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この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

鹿児島旅行、旅のしおり。二日目。

2018-08-11 21:40:50 | 旅行
 二日目はバイキングの朝食でスタートです。
 『サンデイズイン鹿児島』は朝食の評判がすこぶるいいんですよね。楽しみ♪

 二日目は特急指宿のたまて箱で指宿に行きます。
 鹿児島中央駅発が9:55、指宿着が10;47です。

 指宿のたまて箱に乗るのを希望したのはまささんですが、チケットは自分が購入しました。
 チケットの購入は乗車日の一ヶ月前から可能なのですが、自分はその日に購入しました。
 夕方遅かったので一番乗りではなかったと思いますが、それでもかなり早い方だったと思います。
 早く購入したので当然座席もよいポジションだろうと勝手に思い込んでいたのですが(指宿のたまて箱は海側の席と山側の席があり、当然眺めがいいのは海側の席)、先日ふとチケットを見直したら、行きも帰りも山側の席でした。
 マジかい!!
 慌てて(購入したのとは別の)みどりの窓口でチケットの変更をしたのですが、変更可能だったのは帰りの電車だけでした。
 何で購入可能日初日に購入してこんな席をあてがわれるのかさっぱりわかりません。

 指宿で何をするかは決まっていません。
 『ヘルシーランド 玉手箱温泉』で日本一と言われる絶景露天風呂に入るか、それとも指宿白水館付設の『薩摩伝承館』に行くか、たぶんそのどちらかになるでしょう。

 帰りの指宿たまて箱は指宿発が15:07で、鹿児島中央駅着が16:00ちょうどになっています。

 そこから先の予定はまったく立っていないのですが、お土産を買うなり何なりしていれば時間はあっという間に過ぎるでしょう。
 夕食はどうしようかな、鹿児島名物の薩摩ラーメンを食べるか、それとも駅弁にするか、そのときになってみないとわからないですね。

 18時か、19時発の新幹線で帰るつもりです。


 二日目は以上です。
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鹿児島旅行、旅のしおり。一日目。

2018-08-10 20:20:52 | 旅行
 13日から鹿児島に旅行に行くので、備忘録がてら旅のしおりです。

 鹿児島までは8:39博多発のさくら405号で行きます。
 最初は一つ遅い9:04発のさくら541号で行こうかと思っていました。
 昼前に鹿児島に着けばいいだろう、そう思っていたのです。
 しかし今回の旅に同行するまささんから、10:24分発のさくら373号ではどうかと言われました。
 前日飲み会があるので早起きできるか自信がないとのこと。
 まぁ急ぐ旅ではなし、それでいいか、と一度は承諾したのですが、最終的には後述するような理由からさくら405号で行くことになりました。
 早起きできるかなぁ、まささん。

 鹿児島中央駅には10:16に着きます。
 駅について最初にしなければいけないのは新幹線改札口の目の前にある総合観光案内所で「CUTE」を購入することです。
 「CUTE」といってもアイドルグループではなく、鹿児島市内でバスや市電、フェリーなどに乗れる共通利用券のことです。二日券を買います。

 「CUTE」購入後、「CUTE」を使って鹿児島港へ。
 そこからフェリーに乗って桜島に行くのですが、8:39発のさくら405号にした理由がここにあります。
 鹿児島港と桜島港を結ぶフェリーは24時間、一日50便以上あり、運行時間は通常15分程度です。
 ただし、一日に一便だけ、50分ほど時間をかけてゆっくり錦江湾を巡る便があり、その「よりみちクルーズ」の出発が11:05で、それに乗るためにさくら405号で行くことにしたのです。

 フェリーでは名物のうどんを食べるつもりです。
 海を眺めながらのうどんは最高なんじゃないでしょうか(たぶん)。

 桜島についてからの予定は細かくは立てていません。
 サクラジマアイランドビュー(周遊バス)で桜島を観て回ってもいいし、国民宿舎レインボー桜島で温泉に入ってもいいかな。

