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この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

それはちょっとないだろうと思った『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』。

2015-04-17 23:00:27 | 新作映画
 アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督、マイケル・キートン主演、『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』、Tジョイ久留米でのレイトショーにて鑑賞。2015年14本目。


 最近はレイトショーでの鑑賞が続いています。『幕が上がる』、『イミテーション・ゲーム エニグマのと天才数学者の秘密』、『ソロモンの偽証 後篇・裁判』、そして今作と四作連続のレイトショー鑑賞です。
 レイトショーのメリットは何といっても鑑賞料金が安いということが挙げられますが(通常料金より500円安い)、楽だということもあります。鑑賞後、後は家に帰って寝るだけですからね。楽でいいです。
 一方デメリットはというと、いや、それをデメリットと呼んでいいものかどうかわかりかねるのですが、一人での映画鑑賞は孤独に苛まされることでしょうか。
 もちろん昼間に映画を一人で観ることも多いのですが、レイトショーを友人と観に行くことがないですからね。
 一人で映画を観ることに抵抗はないし、嫌いでもないですが、この先永遠に映画を一人で観に行くのだろうかと思うと耐えがたいものがあります…。

 さて、気を取り直して本作のレビューです。

 本作のストーリー自体はごくシンプルです。
 かつて『バードマン』というヒーローものの映画で人気を博したリーガン・トムソンが、二十年の時が経ち、再起を賭け、ブロードウェイの演劇に挑戦しようとする、というお話です。
 ストーリーはごくシンプルなのですが、解釈は二通りあります。
 いくつかのレビューでは解釈は観る者の自由だというようなことが書かれているのですが、そうであったとしてもどのように解釈したかはきちんと述べるべきだろうと思うので、書きます。
 二通りの解釈というのは主人公のリーガンは果たして超能力を有するのか否か、です。
 冒頭リーマンは某新興宗教の教祖様の如く空中浮遊をします。
 じゃあ彼は超能力が使える俳優なのだろうと思うとそれは早合点で、彼のもう一つの人格である「バードマン」が彼に見せる心象風景なのです。
 その証拠に彼が超能力を使うシーンはすべて彼一人しかおらず、例外的に空中を自在に飛行するシーンも実はただタクシーに乗っていた(さらに無賃乗車した)というオチがつきます。
 なのでラストシーンで唐突にリーガンが本当に空を飛ぶはずもなく、娘のサムが見せた笑顔も父親が木にでも引っ掛かっているところを見つけた安堵の表情なのでしょう(実際父親が空を飛んでいるところを目の当りにしたらあんな笑顔を見せるはずもないので)。

 ただ、どちらの解釈をしたとしても作品から受ける印象はあまり変わらないです。
 この作品が描きたいのは、再起を賭けた一人の男の、人々に認められたいという狂気なのだと思うのですが、正直それが上手くいっているとは思えないのです。
 なぜリーガンが公演初日のラストに実弾の入った拳銃を用いたのか、それはわからないではないですが(共演のマイクにプレビューで用いた模擬銃をダメ出しされたから)、だからといって唐突に本物の拳銃を楽屋の棚から取り出すというのは、本当にちょっと唐突過ぎて自分は観ていて冷めました。
 ああいう展開にするのであれば、普段からリーガンが拳銃を持ち歩いているというような前振りか、上手い具合に拳銃を手に入れたというエピソードが必要だと思うんですけどね…。
 観ていて冷めたといえばラストシーンもそうで、自殺を試みた(と思われる)患者の病室の窓が自由に開け閉めできるというのもないだろうと思いました。

 主人公が超能力を持つこと以上に、後半ちょっとありえないなと思うシーンが続くので、映像は確かにすごいし、俳優の演技やキャスティングも文句のつけようはないけど、最終的に作品そのものの評価はあまり高くはないですね。
 自分だったら『イミテーション・ゲーム エニグマのと天才数学者の秘密』か、もしくは『セッション』に票を投じただろうと思います。


 お気に入り度は★★★☆、お薦め度は★★★☆は(★は五つで満点、☆は★の半分)。
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