この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

生きていれば、きっといいことがある、というけれど…。

2023-05-26 20:34:41 | 戯言
 一昨日の記事で、自殺をしてはいけないのは残された人が悲しむからだ、と考えるのは間違っているというようなことを書きました。
 間違ったことを書いたとは思っていません。
 ただ、いつも以上に共感を得られないことを書いてしまったな、とは思います。
 残された人が悲しむから自殺をしてはいけない、と考える方が理解しやすいですよね。
 でも自分は空気を読むことが苦手なので、ついつい自分が正しいと思うことを得意になって論じてしまうのです。

 というわけで、ついでだからもう一つ共感を得られないことを書きましょうか。
 よく「生きていれば、きっといいことがある」っていうじゃないですか。
 自分はそう言っている人に対して何を根拠にそう言っているんですか?と聞いてみたくなることがあります。
 神様でもないのにどうして「いいことがある」と請け負えるのでしょうか。

 自分がもしビルの屋上から飛び降りようとしている人を見つけても、軽々しく「生きてさえいれば、きっといいことがありますよ」などと安請け合いはしません。
 もしその人が自分の言葉を信じ、頑張って一年生きてみたとして、何もいいことがなかったら?
 一年前に死んでおけばよかった、とその人が思ったとしたら?
 その時はどう責任を取ればいいんですか?
 責任なんて取る必要はない?
 その場しのぎの適当な言葉で目の前の死を回避させればそれでよい?
 自分はそうは思えません。

 何だか重いことを書いてしまいました。汗。
 自分は何も目の前の死を回避させることが悪いことだと言っているのではありません。
 それに「生きていれば、きっといいことがある」ということが間違っていると言っているのでもないです。
 自分が間違っていると思うのは、あくまで自分の言葉に責任を持とうとしないことです。

 ビルから飛び降りようとしている人が自分にとって大切な人であれば、自分も躊躇なく、「生きてさえいれば、きっといいことがあります」と言います。
 また自分の心に他人の人生にかかわることが出来るだけの余裕があれば、「生きていればいいことがある」と言います(それがないから言いません)。
 ともかく、「生きていればいいことがある」と言っておきながら、その場限りで「後のことは知らん!」とどこかに行ってしまうのは無責任だと言っているのです。

 ここまで書けば自分が何を言いたいのか、わかりますね?
 誰か自分に「生きていればいいことがある」と言ってください。
 よろしくお願いします(誰も言わないだろ。。。)。
コメント (5)
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