錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

有馬稲子さんの「私の履歴書」、現在連載中

2010-04-18 16:16:11 | 錦之助ファン、雑記
 今月1日から日経新聞朝刊の文化欄に有馬稲子さんが「私の履歴書」を連載している。3月20日の新文芸坐でのトークショーの時に、有馬さんからこの予告は聞いていたので、今月一ヶ月だけ日経新聞を取ることにした。この2週間、毎日愛読しているが、これがとても面白い。有馬さん独特の率直な語り口で、こんなことをバラしてもいいのかと思うことも平気で書いている。有馬さんの自伝はすでに「バラと痛恨の日々」(中公文庫)が出ているが、この本の中に書いていないネタも今回書いているので、興味深く読んでいる。毎回の終わり方がとてもうまく、次回もまた読みたい気持ちにさせてくれる。
 4月14日、16日、17日の記事に錦ちゃんのことが書いてあった。読んでいない方もいるだろうから、さわりだけ引用しておく。
 14日のタイトルは「錦之助さん」、サブタイトルは「共演10日目で結婚話」。
 ――そんなとき中村錦之助さんに逢った。私が「近代映画」という雑誌に対談のページを持っていて、その相手に登場したのがきっかけだった。正直言って『笛吹童子』のチャンバラの名人ぐらいにしか思っていなくて、対談前にあわてて作品を見たのだがそのうまさにびっくり。記事のコラムに「その色気のあるハギレのよい芝居に、何かあの爆発的人気がわかるような気がした。素の御本人も熱血漢で、ハッキリして、スミにおけない人である」と書いてあるのを見ても私の感動ぶりがわかろうというもの。いまオーラという言葉がよく使われるが、あの雰囲気はオーラという言葉がぴったりのものだった。――
 実は、3月のトークショーの後、有馬さんから電話をいただいた。
「錦ちゃんとの対談の前にわたしが見た映画、あれ『一心太助』じゃなくて『獅子丸一平』だって、あなた言ってたわね。」
「そうですよ。間違えないでくださいよ」
「今、その辺書いているんだけど、あなた、その雑誌持っていたわよね?」
「はい、なんだったなら、ネコちゃん対談のところ、ファックスしましょうか」
「じゃ、そうして」
 これで、プッツンと電話が切れる。有馬さんはものすごくせっかちで、しゃべり方も単刀直入。思っていることはズバズバおっしゃるタイプだし、周りを威圧するような堂々とした雰囲気を持っているので、初対面の人は恐れをなすかと思う。なかなか話しかけにくいし、近寄りがたい。でも、何回かお会いして、慣れてしまえばサバサバしたとてもいい方である。私も最初は有馬さんが苦手だったが、トークショーの司会を一度、聞き手を二度やって、その打ち合わせもずいぶんしているうちに、お互いに気心が知れてきたといおうか、有馬さんが好きになってきた。有馬さんも私が大の錦ちゃんファンであることを喜び、応援してくださる。電話をいただいた後、早速「近代映画」の対談記事をファックスする。
 今引用した有馬さんの文章には、結局『獅子丸一平』というタイトルは出てこなかった。どうでもいいかと思って省いたのだろう。が、対談の時のコメントはしっかり使っていらしたから、お役に立てて良かったと思う。

 4月16日の記事。タイトルは「結婚生活」、サブタイトルは「まるで宴会場の女将」である。
 ――(『浪花の恋の物語』で)錦ちゃんと共演して、私はこの人が演技者として天性のものをもった人だということを直感した。共演者に、演技と真実の壁が一瞬消えたと思わせる、つまりホンキにさせる何かがある人なのだ。――
 なかなかイイことを書いてくれるではないか!有馬さんは、今でもまだ錦ちゃんのことを懐かしみ、慕っている。それが文章のすみずみからにじみ出ている。

 ――この映画の撮影中に私はプロポーズされた。その後前述の盲腸騒ぎなどがあったが、昭和36年、大川博東映社長の媒酌で式をあげた。京都の鳴滝の900坪の土地に、150坪の家を建てた。プールと体育館も作り、庭には大好きなスタンダードのバラを中心に70種類のバラを植えた。しかし私はこの「豪華」な邸宅で安住することはできなかった。撮影を終えた錦ちゃんが、ひとりで帰宅することはまずない。いつも10人近いスタッフや、スタッフでない人も連れ帰って、夕食はそのまま大宴会になだれこむ。――
 ――私は錦ちゃんの天性を信じて、この人の才能を伸ばしたいと思っていた。世界に通用する役者になるに違いない、そのためにいろんな人と付き合い視野を広めてほしいと思っていた。しかしそんな思いが実現する前に、宴会場の女将はダウンしそうになっていた。――

 4月17日の記事。タイトルは「忙しい妻」、サブは「結婚生活を打ち切り~婚家の古いしきたり覆せず」。
 ――おかしな話だが、いま振り返っても実は離婚の理由がよく分からない。唯一分かるのは私は古いしきたりを重んじる世界に生きる婚家を、自分なりに改革しようと思ったらしい。それには時間がかかる。しかし私は生来せっかちという困った癖がある。それが周りの誤解と反感を招いて、錦ちゃんは完全に私とお姑さんの板挟み。私は自分が身を引くのが最善と考えた。――(つづく)