goo blog サービス終了のお知らせ 

この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

不愉快にもほどがある!

2024-03-25 22:32:56 | 戯言
 先日の記事で、当ブログは日本一長い間毎日記事を更新しているブログであり、日本一映画『ガタカ』の考察記事を掲載しているブログかもしれないと書きました。

 ついでだからもう一つ日本一を挙げておくと、当ブログは日本一荒らしに寛容であるブログかもしれません。
 何しろブログ開設以来、荒らしコメントを一度も削除したことがないですからね。
 いや、一度も削除したことがないというのは言い過ぎでした。
 一つの記事に50ぐらい荒らしコメントがついた時は一般のコメントがあまりにも後ろに追いやられるので、仕方なく重複したコメントや、意味のないコメントは削除しました。
 それぐらいかな。

 荒らしに寛容であるという言い方にも語弊がありました。
 自分は荒らしコメントに対してフツーに言い返してますからね。
 世の中には荒らしは徹底的に無視すべし、という指針のブログもあるようですが、自分は某テレビドラマよろしく荒らしコメントには三倍返しで言い返しています。
 例えば「死ね」というコメントがついた時には、「見ず知らずの人間に「死ね」というからにはあなた自身が生きる価値がある人間だと証明する必要があるかと思います。どうせあなたなんてバイトから帰ってきて他にやることもなく、ネットサーフィンをして、匿名であることをいいことに気に入らないブログに言いたいことを言っているだけでしょう?そんな人間に果たして生きる価値があると思いますか?」などとレスしています。
 やべぇ、言い過ぎた、と反省することもしばしばです。
 加減をするのが難しいです。

 ともかく自分は荒らしコメントで傷ついたり、落ち込んだり、腹が立ったりしたことがありません。
 なぜ自分が荒らしコメントを受け流せるかというと、理由は主に二つあります。
 一つは自分は言葉には正しいか正しくないかとは別に、重いか、軽いかがあると考えています。
 自分にとって荒らしの言葉は限りなく軽いのです。
 心に届かないんですよね。
 だから、荒らしの言葉に心が傷つくこともないのです。

 そしてもう一つは、荒らしの言葉がどれほど不愉快だったとしても、現実世界の不愉快さに比べたら全然大したことがないからです。
 自分は会社の倉庫の管理責任者をしています。
 管理責任者というと聞こえはいいですが、要は雑用係です。
 そして倉庫の清掃も自分の仕事の一つです。
 それでですね、倉庫でゴミをポイ捨てする奴がいるんですよ。
 自分が何度注意してもそいつは聞く耳は持ちません。
 堪忍袋の緒が切れて、そいつがポイ捨てしたゴミをそいつの商品棚と壁との隙間に捨て直すことにしました。
 最初のうちは目立たなかったゴミも次第と溜まっていき、そのうち隙間から溢れんばかりになりました。
 フツー、そこまでなったら、ポイ捨てするのを止めますよね?
 でもそいつはポイ捨てを止めないんですよ。
 正直、怖くなりました。
 最終的に上司に見つかり、どういうことなのかと質され、正直に答えました。
 自分は上司から注意されましたが、そいつも注意されました。
 そいつはポイ捨てを止めたのか。
 止めないんですよ、やっぱり。
 自分がそいつのことを不愉快に思ったら、自分の器が小さいんですかね?
 そいつの存在の不愉快さに比べたら、ネットで見ず知らずの人間から「死ね」と言われることなんて本当に全然大したことがないです。
 自分もネットの荒らしコメントに落ち込んだり、傷ついたりできるぐらいに、現実世界の不愉快さが無くなればいいなと思わずにはいられません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あなたのことなんて大嫌い!顔も見たくない!と言ったからといって嫌いだとは限らない。

2024-03-23 20:23:15 | 戯言
 ここだけの話、当ブログは10年以上毎日記事を更新しています。
 もしかしたら日本一長く毎日記事を更新しているブログかもしれない、なんて思うこともあります。
 まぁ世の中には「ふっふっふ、ワシは50年以上毎日ブログを更新しているがのう」なんていう妖怪じみたブロガーさんもいるかもしれませんが。笑。

