『スターウォーズ エピソード3 シスの復讐』を観てきました。
まず、忠告です。
『スターウォーズ エピソード3 シスの復讐』を単なる娯楽作品と思って観に行ってはいけません。
また、デート・ムービーとしてもきわめて不適です。
鑑賞後、会話が弾まないこと必至です。
でもそんなことはいうまでもないですかね、なんといっても第一作のエピソード4ではほとんどすべてのジェダイの騎士が死に絶えた状況で物語は始まるのですから、エピソード3の結末は自ずとわかっているようなものですしね。
とにかくエピソード3を何の気構えもなく、お祭り気分で観に行くと痛い目に合います。
シナリオ的にかなりいろいろと問題があると思いました。
一例を挙げると、冒頭ドゥークー伯爵VSオビ=ワン・ケノービ&アナキン・スカイウォーカーの変則マッチがあります。
その戦いでオビ=ワンはあっさりとドゥークーによって気絶させられます。本当にあっさりと。情けないほどに。
で、そのドゥークーは結局アナキンによって倒されます。
そしてクライマックスでアナキンVSオビ=ワンの死闘が繰り広げられるのですが、この戦いを征するのはオビ=ワンの方なのです。(アナキンが暗黒面に落ちて、強大にパワーアップしているにも関わらず。)
オビ=ワン<ドゥークー、ドゥークー<アナキン、アナキン<オビ=ワン?
どーゆー力関係ですかっていいたくなりました。
こういった物語上の矛盾がエピソード3では到るところにあります。
(他にはいくら不意を突かれたとはいえたかだかクローン兵士に倒されてしまうジェダイの騎士とか。あんたら銀河最強じゃなかったんかい!とツッコミたくなりました。)
しかしそれらの矛盾や齟齬を我々は甘んじて受け入れなければなりません。言い換えれば大目に見なければいけないのです。
なぜなら、エピソード3が課せられたのは何よりエピソード4への橋渡し的役目であり、いうなればエピソード3は映画史上最大の辻褄あわせなのです。
そういった観点で見るとエピソード3単独では目に余る矛盾でも、ま、シリーズ物なんだから仕方ないよね、という気にさせられます。
というか、気にならなくさせられる、といった方が正しいかもしれません。
正直言うと前半はかったるくて仕方がありませんでした。
もう眠気を催すほどでした。
何しろアナキンとパドメは相変わらずママゴトみたいにイチャついていて、往来にも関わらずハードなラブシーンをこれでもかこれでもかと見せつけてくれます。
そのくせ、ダメよ、私たちの関係が人に知られたら、などとパドメは寝言をほざくし。
そんな人目のあるところで抱き合っといて、何いっとんのじゃ!って思いました。
さらに、子供が出来たみたいなのって、、、
お前らは中村獅堂と竹内結子か!!
人目を忍ぶ間柄なら、ちゃんと避妊しろ、避妊!!
つきあってられんわ!って感じです。
ヤバイ、エピソード2の二の舞か?とも思いましたが、しかし。
後半になると、っていうかアナキンが暴走し始めるとそりゃ盛り上がってくるんですよ。
普通どんなホラー映画だってローティーンの子供って殺されないじゃないですか。
『13日の金曜日』のジェイソンや『エルム街の悪夢』のフレディも、どんなに機会があったって幼い子供には手を出さないでいた。(それがホラー映画の不文律ってヤツ。)
しかしながらこのエピソード3でのアナキンは違います。
本来実社会での影響を怖れ、長くハリウッド映画では意図的に避けられていた子供殺しが、アナキンの暴走振りを表現されるために行われたのです。
これはすごいな、と思いました。
アナキンの、引いてはルーカスの狂気がスクリーンから伝わってきました。
そんな暗黒面に落ちた弟子であるアナキンに戦いを挑み、そして引導を渡すことになるオビ=ワンはやっぱり文句なくカッコよかった!