 鹿児島港に戻ってからバスで天文館に移動、ホテルにチェックインします。
 今回お世話になるのは『サンデイズイン鹿児島』です。
 繁華街にあるビジネスホテルなのですが、じゃらんなどの旅行サイトでは★四つ以上の高評価だったのでここを選びました。

 夕食は『鹿児島の台所 くろ屋』で頂きます。
 最初は地元でも有名な老舗のさつま料理屋である『熊襲亭』というところで予約していたんですけど、飲み放題つきで4000円の『くろ屋』の方がまささんは酒好きだし、そちらの方がいいかなぁと思ったのです。
 果たしてこの選択が吉と出るか凶と出るか、、、まぁまささんはお酒さえ飲めればとりあえずいいでしょ。笑。

 
 一日目は以上です。
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期待していたほどは面白くなかった『インクレディブル・ファミリー』。

2018-08-09 23:01:53 | 新作映画
 ブラッド・バード監督、『インクレディブル・ファミリー』、8/5、イオンシネマ筑紫野にて鑑賞。2018年29本目。


 前作『Mr.インクレディブル』から14年ぶりの続編『インクレディブル・ファミリー』を観てきました。
 悪くはなかったです。
 でも、悪くはない、以上の評価は出来ないかな。
 ブラッド・バードならもっと面白いものを見せてくれるに違いない!って期待しすぎていたのかもしれません。

 ちょこちょこっと気になったところを書くと、、、
 まず冒頭、巨大なモグラメカを操って銀行を襲ったアンダーマイナーというヴィランをファミリーは取り逃がすんですよね。
 当然この後アンダーマイナーは再登場し、最終的にファミリーにお縄になる、そう思うじゃないですか。
 しかし驚くことにアンダーマイナーはこの後登場しないんです。冒頭騒ぐだけ騒いでそれで終わり。
 (脚本的に)それはないんじゃないかなぁと思いましたよ。

 アンダーマイナーが出てこない以上は当然別のヴィランが出てくるわけですが、そのスクリーンスレイヴァーというヴィランがイマイチ魅力的じゃありませんでした。
 ヴィランって結局何をやりたいのかがはっきりしないと自分の中でどういう扱いをすればいいのかよくわかんないんですよね。
 スーパーヒーローを憎んでいるのか、それともスーパーヒーローに依存している社会を憎んでいるのか、どうもよくわからない…。

 スクリーンスレイヴァーの用いる催眠ゴーグルもちょっといただけなかったかな。
 そのゴーグルを着用すると一瞬にして相手を意のままに操れるというのもご都合主義が過ぎると思ったし、逆にゴーグルを外すと一瞬で正気に戻るというのもどうかと思いました。
 っていうか、ゴーグル、簡単に外せすぎですよね。笑。
 一度着用したら二度と外せない、というふうにはしなくてもいいけど、赤ちゃんが手に取ろうとしたら簡単にずれるというのはさすがにないと思いましたね。
 あれだと道で石に躓いて転んだだけで催眠が解けそうな気がする。笑。

 何だか辛口の評価になってしまいましたが、まぁ辛口なのはごく少数派で、ほとんどの人は当たり前に楽しめるエンターティメント作品だと思います。
 まず間違いなくパート3も作られることでしょう。
 パート3でも綾瀬はるかは女子高生役をやるのかな。笑。


 お気に入り度★★★☆、お薦め度★★★☆(★は五つで満点、☆は★の半分)です。
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アクションが凄まじすぎる『ミッション:インポッシブル/フォールアウト』。

2018-08-08 22:47:17 | 新作映画
 トム・クルーズ主演、クリストファー・マッカリー監督、『ミッション:インポッシブル/フォールアウト』、8/3、Tジョイ久留米にて鑑賞。2018年28本目。


 基本的に自分は映画を脚本で評価します。
 SF映画はもちろん、ホラー映画であってもそうです。
 鑑賞中、脚本の粗が気になってしまうんですよね。
 なので『ジュラシック・ワールド/炎の王国』も低い評価をつけました。