 それとは別にまず間違いなく日本一だろうと思っているのが映画『ガタカ』の考察記事数の多さです。
 どれぐらいあるのか、書いた本人もわからないぐらいです。
 なぜそんなに『ガタカ』の考察記事数が多いのか?
 理由は簡単、自分の考察を支持してくれる、もしくは認めてくれる人がいないからです。
 だからあれこれ手を変え、品を変え、考察しているというわけですね。

 世の中の多くの人は『ガタカ』という映画を「翼を持たぬ主人公が努力の末に翼を得て、本来翼を持つ者しか立つことを許される高みから飛び立ち、大空を自由に飛び回るお話」だと捉えている節があります。
 それだとなぜ主人公を送り出した友人が焼身自殺をしたのか、理由がわかりません。
 焼身自殺をしたのはDNAを採取されないようにするためだとまことしやかに言っている人がいますが、まず焼身自殺をしたからといって必ずしもDNAが採取されないわけではありません。
 焼死体からDNAが採取されることはままあります。
 それを目的として自殺するのであれば、より適した方法がいくらでもあるはずです。
 何より誰に対してDNAを採取されないようにしたというんでしょうか。
 主人公が地球から去った時点で主人公と友人の関係を追及する者は誰もいません。
 存在しない追及者の手から逃れるために命を絶ったとすればこんな馬鹿な話はありません。

 自分は『ガタカ』のことを「翼を持たぬ主人公が翼を持つ者しか立つことを許されぬ高みから飛び立った話」だと思っています。
 翼を持たぬ者が高みから飛び立てばどうなるか、自明ですよね。
 友人が命を絶ったのは、生涯たった一人の親友を死地に送り出したから、そして親友に二度と会うことがないということを知っていたからです。
 自殺の動機としてはお釣りが出るほど充分じゃないでしょうか。

 自分は自分の考察に間違いはないと確信しています。
 支持してくれる人は皆無なのですが…。

 先日久しぶりに『ガタカ』の考察記事の一つにコメントがつきました。
 要約すると「主人公の弟が主人公に対して「不適正者に自分が負けるわけがない」的なことを言っているのだからあなたの考察は間違っているのではないか」というものでした。
 自分はそのコメントを読んで、う~~~んと唸ってしまいました。
 鋭いところを突かれた、と思ったのではありません。
 そこから説明しなくちゃいけないのかと思ったのです。
 確かに主人公の弟は主人公に対してそのような発言をしています。
 自分にとってそのことは主人公の弟がそういった発言をしたというだけであって、それ以上でもそれ以下でもありません。
 しかしコメントされた方は主人公の弟はそういう発言をしたのだから、そう思っているのだ、と捉えているようです。
 いや、それは違うんじゃないかなぁ。
 自分の考察が正しいかどうかはさておき、『ガタカ』に限らず、登場人物がそう言っているのだから、そう思っているのだ、という捉え方はしない方がいいと思います。
 なぜなら言葉と思いは必ずしもイコールではないからです(イコールの場合ももちろんあります)。
 ヒロインが主人公に対して「あなたのことなんて大嫌い!顔も見たくない!」と言ったからといってヒロインが主人公のことを嫌いだとは限らないですよね(『ガタカ』のことではないです)。
 自分にとっては当たり前のことですが、世の中すべての人がそういうわけじゃないということを改めて知らされました。

 今自分が述べたことはこちらのネット記事の方がわかりやすいかもしれません(こちら)。
 わかりやすいのと同時に辛辣な口調で書かれていますが…。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

なぜ自殺をしてはいけないのか?

2024-02-17 23:04:53 | 戯言
 昨日の記事の続き、セットのようなものです。

 実は、ってほどのことではないですが、当ブログでは過去にも「なぜ自殺をしてはいけないのか?」をテーマに記事を書いたことがあります(こちら)。
 その時書いたことと重複しますが、自殺をしてはいけない理由なんてものは個人レベルではないんですよ(あれば教えて!)。
 なぜなら、私たちは未だに「死」を定義することが出来ていないからです。
 それが永遠の別れなのか、別れは一時的なものなのか、救済なのか、断罪なのか、まったくわかっていません。
 また死後の世界が存在するかどうかもわかってないですよね。
 もしかしたら死後の世界は自殺をした人が「もっと早く死んでおけばよかった!」と思うような、文字通り「パラダイス」みたいな場所かもしれません。
 死後の世界が「パラダイス」だとしたら、「自殺をしてはいけない」というのは明らかにおかしいですよね。

