この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

美食家、その2。

2017-12-05 22:10:23 | ショートショート
 クリスは拳銃が握られていないほうの手でアイマスクをダドリーに差し出した。
「これ、つけてもらえますか、叔父さん」
 差し出されたアイマスクを握りしめ、ダドリーはクリスを睨みつけた。
「クリス、自分のやっていることが何を意味するのか、本当にわかっているのか」
 クリスは、ダドリーの射るような視線もどこ吹く風と受け流すように肩をすくめた。
「叔父さんこそ、僕の手に握られた拳銃が何を意味するのか、本当にわからないんですか」
 クリスの口調が普段とあまりにも変わらなかったため、逆にダドリーは恐怖を覚えた。 アイマスクをつけさせたあと、クリスは次にサングラスを、最後に手錠をダドリーに掛けた。
「叔父さんには隠していたんですけど、僕、結構ギャンブルが好きなんですよ。もしかしたら、これは叔父さん譲りかもしれません。それでですね、最初の頃はビギナーズラックもあって勝っていたんですけど、段々と負けが込みだしましてね。でも僕がダドリー・オブライエンの甥だとわかると、特に唯一の法定相続人だとわかってからは、胴元がいくらでもお金を回してくれたんです。けれど最近になって、返済請求が急に厳しくなりましてね」
 クリスの告白に、ダドリーは意外な念を禁じえなかった。彼の知りうる限りクリスフォード・ケインという男は真面目一辺倒のはずだった。ダドリーと違い、毎週の教会通いも欠かさず、女性関係も特に浮き名を流すということもなかった。それが実際はこうもギャンブルにのめり込んでいたとは…。
「しゃ、借金はいくらあるというんだ」
 どうにか唾を飲み込み、ダドリーは言った。クリスは軽い口調で答えた。
「なに、ほんの、二百万ドル程度ですよ」
「に、二百万ドルだと?」
 ダドリーは自分の声が我知らず裏返るのを聞いた。構わずクリスは続けた。
「それでですね、期限までに借金を返さないと、やつら、僕のことを殺すって言うんですよ。最初、叔父さんに借金を肩代わりしてもらおうかとも思ったんですけど、母の前例もあるでしょう。もし叔父さんに見捨てられたら、僕は殺されてしまうんです。それでこの計画を思いついたというわけです」
 母の前例とは、この場合、エレンが父ヘンリーに勘当されたことを指すのだろうとダドリーは察した。
 エレンは、ヘンリーの意に沿わぬ男と駆け落ち同然で結婚したために彼の怒りに触れ、結局ヘンリーが生きている間は彼と再会することはなかった。
「前途のある僕と、余命幾許もない叔父さん、どちらか一人が死ななければいけないとしたら、その答えは明らかでしょう」
 ダドリーは深いため息をついた。彼自身、顔を合わせることのなかった十数年、エレンとその家族がどのような暮らしをしてきたか特に関心を払ったこともない。非情と責められても仕方のないことかもしれなかった。
「私はな、クリス、すでに遺言書も作成しておる。私の遺産を相続するのは、クリス、お前だと、それには明記しているんだ」
 ダドリーの告白に、クリスはそれが既知であることをあっさりと認めた。
「知ってます。でなければ善人を装って、気難しい老人に毎週欠かさず会いに来たりはしません。でも状況が変わったんです。一年後、いや、半年後でも遅いんです。もう待っている時間はないんです」
 ダドリーにはもはや何かを言う気力も失われた。けれど、それでも確かめなければいけないことがあった。
「私を…、殺すというのか」
「最終的にはそうなるでしょうね」
「最終的?」
「実はこの計画は僕一人で立てたものではないんですよ。叔父さんを、いつ、どこで、どうやって殺すかについては、まだ決まっていないんです。やつらと、最後の打合せを終えてからでないと」
「やつらだと?」
 クリスはしゃべりすぎてしまったと自戒するように急に黙り込んだ。
「クリス、お前は騙されている。私を殺したところで、お前の手元には一セントだって残りはしない。いや下手をすればお前の命も危ないんだぞ」