 ぶっちゃけ本作の脚本もかーなーりーひどいです。
 序盤でトム・クルーズ扮するイーサン・ハントがパーティ会場に潜入するシーンがあるのですが、何をとち狂ったかイーサン、会場へ超超高度からのスカイダイビングで乗り込むのです。
 これが絶海の孤島にある難攻不落の要塞に侵入する、というのなら話はわからないではないですが、会場は花の都パリにあるんですよ。
 別段タクシーで乗り付けても、何なら自転車で行ってもよさそうなのに何ゆえスカイダイビングで乗り込むのか?
 強いて言えばパーティに遅れそうだったからかもしれませんが、だとしてもねぇ、、、って思わずにはいられません。

 本作は展開があっちに行ったり、こっちに行ったり、かなり目まぐるしいのですが、要はプルトニウムの奪い合いです。
 でも武器商人の手元にあるとわかっているのであれば、その場合イーサンたちIMFではなく、CIAの出番のような気がします。

 脚本のアバウトさはクライマックスにおいてもそうで、プルトニウムがセットされた核爆弾を解除するために起動スイッチが必要になったイーサンは敵エージェントをヘリで追うのです。
 ここから凄まじいヘリチェイスが幕開けするのですが、追われるエージェントもイーサンの狙いが起動スイッチだってことはわかりそうなものじゃないですか。
 だったら起動スイッチを窓の外にポイッと捨てればよさそうなものなのにそうしないんですよねぇ、なぜか。
 本当なぜスイッチを後生大事に持っているのか、不思議でなりませんでした。

 このように脚本はかなりひどいです。
 が、その脚本のひどさを補って余りあるほどアクションがすさまじいんですよ。
 御年56歳になるトム・クルーズが走って、跳んで、ダイブして、バイクを駆って、ヘリを飛ばす、本当にそのアクションに懸ける思いには頭が下がります。 
 普段脚本を重視する自分もここまで来ると「負けました!」と白旗を上げざるを得ないですね。
 トム・クルーズには生涯アクション俳優でいて欲しいです。


 お気に入り度★★★★、お薦め度★★★★(★は五つで満点、☆は★の半分)です。
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【ゴットンジャム2018】に行ってきました。

2018-08-07 21:44:26 | 音楽
 週末は【ゴットンジャム2018】に行ってきました。

 九州は決して音楽不毛の地というわけではないので、この時期になると九州のあちこちで音楽フェスが開催されています(まぁ音楽フェス自体は毎月どこかで開催されてますけどね)。
 その数多い音楽フェスの中で自分が唯一毎年参加するようにしているのが飯塚の嘉穂劇場で行われるゴットンジャムです。

 なぜゴットンジャムには毎年参加しているのか?
 まず自分は人込みが好きじゃないのです。ライブハウスの中、おしくらまんじゅう状態で立ったまま音楽を聴いてもとても楽しむ気にはなれません。

 その点ゴットンジャムはいいですよ。
 何しろ会場は国の有形文化財である嘉穂劇場で、客はそこでくつろぎながら音楽を楽しめるのです。
 こんなユニークな音楽イベントって他にはないんじゃないかな。

 ゴットンジャムがユニークなのはそれだけじゃありません。
 会場の一角で地元の日本酒が無料で振る舞われているのです。
 無料といっても御猪口を500円で購入しなければなりませんが、過去のゴットンジャムで購入したものでもオッケーなんです。
 大盤振る舞いにも程があるだろ!と言いたくなります。
 本当にこんなユニークな音楽イベントは他にはないですよね?