身震いするほどでした。
はっきりいって観に行く前はエピソード3は大して期待してなかったんですけど、思っていた以上に面白かったです。
ただし上述の通り、それ相当の覚悟なしには観に行くことをお薦めできません。
くれぐれもお忘れないように。
まず、忠告です。
『スターウォーズ エピソード3 シスの復讐』を単なる娯楽作品と思って観に行ってはいけません。
また、デート・ムービーとしてもきわめて不適です。
鑑賞後、会話が弾まないこと必至です。
でもそんなことはいうまでもないですかね、なんといっても第一作のエピソード4ではほとんどすべてのジェダイの騎士が死に絶えた状況で物語は始まるのですから、エピソード3の結末は自ずとわかっているようなものですしね。
とにかくエピソード3を何の気構えもなく、お祭り気分で観に行くと痛い目に合います。
シナリオ的にかなりいろいろと問題があると思いました。
一例を挙げると、冒頭ドゥークー伯爵VSオビ=ワン・ケノービ&アナキン・スカイウォーカーの変則マッチがあります。
その戦いでオビ=ワンはあっさりとドゥークーによって気絶させられます。本当にあっさりと。情けないほどに。
で、そのドゥークーは結局アナキンによって倒されます。
そしてクライマックスでアナキンVSオビ=ワンの死闘が繰り広げられるのですが、この戦いを征するのはオビ=ワンの方なのです。(アナキンが暗黒面に落ちて、強大にパワーアップしているにも関わらず。)
オビ=ワン<ドゥークー、ドゥークー<アナキン、アナキン<オビ=ワン?
どーゆー力関係ですかっていいたくなりました。
こういった物語上の矛盾がエピソード3では到るところにあります。
(他にはいくら不意を突かれたとはいえたかだかクローン兵士に倒されてしまうジェダイの騎士とか。あんたら銀河最強じゃなかったんかい!とツッコミたくなりました。)
しかしそれらの矛盾や齟齬を我々は甘んじて受け入れなければなりません。言い換えれば大目に見なければいけないのです。
なぜなら、エピソード3が課せられたのは何よりエピソード4への橋渡し的役目であり、いうなればエピソード3は映画史上最大の辻褄あわせなのです。
そういった観点で見るとエピソード3単独では目に余る矛盾でも、ま、シリーズ物なんだから仕方ないよね、という気にさせられます。
というか、気にならなくさせられる、といった方が正しいかもしれません。
正直言うと前半はかったるくて仕方がありませんでした。
もう眠気を催すほどでした。
何しろアナキンとパドメは相変わらずママゴトみたいにイチャついていて、往来にも関わらずハードなラブシーンをこれでもかこれでもかと見せつけてくれます。
そのくせ、ダメよ、私たちの関係が人に知られたら、などとパドメは寝言をほざくし。
そんな人目のあるところで抱き合っといて、何いっとんのじゃ!って思いました。
さらに、子供が出来たみたいなのって、、、
お前らは中村獅堂と竹内結子か!!
人目を忍ぶ間柄なら、ちゃんと避妊しろ、避妊!!
つきあってられんわ!って感じです。
ヤバイ、エピソード2の二の舞か?とも思いましたが、しかし。
後半になると、っていうかアナキンが暴走し始めるとそりゃ盛り上がってくるんですよ。
普通どんなホラー映画だってローティーンの子供って殺されないじゃないですか。
『13日の金曜日』のジェイソンや『エルム街の悪夢』のフレディも、どんなに機会があったって幼い子供には手を出さないでいた。(それがホラー映画の不文律ってヤツ。)
しかしながらこのエピソード3でのアナキンは違います。
本来実社会での影響を怖れ、長くハリウッド映画では意図的に避けられていた子供殺しが、アナキンの暴走振りを表現されるために行われたのです。
これはすごいな、と思いました。
アナキンの、引いてはルーカスの狂気がスクリーンから伝わってきました。
そんな暗黒面に落ちた弟子であるアナキンに戦いを挑み、そして引導を渡すことになるオビ=ワンはやっぱり文句なくカッコよかった!
