錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

『続 花と龍 洞海湾の決斗』(追記)

2006-12-24 19:16:41 | 花と龍
 周知のように、錦之助は、1965年5月(この映画が製作される半年前)、東映京都俳優クラブ組合の代表に推され、契約俳優たちの権利と生活を守るため約三ヶ月先頭に立って東映本社と団交した。この人権闘争は、東映の強硬姿勢と組合員に脱落者が出たことで、失敗に終わり、8月に錦之助は大川博社長と直談判し、組合を元の親睦団体に戻す条件で和解に至る。『続 花と龍』は、そうした経緯をストーリーに反映させていた。
 ついでに言うと、組合運動のリーダー格の一人がこの映画で金五郎の幼友達の清七役を演じた神木真寿雄だった。彼は、前作『花と龍』では、金五郎が故郷を旅立つまでの最初の部分で付き添い役として登場し、『続 花と龍』では、若松に金五郎を訪ねに来て、仲間に加わり、最後は金五郎をかばって、鉄骨の下敷きになり、無残にも死んでしまうのだが、この二作では(特に続編では)かなり良い役をやっている印象を受けた。この脇役俳優は、それまで目立った役を演じたことがなかったと思うが、きっと錦之助の強い推挙があったのだろう。
 さらに言うと、『続 花と龍』は、玉井金五郎という人物の信念である暴力否定、やくざ嫌いの側面を強く打ち出していた。これは、原作者の火野葦平が意識的に描いた金五郎像でもあるが、それにしても、映画はこの点を強調しすぎている感があった。
 東映が任侠やくざ路線に方向転換しようというこの頃に、あえて『続 花と龍』のような会社批判とも言える映画を作ったことは、どう判断したら良いのだろうか。組合結成、神木真寿雄、暴力否定、やくざ嫌い…。どう見ても、これは東映内部のレジスタンス映画なのである。
 錦之助は、『花と龍』正続編2本を撮り終えると、『遊侠一匹 沓掛時次郎』と『丹下左膳 飛燕居合い斬り』に主演し、東映との優先契約本数の4本を完了して、東映を去っていく。錦之助の兄で東映の企画担当をやっていた小川三喜雄(前名・貴也)も辞めた。神木真寿雄は東映を辞めると同時に映画界を去ったようである。ただし、神木は錦之助に助けられ、その後しばらくの間舞台出演していた。
 シナリオライターの田坂啓は、『続 花と龍』以降は、東映映画のシナリオを5本ほど手がけ(ただし、やくざ映画のシナリオは一本も書いていないと思う)、その後、五社英雄の映画や松竹の喜劇映画(瀬川昌治監督や渡辺祐介監督の作品)のシナリオを書き、テレビの時代劇(『鬼平犯科帳』など)やサスペンス・ドラマの脚本家として活躍を続けていった。一方、監督の山下耕作は、東映仁侠映画のヒット作を次々と生み出し、東映を支える重要な監督になっていくことはご存知の通りである。

 『続 花と龍』は、1966年(昭和41年)の正月第三週に封切られ、観客には好評だったようだが、東映の会社内部の反応はどうだったのであろうか。詳しいことは分からないが、どうやら何か根深いしこりを残したようである。この映画がずっとビデオ化されずにお蔵に入っていたのも、その辺の事情が理由だったのかもしれない。(いまだにビデオにもDVDにもなっていないが、最近東映チャンネルで放映されたので、40年経ってようやく時効になったのかもしれない。)



『続 花と龍 洞海湾の決斗』(その2)

2006-12-24 19:02:39 | 花と龍
 『続 花と龍』には「洞海湾の決斗」というサブタイトルが付いている。これは東映が宣伝用に付けたものではないかと思う。この映画より約10年前の『花と龍』の初の映画化作品では(佐伯清監督、藤田進主演の東映映画)、サブタイトルが「洞海湾の乱斗」だったので、「乱斗」を「決斗」に代えたものにすぎない。もちろん、こうした章が原作にあるわけではない。ところで「決斗」の「斗」の字は、「闘」の当て字で、以前学生運動が盛んだった頃は「斗争」「共斗」などとも書いていたが、最近はあまり使わなくなった。
 さて、今回この映画を観て、どうもサブタイトルが内容に即していないように感じた。決闘らしきシーンはこの続編にはなく、あるのはただ、前回述べたように、玉井金五郎が角助らに襲われて、やられっぱなしのまま、瀕死の重傷を負う壮絶なシーンだけである。しかしこれは、決闘ではなく闇討ちだった。洞海湾に浮かんだ船上で決闘シーンがあったのは、むしろ前作の『花と龍』の方である。洞海湾は、若松港や戸畑港のある湾で、輸送船に石炭を積み込むことが仕事のゴンゾウ(=沖仲仕)にとっては生活を左右する重要な場所だった。そして、ここを本拠地にゴンゾウたちに仕事の差配をする有力な小頭たちとその一家、すなわち友田喜造や島村ギンの共働組や江崎満吉の一家と、新興の玉井組との争いを「洞海湾の決斗」と見立てたのかもしれない。いずれにしても、『宮本武蔵』の「般若坂の決斗」や「一乗寺の決斗」といった錦之助の素晴らしい立ち回りのある決闘シーンを期待して映画を観に行った人は、見事にはぐらかされたことだろう。サブタイトルも考えもので、この映画は単に『続 花と龍』で良かったと思う。
 