 もちろんユニークなだけではありません。
 肝心のアーティストもメチャクチャいいんですよ。

 自分がこのゴットンジャムのことを知ったのは偶然で、たまたま昔好きだったアーティストが出演してたんですよね。
 そのアーティストを目的に参加したわけですが、名前すら知らなかった他のアーティストの音楽が思いの外よかったのです。
 世の中広いものだな、と思いました。まぁ自分が音楽に詳しくないというのもありますが。

 翌年の出演アーティストは全組知りませんでした。
 しかし、どのアーティストもよかったんですよ。
 以来毎年参加しています。主に一人で。笑。

 今年のゴットンジャムの出演者で唯一名前を聞いたことがあるのは「The Flying Elephants」だけでした。「筑豊のビートルズ」として地元では有名なのです。
 といっても演奏を聴くのは初めてでしたが。

 正直、トリビュートバンドの演奏ってどういうふうに聴いていいのかよくわかりません。
 やっぱりビートルズっていいよなぁというふうに聴けばいいのか、それともよくビートルズを再現出来てるなぁと感心すればいいのか。
 どういうスタンスで聴けばいいのか、わからないまま彼らの演奏は終わりました。う~む。。。

 その次が青木カレンという女性のジャズシンガーでした。
 自分は初耳でしたが、『ジョジョの奇妙な冒険』のオープニング曲や『モンテ・クリスト伯 華麗なる復讐』のテーマ曲も歌っている、その道では有名な人でした。知らなくてゴメンなさい。
 声量もあり、音域も広く、その上妖艶で聴く者を惹きつける歌声でしたよ。

 三組目のアーティストは「JABBER LOOP」というインストルメンタルバンドでした。
 インストルメンタルなんてそれこそ普段聴くことはないのですが、腹にズンと響く彼らのパフォーマンスは最高にカッコよかったですね。
 青木カレンとのコラボもいいもの聴けた♪って思いました。

 ラストを飾ったのが「オーサカ=モノレール」というバンドで、最初このバンドもインストルメンタル?と思ったのですが、演奏の途中でボーカルの人が現れました。
 このボーカルが本当にヤバい人で、登場する前に何かクスリでも決めてきたんじゃないか?と思えるぐらい言ってることが意味不明だったのですが、ダンスのキレがハンパなく、キーボードの演奏も超絶的技巧で、彼らのライブは本当に目が離せませんでした。

 今年も最高によかったので来年もまた行こうと思っています。
 今から同行者募集中です。笑。
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映画『ガタカ』、最終考察リターンズ、最終回。

2018-08-06 21:05:05 | 旧作映画
 いよいよ映画『ガタカ』の最終考察リターンズも今回で最後です(たぶん)。

 さて、『ガタカ』とはどのような映画なのでしょうか?
 いくつかのレビューやコメントを読み、次のように捉えている人が多いように思いました。
 以下比喩です。

 A.翼を持たずに生まれた主人公が本人のたゆまぬ努力と周りの人々の協力によって翼を得て、本来翼を持ったものしか立つことが許されぬ高みから飛び立ち、自由に大空を飛び回る、というお話。

 自分の見方は違います。

 B.翼を持たずに生まれた主人公が本人のたゆまぬ努力と周りの人々の協力によって、本来翼を持ったものしか立つことが許されぬ高みに立ち、そこから翼を持たぬまま飛び降りた、というお話。

 AとB、一見すると似ていますが、受ける印象はまったく違いますよね。
 Aはハッピーエンドで、Bはバッドエンドです。
 多くの人がハッピーエンドを好むのは知っていますし、かくいう自分も実はそうです。

 しかし忘れてならぬのは主人公の友人の存在です。
 主人公の夢を叶えるために協力を惜しまなかった友人は、主人公が夢を叶えたのを見届けた後、自ら命を絶っているのですよ。
 Aにおいて、自由に大空を飛び回っていた主人公が地上に降り、友人の死を知ったらどう思うでしょう?
 混乱し、動揺し、自らの正体を偽る気力も起きないでしょう。
 正体がバレれば待つのは死であったとしても…。

 自分がその1で、
>もしジェロームがヴィンセントは再び生きて地球に戻ってくる、その可能性が1%でもある、そう信じていたのであれば、彼は決して自ら命を絶つことなどなかったでしょう。
 と強調した理由がここにあります。
 ヴィンセントが生きて地球に戻ってくるのであれば、ジェロームが自ら命を絶つことなどあり得ないのです。

 それともヴィンセントはジェロームの死を知っても何ら動揺することなく、彼の残した大量の検査サンプルを使って残りの人生を何不自由なく過ごした、そう考えますか?
 あなたの知るヴィンセントはそんな不実な男でしたか?