身震いするほどでした。
はっきりいって観に行く前はエピソード3は大して期待してなかったんですけど、思っていた以上に面白かったです。
ただし上述の通り、それ相当の覚悟なしには観に行くことをお薦めできません。
くれぐれもお忘れないように。
わたしも、今までのエピソードでも度々、弟子の方がマスターよりも強い、というのに疑問があったのですが、SWファンに言わせると、ジェダイと言えども生き物、負ける事もあるそうです。
まあ、そんな些細な疑問も吹っ飛ばす程の映像とストーリーにただただ魅せられました。
確かに二人揃ってSWマニアという条件がつくなら、また話は変わってくるかもしれないですね。
家に帰ったら速攻で旧三部作の鑑賞会になったりして。
あ、デススターの製作過程が違う!とかいって盛り上がったりして。笑。
クライマックスの対決シーンは確かに燃えましたねー!
オビ=ワンの「お前は選ばれし者だったはずなのに!」という悲痛な叫びが胸に響いてきました。
実は私もエピソード3は大して期待していませんでした。1と2で「…ルーカスはスピルバーグと一緒じゃないとダメなんじゃないの?」と思ったぐらいです。
今回はそこまでは感じませんでしたが、辻褄あわせだな、と思うようなところはいくつかありました。
それでも、見所のあるシーンはたくさんありますから見て損はないですよね。
あむろさんも期待せずに観た一人なんですね。
そういうのって自分だけかなと思っていたので少しほっとしています。(←小心者。)
辻褄あわせというわりにはかなり無理がありますよね。
旧三部作での、レイアが語っていた実の母についての記憶とか。
胎内にいた頃には意識があったってことでしょうか。笑。
観て損がないというのは同意見です。
でも最近観て損がないという程度の映画が立て続けに公開されて、ちょっと財布が悲鳴を上げています。
最初の方は本当に寝ちゃいました、つじつま合わせに必死でストーリーに無理があり、アナキンがカッコ良いな、
顔も良いけど肉体も鍛えてる!と物語より俳優さんの顔ばかり見ていました。
俳優さんに感情が入って、最後は涙が止まらなかった。
アナキンが「愛しすぎて、失いたくなくて、暗黒に沈んだ魂が悲しい。」
最初の30分は本当に寝てました、つじつま合わせに必死でソトーリーに無理があり、アナキン役の俳優さんばかり見ていました。
顔も身体もカッコ良い、アナキンに感情が入って、最後は涙が止まらなかった。
アナキンは「愛しすぎて、失いたくなくて、暗黒に沈んだ魂が悲しい」
同じ感想、そういってもらえると嬉しかったりします。
つい先日観に行った『バットマンビギンズ』の感想が、見渡す限り自分だけ酷評だったもので。
(もちろんそれが悪いというわけではないのですが。)
SW、前半はほんとだらけましたよね。
その日二本目ということもあって自分もうとうとしてしまいました。
ただ後半アナキンが暴走し始めてからは俄然目が離せなくなって、クライマックスのライトセイバー戦では手に汗を握ってしまいました。
俳優に関してはナタリー・ポートマンが魅力的に撮れていないと思い不満でしたが、まぁルーカスに女性を魅力的に撮ることを期待してもそれは無理ってものですよね。笑。
感心しました。
結局のところ物語上の矛盾を看過できるかどうかはそれに対するフォローがされているかどーかによります。
例えばアナキンとオビ=ワンの力関係にしても、最後の死闘の前に、
ヨーダ「そなたがいくというのか」
オビ=ワン「えぇ」
ヨーダ「ダークサイドに落ちたアナキンの力は強大じゃぞ。そなたでは万に一つも勝てぬ」
オビ=ワン「それでも行かねばならぬのです。彼は今でも私のたった一人の弟子ですから」
といった会話がなされていたら、個人的にはそれだけでオッケーなんですよね。(あくまで一例ですけど。)
なぜオビ=ワンはアナキンに勝てたのか?
戦いの終盤、地形的にオビが上、アナキンが下になり「上が有利だ」とオビは話します。そしてアナキンは大きくジャンプをしオビを飛び越えようとします。
エピソード1でオビVSダース・モール戦がありました。このときはオビが下、ダース・モールが上なのですが、オビは大きくジャンプをしてダース・モールを飛び越え、彼を討ち果たします。
つまり、アナキンは師匠であるオビから学んだ戦術を使ったわけです。
で、オビはそれを「読んでいた」のではないかと。
『ここで「あの手」を使って来るにちがいない』
当然読みがはずれていたら、オビが死んでいたでしょう。
などと、オビが勝てた理由を勝手に想像しております。