 断っておきますが、自分がそう考えているわけではないですよ。
 自分は物事を悲観的に考えるたちなので、生きている間思うがままにならなかったのであれば、それは死後の世界においても同様であろう、死後の世界がパラダイスであるわけがない、そう考えています。
 でもそれは自分がそう考えているだけであって、死後の世界はパラダイスに違いないと思い込んでいる人に、そんなことはありえないと否定するほどの根拠を持ち合わせてはいるわけではありません〈おそらく誰もそんなものは持っていない)。
 特に根拠があるわけでもないのに、他人の行動や思想を否定していいのか、そう考えてしまいます。

 先ほど、自殺をしてはいけない理由なんてものは個人レベルではないと述べました。
 ただし、個人レベルではなくても、社会レベルではあります。
 自殺者が多い社会は当然生産性が低いですし、そもそも自殺者が多い社会は維持していくこと自体が困難です。
 ですから、自殺をしてはいけない理由を強いて挙げるとすれば、自殺者が多いと社会を維持していくことが困難だから、ということになります。
 
 為政者は社会を維持し、発展させるために、自殺者を減らす、つまり、人々が希望を持って生きていける社会を作る義務があります。
 それに成功すれば自殺者は減り、失敗すれば増える、それだけの話なのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

とりあえず山に登れ!

2024-02-16 21:26:11 | 戯言
 著名人の方が自殺すると、そのことを取り扱った記事では記事の最後に【命の電話】が紹介されていることが多いですね。
 【命の電話】、「死にたい」と思うことも最近はないので(最近?)かけたことはありませんが、その電話でどんな話をするのか、カウンセラーの方がどんな言葉をかけてくれるのかは興味があります。
 やっぱり、「生きてさえいればいいことがある」的な言葉ですかね?
 「生きてさえいればいいことがある」というのは無責任で中身のない言葉だと思います。
 経験上言わせてもらうと、生きているだけで、つまり、部屋に引きこもって誰とも会うことなく、ひたすらパソコンのキーボードを叩いているだけでは「いいこと」が向こうから転がり込んでくるなんてこと、ありえないですから。
 相手のことを心から心配し、徹底的に面倒を見る覚悟があれば話は別ですが、その場しのぎに「生きてさえいればいいことがある」というのはどうかって思いますね。
 それとも「残された人が悲しむからじ死んではいけない」的な言葉でしょうか。
 申し訳ないですけど、この言葉が一番腹が立ちますね。
 「残された人が悲しむから死んではいけない」というのは、言い換えれば「悲しむ人がいない人は死んでも構わない」ってことじゃないですか(自分にはそう聞こえます)。
 見ず知らずの人に「死ね」と言われても特に思うことはありませんが、誰かが「残された人が貸しむから死んではいけない」と言っているのを聞くたびに、そうか、自分は生きていても仕方のない人間なのだなと気持ちがどんよりして生きる気力が削られます。
 
 自分がもし「死にたい」という人に出会ったとしても自殺を止めるようなことはしないと思います。
 その人も理由もなく死にたいわけではないでしょうからね。
 ただ、その人の「死にたい」が本当の「死にたい」なのか、それとも一時的な気の迷いなのか、それを見極める必要はあるかと思っています。
 ビルから飛び降りたはいいが、やべっ、ほんとに死にたいわけじゃなかった!と気づいても後の祭りですから。

 自分がもし「死にたい」という人に出会ったら、「とりあえず山に登れ!」って言いますね。
 山に登って頂上まで行け、と言います。
 自分は「生きる」というのは単に「生きている」だけではダメだと思っています。
 明日はこうしよう、将来はこうありたい、そういった希望を抱いて生きることが本当の「生きる」だと思うのです。
 美味しいものを食べて美味しいと思い、本を読んだり、映画を観たりして感動する、涙を流し、喜び、時に怒り、悲しむ、それが「生きる」ってことなんじゃないでしょうか。
 心が死んでいたら、生きていても仕方がないって思いますね。
 だから前述の「山に登れ」は「本を読め」でも「映画を観ろ」でも構わないのですが、本や映画って駄作である確率も低くはないので(というか高い)、「死にたい」という人に薦めるのはちょっと怖いです。