 作中、ヴィンセントが死ぬシーンはありません。
 しかし作品は次の台詞によって締めくくられています。
>私たちの身体の中のすべての原子はかつて星の欠片だった。私は故郷に帰るのかもしれない。
 死ぬ、という言葉が不穏なイメージを帯びているのであれば次のように言い換えても構いません。

 ヴィンセントは故郷に帰り、そして地球に戻らなかったのです。

 
 自分の最終考察は以上です。
コメント (6)
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映画『ガタカ』、最終考察リターンズ、その7。

2018-08-05 23:58:38 | 旧作映画
 本文では繰り返しジェロームが自ら命を絶ったのはヴィンセントが宇宙で死ぬ(ことをジェロームが確信していた)からだ、と述べてきました。
 しかしこの言葉の意味を本当に理解している人はおそらく少ないでしょう。

 ジェロームはヴィンセントが不適正者であることを知っていました。
 では具体的に、どれぐらい詳しくそのことを知っていたと思いますか?
 答えはすべて知っていた、です。
 ヴィンセントが生まれたばかりのときに医者から余命が30年と告げられたこと、母親からは宇宙飛行士になる夢は諦めるように言われたこと、適正者である弟に遠泳競争で勝ったこと、すべてです。

 作中、ヴィンセントがそのことをジェロームに話すシーンはありません。
 しかしヴィンセントにとってそれらのことは別段話せないことでも何でもないですし、またジェロームが事故の真相を話したにもかかわらず、ヴィンセントは自分のことを具体的に何も話さなかったとは考えられないからです。

 ヴィンセントからそのことを打ち明けられて、ジェロームは最初どう思ったでしょうか?
 ジェロームのことだから平静を装って聞き流す振りでもしたことでしょう。
 けれど内心では驚愕していたはずです。
 単に遺伝子が不適正というだけでなく、寿命が三十年でおまけに心臓に爆弾を抱えているだって?
 にわかには信じられなかったでしょう。
 カルテや医学的な資料を取り寄せ、ヴィンセントの言葉が本当なのか慎重に精査したはずです。
 そしてヴィンセントの言葉が本当であるという確信を得ました。

 普通の人であればこの時点で止めるはずです。そんな身体で宇宙飛行士になろうなんて思うものじゃないと。ヴィンセントの母親と同じように、ですね。

 しかしジェロームは、ジェロームであればそうじゃないと思うのです。
 あらゆることに恵まれていながら金メダルを獲得できなかったことで全てから逃げ出そうとした自分。
 そしてあらゆることに恵まれていないのに宇宙飛行士になるという夢を叶えようとするヴィンセント。
 自分とヴィンセントを比べ、そして決心したでしょう。
 何としてもヴィンセントを宇宙に送り出してやろう、と。

 この決心の意味がわかりますか?
 宇宙に行ったら死んでしまうであろう人間の宇宙行きに協力するのです。
 その決心は尋常ならざるものであったことは容易に想像がつきます。
 ジェロームが、ヴィンセントが宇宙に旅立ったその日に自ら命を絶ったのはまったく不思議ではない、むしろ当然のことのように自分には思えるのです。

 次回は最終回を予定しています。
 『ガタカ』がどういうお話だったのか、もう一度考えてみたいと思います。


                                        続く。
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映画『ガタカ』、最終考察リターンズ、その6。

2018-08-04 18:25:35 | 旧作映画
 ヴィンセントは宇宙で死ぬということを前提に話を進めてきましたが、そのことに抵抗がある人がいるかもしれません。
 30年で寿命が尽きるという医者の予言に抗って、なお生き続けていたヴィンセントですから、宇宙での一年間のミッションを終え、地球に無事生還する可能性もゼロではないかもしれません。
 もしかしたら宇宙空間の無重力が彼の心臓によい影響を与えるかもしれないですしね。

 しかし仮にヴィンセントが地球に生還することがあったとしても、英雄として、つまり困難なミッションをクリアした宇宙飛行士として生還する可能性は限りなくゼロに近かったであろうと自分は考えます。
 なぜなら彼には心臓の障害の他にもう一つ、強度の近眼という身体的問題がありましたから。

 プライヴェートな空間がほぼないであろうと想像される宇宙船内において、コンタクトレンズなしにはほとんど物が見えないほど近眼である人間がそのことをどれぐらいの期間隠し通せるものなのでしょうか?
 一日だけであればそれほど難しくはないでしょう。
 一週間ぐらいなら隠し通せるかもしれません。
 一ヶ月となると相当難しいと思います。
 一年は、さすがに無理でしょう。
 どんなに慎重に行動していたとしてもコンタクトレンズは24時間つけっぱなしに出来るものではありませんから。必ずメンテナンスをしなければいけません。
 でなければ作中ヴィンセントが眼鏡をかける必要はないはずです。
 それにコンタクトレンズは装着時のトラブルも多いですよね。
 一年間の間ヴィンセントの身にそういったトラブルが一切起こらなかった、とはちょっと考えられません。

 つまり、宇宙に旅立ったヴィンセントには結末は二つしか用意されていなかったのですよ。
 一つ目は、過酷なミッションに耐え切れず、心臓発作を起こし、宇宙で亡くなるというもの。
 もう一つは心臓発作こそ起こさなかったものの、過酷なミッションの最中に強度の近眼であることがバレ、DNA詐称の重大犯罪人として地球に帰還するというもの。
 どちらの結末が好みですか?と尋ねるのは些か意地悪すぎる質問でしょうか。

 次回はジェロームの立場に立ってもう一度物語を見直してみたいと思います。


                                          続く。
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映画『ガタカ』、最終考察リターンズ、その5。

2018-08-03 22:23:47 | 旧作映画
 遠泳競争でのヴィンセントの二回目の勝利も一回目の時と真相はさほど変わらないものだったのでは、と自分は考えます。
 さすがにそれは強引なのでは、と思われる方もいるかもしれませんが、やはり根拠はあります。
 作中、アントンがどこかのプールで泳ぐシーンがあるのです。
 もちろんこの時が遠泳競争以来初めての水泳だったという可能性もゼロではありませんが、アントンは日常的に泳いでいた、そう考えるべきでしょう。
 ただの気晴らしで泳いでいたのか?ただの暇つぶしだったのか?
 それも考えにくいです。
 彼は来たるべき再戦の時のために水泳の鍛錬を欠かさなかった、そう考えるべきでしょう。

 水泳の鍛錬を欠かさなかったアントンが再戦において不様に敗れる、というのはやはり考えにくいです。
 彼自身がヴィンセントに勝ちを譲ったのでなければ。

 なぜ彼はそんなことをしたのでしょう。
 理由はいくつか考えられます。 
 例えば、アントンは彼なりのやり方でヴィンセントの背中を押したかったのではないのか。

 宇宙飛行士になるというヴィンセントの夢、その夢のことを最初に知ったのは他ならぬアントンでした。
 十数年ぶりに再会した兄がまさかその夢を捨てていなかったとは、アントンはそれこそ夢にも思っていなかったでしょう。
 出来れば兄の夢を叶えてやりたい、アントンがそう思ったとしても不思議はありません。

