感想と解釈について思うことを書きます。
目の前にバラの樹があったとします。
バラの花を見て、どう思うのか、何を感じるのかは人それぞれ違います。
バラの花って綺麗だなって思う人もいるでしょうし、トゲが痛そうだなと思う人もいるでしょう、特に何も思わない人がいたとしてもそれが間違いだというわけではありません。
なぜバラの花を見たときの感想が人それぞれ違うかというとそれはそれまで生きてきた人生が人それぞれ違うからです。
他人の感想を否定することは同時にその人の人生を否定することでもあります。
ですから自分と異なる感想であったとしても否定するべきではないのです。
そしてバラの花を見たからといって綺麗だと思わなければいけない、などという決まりもありません。
感想は決して他人から否定されるものではなく、また強制されるものでもないのです。
感想は人それぞれであり、自由なのです。
感想は自由だと述べました。
しかしながら間違った感想というものもあります。
例えばバラの花を見てバラの花は綺麗だなと思ったとします。
でも近づいてよく見たらバラではなくて牡丹の花だった。
その場合、バラの花は綺麗だと思った感想は間違っていた、ということになります。
感想は自由ではありますが、それは正しい認識をした場合においてのみです。
そしてバラの花を見て牡丹だと思う自由はありません。
認識は自由ではないのです。
対物においては認識になりますが、読書や映画鑑賞においてはこれが解釈に当たります。
本を読んだり、映画を見たりしての感想は人それぞれ自由です。
100人のうち99人が絶賛する作品だからといって自分も同じように絶賛しなければいけないなどという決まりはありません。
ただし、感想は自由ですが解釈は自由ではありません。
正しい感想を持つためには正しい解釈が必要です。
正しい解釈をするためにはその作品に対して真摯に向き合い、素直に、そして丁寧にその作品が与えてくれるヒントを拾っていかなければなりません。
おざなりな解釈はおざなりな感想しか生みません。
もちろん解釈の難しい作品もままあります。
しかし解釈が難しいのだから、どう解釈しようが自由だということにはなりません。
バラの花か牡丹の花かよくわからないからバラの花にしておこうという認識が乱暴であるのと同様です。
ついでに言っておくと、解釈や認識が間違っていたとしてもそれは大したことではありません。
間違いがわかった時点でその都度修正していけばよいだけの話です。
時々解釈の間違いを指摘すると逆上する人がいるのですが(本当にいます)、解釈の間違いなんて日常生活における見間違いや聞き違い同様よくあることなのでムキになる必要なんてまったくないんですけどね。
たぶん、それを指摘したことでその人の人格や人生を否定しようとしているか、恥を掻かせようとしているとでも思うのでしょう。
間違いを指摘されたときは、その指摘が正しいと思えば受け入れ、間違っていると思えば反論する、それだけの話です。
感想と解釈について思うことは以上です。
目の前にバラの樹があったとします。
バラの花を見て、どう思うのか、何を感じるのかは人それぞれ違います。
バラの花って綺麗だなって思う人もいるでしょうし、トゲが痛そうだなと思う人もいるでしょう、特に何も思わない人がいたとしてもそれが間違いだというわけではありません。
なぜバラの花を見たときの感想が人それぞれ違うかというとそれはそれまで生きてきた人生が人それぞれ違うからです。
他人の感想を否定することは同時にその人の人生を否定することでもあります。
ですから自分と異なる感想であったとしても否定するべきではないのです。
そしてバラの花を見たからといって綺麗だと思わなければいけない、などという決まりもありません。
感想は決して他人から否定されるものではなく、また強制されるものでもないのです。
感想は人それぞれであり、自由なのです。
感想は自由だと述べました。
しかしながら間違った感想というものもあります。
例えばバラの花を見てバラの花は綺麗だなと思ったとします。
でも近づいてよく見たらバラではなくて牡丹の花だった。
その場合、バラの花は綺麗だと思った感想は間違っていた、ということになります。
感想は自由ではありますが、それは正しい認識をした場合においてのみです。
そしてバラの花を見て牡丹だと思う自由はありません。
認識は自由ではないのです。
対物においては認識になりますが、読書や映画鑑賞においてはこれが解釈に当たります。
本を読んだり、映画を見たりしての感想は人それぞれ自由です。
100人のうち99人が絶賛する作品だからといって自分も同じように絶賛しなければいけないなどという決まりはありません。
ただし、感想は自由ですが解釈は自由ではありません。
正しい感想を持つためには正しい解釈が必要です。
正しい解釈をするためにはその作品に対して真摯に向き合い、素直に、そして丁寧にその作品が与えてくれるヒントを拾っていかなければなりません。
おざなりな解釈はおざなりな感想しか生みません。
もちろん解釈の難しい作品もままあります。
しかし解釈が難しいのだから、どう解釈しようが自由だということにはなりません。
バラの花か牡丹の花かよくわからないからバラの花にしておこうという認識が乱暴であるのと同様です。
ついでに言っておくと、解釈や認識が間違っていたとしてもそれは大したことではありません。
間違いがわかった時点でその都度修正していけばよいだけの話です。
時々解釈の間違いを指摘すると逆上する人がいるのですが(本当にいます)、解釈の間違いなんて日常生活における見間違いや聞き違い同様よくあることなのでムキになる必要なんてまったくないんですけどね。
たぶん、それを指摘したことでその人の人格や人生を否定しようとしているか、恥を掻かせようとしているとでも思うのでしょう。
間違いを指摘されたときは、その指摘が正しいと思えば受け入れ、間違っていると思えば反論する、それだけの話です。
感想と解釈について思うことは以上です。
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