 その点登山は、頂上まで登って、遠くの景色を眺めたら、(高確率で)心が揺り動かされると思うのです。
 もし心が揺り動かされるようであったら、その人の「死にたい」は本当の「死にたい」じゃない。
 だったら生きればいいのに、って思います。

 ちなみに自分は先日黒髪山に登った時、山頂ではあまりにきつすぎて、「きつい」しか感想はなかったですけどね。
 自分も存外心が死んでいるのかもしれません。笑。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

奴らを高く吊るせ!

2024-02-15 20:56:23 | 戯言
 Amazonマーケットプレイスに注文していたトレッキングポールが本日無事到着しました。

   

 何やかやありましたが、届いた品物はすごく良さげです(実際の登山ではまだ使用してないので最終的な判断は下せませんが)。
 3月17日に大分の「高平山」と「猫ヶ岩山」に登る予定なので、その時が実戦デビューですね。
 今から楽しみです。

 話はころっと変わりますが、原作者の自殺という最悪の結果を招いた『セクシー田中さん』の脚本トラブル問題はまだ尾を引きそうですね。
 自分はこちらこちらで意見を述べているので、もういいかと思っていたのですが、気になることがあるのでもう少しだけ自分の考えを述べたいと思います。

 これまで述べたことを改めて書くと、まず脚本家の相沢友子氏に非はないということです。
 『セクシー田中さん』のように、1話目から8話目までの脚本を担当し、残り2話に関してはノータッチというような、特殊なかかわり方をした場合、その作品が絶賛であれ、酷評であれ、どのような評価をされたとしても、自分がどのようなかかわり方をしたのか、自らのの立ち位置をはっきりさせておきたいと思うことは、クリエーターとして、それ以前に人として、当然のことだと思います。
 ドラマのプロデューサーはある程度責任があるでしょうね。
 彼は原作者の芦原さんの出した「必ず漫画に忠実に」といった条件を安請け合いしてしまった。
 結果から言えばそうするべきではなかった。
 ただ、プロデューサーを擁護するわけではないですが、彼をそこまで責めることは出来ないと思います。
 プロデューサーにしても、別に原作にまったく忠実でないドラマを作ろうとしたわけではないと思うのです。
 忠実の度合いが原作者と大きく異なっていたというだけで。
 結局、原作に忠実であるかどうかといった、個人によって判断が異なることを条件に出した芦原さんにも落ち度があったと自分は考えます。
 今後、原作者が自作の実写化に際して条件を出す場合、抽象的で曖昧な表現は避け、具体的でわかりやすいものにする必要があるでしょう。

 今回の件が切っ掛けになって、原作者とドラマの制作者が対等な関係になり、より良い実写化作品が生み出されたらいいなと自分は考えます。
 特定の個人が必要以上に責められるようなことがあってはならない、そう思います。

 しかし、そう考えるのはごく少数派のようで、今も脚本家とプロデューサーに対する激しいバッシングがネットでは見受けられます。
 まるで、奴らを高く吊るせ、とでも言っているかのようです。
 彼らをバッシングしている人たちに問いたいのですが、もし脚本家の相沢氏が今回の件で絶望し、芦原さんに続いて自らの命を絶ったとしたら、どうしますか?
 ざまーみろ、と快哉を叫びますか?
 それとも(バッシングすることで)まさか命を絶つとは思わなかったと言い訳をするつもりですか?
 もし、まさか命を絶つとは思わなかったという言い訳で免責されるのであれば、相沢氏やプロデューサーだって自分たちの行動や発言でまさか原作者が自殺するとは思ってなかったでしょうから、同様に免責されるべきではないでしょうか。

 原作者とドラマの制作者が対等な関係になればいいなとは思いますが、そのために誰かが犠牲になる必要はない、そう思うのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

実写化作品は原作に忠実であるべし。

2024-02-03 20:17:54 | 戯言
 漫画家の芦原妃名子さんが自殺された件はまだ尾を引きそうですね。
 それだけ根が深い問題だということでしょう。

 芦原さんは『セクシー田中さん』ドラマ化に際し、「必ず漫画に忠実に」という条件を出したそうです。
 正直、自分はそれってどうなのかって思いますね。
 まず、二次元の作品を三次元に起こすとすればどうしたって忠実でない部分が生じるはずです。
 現在公開中の映画『ゴールデンカムイ』は世評もよく、自分も面白いと思いましたが、100%原作に忠実化というとそういうわけでもないようです。
 ヒロインの少女アシㇼパは原作では10代前半という設定ですが、映画では23歳の山田杏奈が演じています。
 もし実写化作品は原作に忠実でなければいけないというなら、アシㇼパはもっと若い女優が演じなければいけないはずです。
 三次元に起こすときに忠実でない部分が生じる件は置いておくとしても、忠実であるかどうかの判断は誰がするのでしょうか。
 100人が見て、そのうち50人以上が原作に忠実だと判断すれば、その実写化作品は原作に忠実だと言えるのか。 
 もしくは100人のうち99人が忠実でないと判断しても原作者一人が忠実であると認めたら、その実写化作品は原作に忠実なのか。
 原作に忠実であるかどうかの基準はあまりに曖昧です。
 実写化作品においては原作、及び原作者へのリスペクトが不可欠だ、といった事柄も同様に基準は曖昧です。
 リスペクトしているかどうかは誰が、どこで判断すればよいのでしょうか。
 読心術でもない限り、リスペクトしているかどうかなんて誰にもわからないことだと思いますが。

 断っておきますが、自分は何も実写化作品は原作に忠実である必要はないと言っているわけではありません。
 また、原作、及び原作者へのリスペクトは不要だとも言っていません。
 自分はドラマ化の契約に際し、基準が曖昧なものは避け、具体的でわかりやすいものでないといけないと言っているのです。

 芦原さんはドラマ制作のスタート後、「性被害未遂・アフターピル・男性の生きづらさ」など作品の核となる部分がドラマで描かれていない理由についてプロデューサーに訊ねたが、納得のいく返事はもらえなかったそうです。
 自分が作品で訴えたいことが描かれていなかったら、その理由を尋ねたいと思うのは当然です。
 ただそれは、ドラマ制作がスタートする前に訊くべきことだったのではないでしょうか。
 ドラマの中でアフターピルのエピソードがきちんと描かれるのか、事前に訊いていたら、このように問題がこじれることはなかったと思います。

 漫画が実写化される際、原作者の権利は非常に弱いと聞きます。
 でもそれはおかしな話です。
 どのような漫画であれ、原作者がゴーサインを出さなければ実写化はされないはずですから。
 原作者は自作の実写化においてもっと強い態度で臨んでよいと思います。
 そのためにはきちんとした契約書が必要ですよね。
 その契約書には曖昧な基準、曖昧な表現は避け、出来るだけ具体的に、こと細かく条件を提示するべきでしょう。
 そうすることで原作者と制作サイドが対等な関係になり、より良い作品が生み出せるものと自分は信じています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

姪っ子が可愛くない件について。

2023-12-21 21:39:09 | 戯言
 タイトルの通りです。
 姪っ子のメイ子が可愛くないんですよね。
 どこが可愛くないのか?
 顔が、ってわけではないですよ。
 いや、顔も充分可愛くないのですが、それは遺伝的なこともあるので、必ずしも本人の責任というわけではないですよね。
 問題は性格が可愛くないことです。

 今年の3月、メイ子がお袋に「誕生日を祝って!」とお願いしてきました。
 親元を離れ、親しい友人もおらず、誰からも誕生日を祝ってもらえないので、近くに住むおばあちゃん(と自分に)誕生日を祝ってもらおうと考えたのでしょう。
 それ自体は別に悪いことだとは思わないですよ。
 誕生日を祝って欲しい気持ちは理解できることですから。
 問題は一ヶ月ほど前のお袋の誕生日にメイ子は誕生プレゼントはもちろん、お祝いの電話一つ寄こさなかったってことです。