 アントンは経験上どうすればヴィンセントが前を向いて進めるようになるかを知っていました。
 それは「適正者」である自分と勝負をして、ヴィンセントが勝つこと。
 前回遠泳競争で勝ったヴィンセントは宇宙飛行士になる夢を叶えるためにそのまま家を飛び出していますからね。
 その再現をしたのです。

 今述べた説は些か想像に頼りすぎる部分があるかもしれません。
 しかしアントンがヴィンセントのよき理解者であったことは間違いないと思います。
 なぜなら、すべての真相を知った後でも、アントンはヴィンセントを告発するような真似はしませんでしたから。
 そのこと自体、アントンがヴィンセントの夢を応援していた証拠になると思うのです。

 次回はヴィンセントの死と彼の持つ障害について語りたいと思います。


                                          続く。
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映画『ガタカ』、最終考察リターンズ、その4。

2018-08-02 22:23:13 | 旧作映画
 ヴィンセント・アントン・フリーマンは「神の子」でした。
 この場合の「神の子」とは「神に祝福された子ども」という意味でなく、遺伝子的な矯正を受けず生まれてきた人のことを指します。

 「神の子」であるヴィンセントは生まれつき心臓に重度の障害があり、医者からは寿命は30年だろうと予告されていました。
 そして彼は重度の近眼でもありました。

 果たして彼は心臓の障害を克服したのでしょうか?
 自分は克服しなかった、そう考えます。

 そのことが一番如実にわかるのが、ランニングを終えたヴィンセントがロッカールームで倒れ込み、息も絶え絶えになるシーンです。
 障害を克服した人間があのような状態になるとは考えられません。
 ヴィンセントは障害を克服出来なかったのです。

 この結論に異を唱える方も少なくないでしょう。
 なぜなら、ヴィンセントが弟のアントンに二度勝利を収めた遠泳競争のシーンを見ると、彼が心臓の障害を克服したように受け取れるからです。
 しかしこのシーンには別の捉え方があります。

 アントンは自身が「適性者」であり、兄のヴィンセントが「不適正者」であることを物心ついた時から知っていました。フリーマン家ではそのことは特にタブー視されていたわけではないので。
 ただ、幼い頃の彼はそれがどんな意味なのかよくわかっていませんでした。
 だから兄から遠泳競争を挑まれても全力で相手をして、兄を打ち負かしていました。
 彼は思ったことでしょう、自分が兄と遠泳競争をして負けることなんて一生ないと。

 しかし成長した彼はその意味を知ります。
 つまり、「不適正者」である兄ヴィンセントの寿命はわずか30年であり、またその心臓は明日にも止まってしまうかもしれないということを理解したのです。

 アントンはヴィンセントと遠泳競争をするのが恐ろしくなったことでしょう。
 全力を出せば容易く打ち負かすことが出来ても、全力を出せば死んでしまう可能性があれば、全力を出せるはずがありません。
 この年の遠泳競争でヴィンセントが遅れを取らなかった理由はこれです。ヴィンセントが特別速く泳いだというわけではありません。
 
 アントンは出来れば遠泳競争などしたくなかったに違いありません。
 けれどどうやって断ればいいというのか?
 いつ心臓が止まるかわからない相手と遠泳なんてしたくない!とありのままに言えばいいのか?
 それもまた出来かねる話でした。
 なぜならアントンは家族として兄ヴィンセントのことを愛していたからです。無用に兄を傷つけたくなかったのです。

 30年後に寿命が尽きる兄、それどころかもしかしたら明日にも死んでしまうかもしれない兄、そんな兄ヴィンセントにアントンが勝ちを譲ろうと思ったとしたら、それは不自然なことでしょうか。ごくごく自然な心情だと自分は思います。
 アントンは程のいいところで溺れたふりをしたのです。

 これが自分が想像する、遠泳競争でヴィンセントが一度目の勝利を収めたときの真相です。
 ヴィンセントはその勝利を奇跡だと思いました。
 しかしその勝利は奇跡には程遠いものだったのです。 


                                        続く。
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