5月2日(木)の夕方、日本映画批評家大賞(第22回)の受賞式へ行ってきた。批評家の代表を映画評論家の渡部保子さんがやっていて、保子さんとは七年ほど親しくお付き合いさせていただいているので、招待状をいただいた。が、実は、今回ゴールデングローリー賞をもらうことになった石濱朗さんの臨時の付き人をするためだった。石濱さんと池袋駅で待ち合わせ、東京駅そばのシャングリラホテルの式場へ行く。ゴールデングローリー賞は、映画界に長年貢献した俳優に与えられる賞だが、今回は四人。石濱さんのほかに、久保明、夏八木勲、林与一。夏八木勲は風邪を引かれたらしく、奥さんが代理で出席した。ダイアモンド賞は小林旭。
渡部保子さんいわく、「あきら」という名の男優三人を表彰したとのこと。が、表彰された顔ぶれを見ると、ひばりちゃんが好きになった人が三人いる。石濱さんには「伊豆の踊子」で共演してひばりちゃんが惚れ、小林旭とは結婚して離婚、林与一もひばりちゃんが好きになった役者である。
私は、現在の映画や若い俳優について、よく知らないので、どんな作品や誰が賞をもらったかには関心が薄く、名前もすぐ忘れてしまう。前回の受賞式では、やたらと報道陣が多く、フラッシュを浴びている新人女優が二人いて、それぞれのそばへ寄ってみると、普通の女の子である。取材記者に誰なのかと訊いたところ、「ごうりき」なんとかという変な名前と、「前田」という平凡な名前だった。あとでパンフレットで確かめると、それが剛力彩芽と、AKBとかいうグループの前田敦子だった。
今回の若い受賞者で目に付いたのは、武井咲(新人女優賞)、安藤サクラ(主演女優賞)くらいで、安藤サクラという女優は変人みたいで、彼女が奥田瑛二の娘だということを初めて知った。大沢たかお(助演男優賞)という男優は有名らしいが、なかなかの好青年だった。別に本人と話したわけではないが、スピーチやその様子を見て感じた。
助演女優賞の松原智恵子は、私が中学生の頃にファンだった女優だが、声なんかまったく昔のままで、相変わらず若々しかった。
受賞式前の控え室と終った後のカクテルパーティでは、石濱さんをほったらかし、私は林与一さんに興味があったので、林さんのそばへ行って自己紹介し、少し話をさせていただいた。林さんはさっぱりした大変感じのいい方で、お顔は二枚目だが、人柄はユーモラスで二枚目半であった。ひばりちゃんが好きになるのも当然のような気がした。
「この間、錦之助さんと島倉千代子が共演した『雨の花笠』を見たら、お母さまの北見礼子さんが出てましたよ」と私が言うと、
「ああ、あれね。あの時、ぼくが病気になって、おふくろが薬代をかせぐために映画に出たんですよ」
「NHKの『赤穂浪士』の堀田隼人、良かったですね」
「あの頃はまだ、長谷川一夫さんの付き人でね。でも、自分のやったあの役、ぼくは見たことないんだよ。録画も残ってないでしょ」
「ひばりさんとの『お島千太郎』は沢島忠監督ですけど、監督、お元気ですよ」
「そうらしいってね。いやあ、沢島監督は、映画の時はそうでもなかったんだけど、芝居をやった時は、厳しくてね。ずいぶん絞られましたよ」
林与一さんの所属事務所のマネージャーが、これまた、愛想が良く社交的な中年女性(徳留さん)で、私が今までに会った芸能人のマネージャーの中では、最も感じが良いと思ったほどの人であった。
石濱さんとは、夜、デパートの大丸の上にある鰻屋(日本橋の「伊勢定」という鰻屋の支店で、大変うまいウナギを出す店)で、日本酒を飲み、うな重を食べながら、ささやかながら祝宴をした。
5月3日(金)は、午後1時から曙橋でチャンバリストの会。夕方から四谷で飲み会。夜の10時半まで、飲んでしゃべって、一日が終る。
5月4日と5日は「錦之助伝」の第二章の推敲と書き直し。「武智歌舞伎」の箇所を書き加える。
5月6日(土)は、明大前で円尾敏郎さんの上映会に出席。「錦之助伝」の第二章、第三章のゲラを円尾さんと高橋かおるさん渡し、校正を依頼。ゲストの尾形伸之介さんとはあまり話せず。
5月8日(水)夜、知人に録画してもらった美空ひばりの松竹映画『お嬢さん社長』(川島雄三監督)を見る。『ひよどり草紙』の前の作品で、昭和28年12月29日公開。現代劇で、なかなか面白かった。病気の祖父の後を継いでチョコレート会社の社長になったひばりは、演出家の佐田啓二に思いを寄せるのだが、彼は社長秘書の月丘夢路と相思相愛になって、結局ひばりの淡い恋は実らず。
5月9日(木)。今日は、永福町の区民センターの図書室で読書。歌舞伎の本を三冊ほど拾い読みする。山川静夫が勘三郎について書いた本の中に、錦之助の次兄の四代目時蔵(芝雀)が亡くなった日のことが書いてあったので、読む。昭和37年1月の歌舞伎座公演で千秋楽の前日の夜、睡眠薬を飲んで寝たらしいが、朝に亡くなっていた。「め組の喧嘩」で辰五郎役は勘三郎、女房のお仲が四代目時蔵だったが、千秋楽はお仲を源之助が代演したとのこと。山川静夫はちょうどその日歌舞伎座へ行って、勘三郎の様子を見ていて、その悲嘆ぶりを書いている。四代目時蔵の死はいまだに謎に包まれている。
渡部保子さんいわく、「あきら」という名の男優三人を表彰したとのこと。が、表彰された顔ぶれを見ると、ひばりちゃんが好きになった人が三人いる。石濱さんには「伊豆の踊子」で共演してひばりちゃんが惚れ、小林旭とは結婚して離婚、林与一もひばりちゃんが好きになった役者である。
私は、現在の映画や若い俳優について、よく知らないので、どんな作品や誰が賞をもらったかには関心が薄く、名前もすぐ忘れてしまう。前回の受賞式では、やたらと報道陣が多く、フラッシュを浴びている新人女優が二人いて、それぞれのそばへ寄ってみると、普通の女の子である。取材記者に誰なのかと訊いたところ、「ごうりき」なんとかという変な名前と、「前田」という平凡な名前だった。あとでパンフレットで確かめると、それが剛力彩芽と、AKBとかいうグループの前田敦子だった。
今回の若い受賞者で目に付いたのは、武井咲(新人女優賞)、安藤サクラ(主演女優賞)くらいで、安藤サクラという女優は変人みたいで、彼女が奥田瑛二の娘だということを初めて知った。大沢たかお(助演男優賞)という男優は有名らしいが、なかなかの好青年だった。別に本人と話したわけではないが、スピーチやその様子を見て感じた。
助演女優賞の松原智恵子は、私が中学生の頃にファンだった女優だが、声なんかまったく昔のままで、相変わらず若々しかった。
受賞式前の控え室と終った後のカクテルパーティでは、石濱さんをほったらかし、私は林与一さんに興味があったので、林さんのそばへ行って自己紹介し、少し話をさせていただいた。林さんはさっぱりした大変感じのいい方で、お顔は二枚目だが、人柄はユーモラスで二枚目半であった。ひばりちゃんが好きになるのも当然のような気がした。
「この間、錦之助さんと島倉千代子が共演した『雨の花笠』を見たら、お母さまの北見礼子さんが出てましたよ」と私が言うと、
「ああ、あれね。あの時、ぼくが病気になって、おふくろが薬代をかせぐために映画に出たんですよ」
「NHKの『赤穂浪士』の堀田隼人、良かったですね」
「あの頃はまだ、長谷川一夫さんの付き人でね。でも、自分のやったあの役、ぼくは見たことないんだよ。録画も残ってないでしょ」
「ひばりさんとの『お島千太郎』は沢島忠監督ですけど、監督、お元気ですよ」
「そうらしいってね。いやあ、沢島監督は、映画の時はそうでもなかったんだけど、芝居をやった時は、厳しくてね。ずいぶん絞られましたよ」
林与一さんの所属事務所のマネージャーが、これまた、愛想が良く社交的な中年女性(徳留さん)で、私が今までに会った芸能人のマネージャーの中では、最も感じが良いと思ったほどの人であった。
石濱さんとは、夜、デパートの大丸の上にある鰻屋(日本橋の「伊勢定」という鰻屋の支店で、大変うまいウナギを出す店)で、日本酒を飲み、うな重を食べながら、ささやかながら祝宴をした。
5月3日(金)は、午後1時から曙橋でチャンバリストの会。夕方から四谷で飲み会。夜の10時半まで、飲んでしゃべって、一日が終る。
5月4日と5日は「錦之助伝」の第二章の推敲と書き直し。「武智歌舞伎」の箇所を書き加える。
5月6日(土)は、明大前で円尾敏郎さんの上映会に出席。「錦之助伝」の第二章、第三章のゲラを円尾さんと高橋かおるさん渡し、校正を依頼。ゲストの尾形伸之介さんとはあまり話せず。
5月8日(水)夜、知人に録画してもらった美空ひばりの松竹映画『お嬢さん社長』(川島雄三監督)を見る。『ひよどり草紙』の前の作品で、昭和28年12月29日公開。現代劇で、なかなか面白かった。病気の祖父の後を継いでチョコレート会社の社長になったひばりは、演出家の佐田啓二に思いを寄せるのだが、彼は社長秘書の月丘夢路と相思相愛になって、結局ひばりの淡い恋は実らず。
5月9日(木)。今日は、永福町の区民センターの図書室で読書。歌舞伎の本を三冊ほど拾い読みする。山川静夫が勘三郎について書いた本の中に、錦之助の次兄の四代目時蔵(芝雀)が亡くなった日のことが書いてあったので、読む。昭和37年1月の歌舞伎座公演で千秋楽の前日の夜、睡眠薬を飲んで寝たらしいが、朝に亡くなっていた。「め組の喧嘩」で辰五郎役は勘三郎、女房のお仲が四代目時蔵だったが、千秋楽はお仲を源之助が代演したとのこと。山川静夫はちょうどその日歌舞伎座へ行って、勘三郎の様子を見ていて、その悲嘆ぶりを書いている。四代目時蔵の死はいまだに謎に包まれている。