 クリスはそれ以上何も言わずダドリーの口にガムテープを貼り、その上に風邪用のガーゼマスクをした。
 それから車は最果ての地を目指すかのようにドライブを続けていたが、やがて何の前ぶれもなく、停車した。
 いったいここがどこなのか、目隠しをされたダドリーには見当もつかなかったが、走行時間から相当遠くまで来たのだろうと彼は思った。
「着きましたよ、叔父さん」
 そう言ってクリスはダドリーに車から降りるように促した。今度はサムと呼ばれた運転手が、ダドリーの降車を手伝った。
「さあ、しっかりと歩いてくださいよ」
 ダドリーの耳元でクリスが小声でそう囁いた。クリスとサムに両脇から抱えられるように覚束無い足取りでダドリーは歩いた。
 視覚には因らず、ダドリーは目の前の建物が彼自身の屋敷にも負けないほどの大きさであることを肌で感じ取った。
 玄関の扉がギギギィ…と不吉な音を立てて、三人を迎えた。建物の中は外と変わらないほどに冷えていた。
 まるで建てられて以来その中では一度たりとも火が灯されたことがないようだとダドリーは思った。廃墟であるのか、やけに埃っぽく、建物の奥から空き缶がカラカラ…と風で転がる音がした。
「こっちですよ、叔父さん…」
 手を引かれるままにダドリーはついていき、そして彼らは立ち止まった。
「これから、下に降りる階段です。気をつけてください」 
 目の見えぬ自分に何を気をつけろというのかとダドリーは思ったが、それでも慎重に一段一段を確かめていく。地下室への階段は地獄へと続く洞穴のようにダドリーには感じられたが、無論それは錯覚に過ぎなかった。
「階段が終わります」
 クリスの言葉にダドリーは擦り足で床面をゆっくりとさぐった。
 それからクリスは無言のまま用意していた椅子にダドリーを無理やり座らせると、彼の足首を椅子の脚にロープのようなもので結わえた。そのあと手錠を一旦外し、改めて椅子の背もたれ越しに後ろ手ではめ直した。あらかじめ手順を決めていたような手際の良さだった。
「今から、猿ぐつわを外します。でも最初から言っておきますが、叫んでも無駄ですよ。叔父さん」
 そう言ってクリスはダドリーのガーゼマスクをそっと外し、そしてガムテープを力任せに一気に剥ぎ取った。
 ダドリーは新鮮な空気を求め、ハアハアと荒く息をついたが、口に入るのは澱んだ空気ばかりだった。
「目隠しは取ってはくれないのか」
「それは贅沢というものです、叔父さん」
 ダドリーの注文をクリスが冗談めかして、だがはっきりと断った。
「これからしばらくの間、申しわけありませんが、叔父さんには、その格好で過ごしてもらいます。多少窮屈でしょうが、なに、長くても、せいぜい三日といったところですよ」
 クリスは自分がさもおかしい冗談を言ったかのようにクスクスと笑った。
「用があれば、僕か、サムに言ってください。もっとも、ご希望に添えない場合もあると思いますが。それと、尿意を催したときですが、特製のトイレを用意しているのでご心配なく。ただし、それは、僕とサム、二人が揃っているときに限らせていただきます。サムは、いつでも叔父さんのそばに控えてますが、僕はどうしても外に出かけなければいけないときがあるので。僕がいないときはすみませんが、我慢していただくしかありません。ここまでで何か、質問は?」
 ダドリーが口を開く前に、クリスが、そうそう忘れていました、と付け加えた。
「僕もサムも、叔父さんの世間話につき合うのにやぶさかではありません。でもサムからの返事は期待しても 無駄ですよ。何しろ彼は残念ながら口がきけないのでね」
 それだけを言い残すと、クリスは今降りてきたばかりの階段にその身をとって返した。
「ちょっとばかり出かけてきます。次に来るときは何か、夕食を持ってきますよ。叔父さんの口に合うといいけど」 
 地下室にクリスのハハハ…という笑い声が響いた。木霊が消えると、静寂が残った。こうしてダドリーの長い午後が始まった。


                                      美食家、その3に続く
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