この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

男女の機微がよくわからなかった『アイネクライネナハトムジーク』。

2014-10-14 22:33:30 | 読書
 自分は以前伊坂幸太郎の『残り全部バケーション』の二次創作作品を書いたことがあります(こちら)。
 はっきり言って自分は(作者である伊坂幸太郎を除いて)誰よりも『残り全部バケーション』という作品のことを深く理解しているという自信があります(まぁ正確には自分が深く理解しているというより、多くの人が読み間違えている、といった方が正しいのですが)。

 じゃあすべての伊坂幸太郎の作品を深く理解しているかというとそんなことは全然なくて、普段はお盆に蔵を建てるような本の読み方をしています。略してボンクラ読み。笑。

 伊坂幸太郎の新作『アイネクライネナハトムジーク』を読みました。
 感想を書きますが、ボンクラな感想しか書けません。

 伊坂幸太郎作品の特徴と言えば、ウィットに富んだ会話と最終章で回収される伏線の妙あたりだとだと思います。
 そこら辺は本作でも顕在だったと思うのですが、自分にはいろいろとわからない作品でもありました。

 わからなかった、一番の原因は本作が作者である伊坂幸太郎が言うところの「恋愛もの」だったからかもしれません。
 作中登場する男女が、なぜくっつくのか、くっつかないのか、別れるのかとかがよくわからなかったですよね。
 例えば第一章の「アイネクライネ」で由美がどうして一真のような男をを選んだのかがわからないし、第三章の「ドクメンタ」でなぜ藤間の奥さんが出て行ったのかもよくわからなかったし、第四章の「ルックスライク」で朱美が邦彦と別れた理由がやっぱりよく理解出来ませんでした。モヤモヤ感だけが残ったかな。
 まぁ男女の機微なんてそういうものだよ、と言われたら何も反論は出来ないのですが。

 それから純粋に物語としてよくわからなかったのですが、第五章の最後の一行、
>実は驚きべきことに、そのどちらかのパターンが現実のものとなるのだが、もちろんその時のわたしたちは知らない。
 というのは、伏線として、最終章で回収されてるんですかね?つまりどっちのパターンが現実となったのか、最終章で明かされてるんでしょうか。
 イマイチよくわからなかったのですが…。

 あと、これは作者への不満。
 最終章で【檄を飛ばす】という慣用句が「励ます」という意味で用いられていました。本来【檄を飛ばす】という慣用句は「自らの考えや主張を人に知らしめる」という意味で、「励ます」という意味はありません。
 まぁ【檄を飛ばす】を「励ます」の意味で誤用することが一般化しつつありますが、それでも誤用は誤用であって、誤用を堂々と用いることには感心しません。
 伊坂幸太郎って言葉の一つ一つに気を配っているのかと思ったのでちょっとガッカリしました。

 そんなところです。
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする