列のロードショーの映画館で公開されたのは、昭和43年(1968年)11月のことだった。錦之助の姿が二年半ぶりにスクリーンに登場するとあって、錦之助ファンは映画館へ駆けつけた。もちろん、私もその一人で、高校1年だったが、渋谷パンテオン(渋谷東急だったかもしれない)で、封切りを観たのを覚えている。
 ところで、NHKの大河ドラマ『竜馬がゆく』が制作・放映されたのが、昭和43年(1968年)1月からで、竜馬を演じたのは北王路欣也、おりょうは浅丘ルリ子であった。このドラマは水木洋子の脚本で、途中から演出が和田勉に代ったりして、視聴率がなかなか上がらなかったようだが、私は欠かさず見ていた。浅丘ルリ子のおりょうに憧れていたのだった。あの頃は、明治百年ということもあって、幕末物が異常な人気を呼んでいた。なかでも『竜馬がゆく』はその代表だった。
 その間、錦之助は『竜馬がゆく』を舞台化しようと脚本を伊藤大輔に依頼していた。昭和43年(1968年)6月、歌舞伎座の錦之助の定期興行で、伊藤大輔の脚本・演出で、『竜馬がゆく』は上演された。その後、映画化の企画が、錦之助によって進められた。中村プロが東宝と提携し、映画『竜馬がゆく』の製作が始められたのは、翌年の昭和44年(1969年)だった。司馬遼太郎の『竜馬がゆく』を下敷きに、同じく伊藤大輔が脚色、自ら監督して作ることになった。共演者は当時の映画界のスターたちを集めた。吉永小百合、仲代達也、小林桂樹、三船敏郎ほか。映画の内容は原作とずいぶん隔たっていたし、伊藤監督の好みと特色がはっきり現れた作品になっていたからだろう。タイトルは、『竜馬がゆく』ではなく、『幕末』に変えられた。
 『幕末』は、昭和45年(1970年)2月、東宝系映画館で一斉に公開され、中村プロが企画製作した記念すべき映画になった






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