 ここで、『続 花と龍』の内容について、私なりの正直な感想を述べてみたい。はっきり言って、私は前作の『花と龍』の方が面白く感じた。もちろん、続編も見ごたえのある映画だったが、ややもの足りなさを感じた。
 これは、火野葦平の原作も同じで、第一部の前半は大変面白いのだが、次第に詰まらなくなり、第二部になると、ダラダラと書いている印象さえ受けた。映画『続 花と龍』は、原作の第一部の後半を脚色したもので、第二部は全く関係ないのだが、実は面白くするために原作のストーリーをずいぶん変えていた。
 たとえば、若松で玉井金五郎が小頭たちの組合を作るくだりは確か原作では小さく取り上げられていたにすぎなかった。しかも、金五郎が組合を作るのは襲撃される前である。(ただし、第二部で長男の玉井勝則(=火野葦平)が沖仲仕の組合を作るところは力を入れて描かれていたと思う。)また、マンが長男を出産するのは、映画の設定よりずっと前で、マンが金五郎とお京との関係を知り、腹を立てて郷里の広島へ帰る時には、子連れだった。映画では、その時、マンは妊娠中で、マンが家出して森新之助の家に泊まっている間に、金五郎が襲われ、瀕死の重傷を負うといったように変えていた。マンが病院に駆けつけ、金五郎を死なしてなるものかと看病する場面は原作にもあったが、意識を回復した金五郎に子供が出来たと初めて打ち明けるところも映画だけの話だった。ほかにもいろいろと設定を変えていた。映画化に際して、ある程度原作を変えることは仕方がないと私は思っている。『続 花と龍』に関しては、ストーリーをドラマチックにするためにかなり工夫を凝らしていた。もちろん、玉井金五郎の生き方やマンの性格は、原作に忠実だった。
 前作の『花と龍』では、シナリオライターの田坂啓のことを褒めたが、察するところ、続編はどうも脚色に行き詰ったようである。途中で中島貞夫が協力して、シナリオを完成したらしいが、それでもストーリーがやや単調すぎるきらいがあった。前作に比べ、エピソードの挿入やユーモアもなく、小道具も生かされていなかった。登場人物の描き方も浅く、前作ほど躍動していなかった。前作を10点とすれば、続編は6点ぐらいの出来だったと思う。

 立志伝のようなストーリーでは、どうしても青雲の志を抱いて自分の道を進んでいく途上が面白いもので、これは『花と龍』に限るものではない。小説で言えば、私の好きな富田常雄の『姿三四郎』にしても吉川英治の『宮本武蔵』や『新書太閤記』にしても同じだ。
 映画『花と龍』の前作では、金五郎とマンとのロマンスに魅力があり、金五郎がゴンゾウから裸一貫でのし上がっていく過程にわくわくする興奮があった。金五郎とマンの生き方に共感し、大きな夢を抱くこの二人が「満州だ、ブラジルだ」と言い争いながら、力を合わせて共に進んで行く姿に私は幸福感を覚えたのだった。前作ではこの二人以外の登場人物も生き生きと描かれていた。親友の森新之助(田村高廣)も蝶々牡丹のお京(淡路恵子)も、前作の方が個性的で引き立っていたと思う。吉田磯吉(月形龍之介)、平尾角助(小松方正)、友田喜造(佐藤慶)、大川時次郎ほか、みなそうである。
 『続 花と龍』では、金五郎以外のこれらの登場人物は存在感が薄いように感じた。佐久間良子のマンも金五郎の女房におさまって、貫禄みたいなものは出していたが、陰で金五郎を支える役どころでは、佐久間良子の良さも出ないというものである。金五郎とお京の関係を疑って家出したり、負傷した金五郎を懸命に看病するだけではもの足りなかった。
 また、淡路恵子のお京は、続編でも重要な役なのだが、ぱっとしなかった。金五郎のことが忘れられなくて若松にやって来て、森新之助と君香が開いたお茶屋に芸妓として潜り込むところは原作にもあるのだが、金五郎を誘惑してあっさり振られたり、金五郎に横恋慕する染奴(岩本多代)を脅したりするだけで、魅力に乏しかった。淡路恵子は、前作のつぼ振りや彫り物師はあでやかで良かったが、芸妓役は色気もなく、あまり似合わないと感じた。二回も出てくる踊りも、決してうまいとは言えなかった。
 『続 花と龍』では、前作には登場しなかった新聞記者の品川信健(永井智雄)とやくざの親分の江崎満吉(浜村純)が目立ち、いい味を出していた。どてら婆さんの島村ギン(日高澄子)は、前作より出番が多かったが、もっと豪快さが欲しかった。金五郎に対し好意的になりすぎ、平凡な善人になり下がっていたのが残念だった。
 この映画は、錦之助の独壇場とでも言おうか、いわば「玉井錦之助」の迫真の演技だけが目立って、主人公にからむ登場人物たちが背景に引っ込んでしまう作りになっていたと思う。そこに私は不満を覚えた。とはいえ、山下耕作監督の演出、古谷伸のカメラワーク、鈴木孝俊の美術、三木稔の音楽など、すべて前作同様、素晴らしい出来だった。続編は、原作を思い切ってもっと変更するくらいのつもりで、シナリオをさらに練って作れば、前作に劣らぬ傑作になっていたと思う。