 会社の寮の駐車場にメイ子を迎えに行った自分は、彼女に「1月31日が何の日か知ってる?」と尋ねました。
 彼女は知らないと答えました。
 「お袋の誕生日だけど」と言うと、彼女は短く、あ、と言いました。
 「あのさ、誰の誕生日を祝うのも、祝わないのも、それはその人の勝手だけど、誕生日を祝っていない、それどころかいつが誕生日なのかも知らない人に、自分の誕生日を祝ってなんて言うもんじゃないよ」と諭しました。
 それから、二人でショッピングモールに行き、メイ子に彼女のお金で一ヶ月遅れのお袋への誕生プレゼントを買わせ、その後メイ子に誕生プレゼントで本を買ってあげました。
 お袋は孫からの一ヶ月遅れのプレゼントをすごく喜んでましたよ。
 プレゼントを持ってきた孫が自分の誕生日なんて知らないとは思いもせずに。

 何かそんなことばっかりなんですよ。
 いつもメイ子に会うたびに教え諭す、っていうか、説教しています。
 でも疲れちゃいました。
 教え諭すにしろ、説教にしろ、相手が改心することを期待してするものじゃないですか。
 メイ子の場合それがまったく期待できないんです。
 こういうことはやってはいけないよ、相手が不快に思うかもしれないからね、と言ったことを平然とやるんです。
 もう説教する気にもならない…。

 自分なりに彼女のことを可愛がってきたつもりです。
 何と言ってもたった一人しかいない姪っ子ですからね。
 映画に連れて行ったり、コンサートに連れて行ったり、パラグライダーに連れて行ったり…。
 もちろんその時かかるお金は全額こちら持ちです。
 それでいいって思ってました。 
 何と言ってもたった一人しかいない姪っ子なのだし…。
 と思ってましたが、それももう限界。
 もうこれ以上彼女に嘘を吐かれたり、振り回されたり、不愉快な思いをさせられたくありません。
 ぶっちゃけ縁を切りたいです。
 でもそれも難しいんですよね。
 赤の他人ならともかく、親戚となると。。。

 今週末、クリスマスですが、メイ子がお袋に一緒にケーキを食べたい、と言ってきました。
 ふぅ、って感じです。
 クリスマスは、というか、23日ですが、ちょっと贅沢をしようということになって、お袋とフグを食べに行く予定でした。
 ただ、23日にフグを食べに行き、24日にメイ子のために何かご馳走を用意するということも出来ないので、結局3人で行くことになりました。
 どうですかね、向こうからクリスマスを一緒に過ごしたいと言ってきたのですから、何か気の利いたものでも持ってきますかね?
 自分の予想だとメイ子は手ぶらで来ると思います。
 それがメイ子らしいので。
 そうじゃなければ少しは彼女のことを可愛く思えるのですが…。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

富士登山はわからないことだらけ。

2023-12-20 21:32:48 | 戯言
 来年の8月に富士山に登るつもりだ、ということはすでに一度ならず書きました。
 先日、そのためのトレッキングシューズをスポーツ用品店で買いました。
 今はザックを探しているところです。
 スポーツ用品店でトレッキングシューズを買った際に思ったのは登山は金持ちの道楽だなってことでした。
 登山用具一式をスポーツ用品店で買い揃えたらとんでもない金額になるからです。
 ザック一つとっても2万円前後はしますからね。
 ただ、言うまでもなく、登山用具は別にスポーツ用品店で揃えなくちゃいけないわけではありません。
 なのでスポーツ用品店で購入するのはトレッキングシューズだけにして、ザックなど残りの登山用具はネットなどで買うことにしました。
 スポーツ用品店で2万円したザックがネットでは3千円ぐらいで売られています。
 もちろんスポーツ用品店で売られていたザックは有名ブランド物で、ネットで売られているものとは文字通り「物」が違うんでしょうけれど、それでも驚くほどの価格差です。
 有名ブランドのザックを買えない以上、ネットで買うしかないわけですが、だからといって安物買いの銭失いはしたくない…。
 一応自分の希望としては価格は5千円程度、撥水加工がしてある、、容量は50Lぐらいの普段使いが出来るものなのですが、あれ、条件高杉くんですか?笑。
 今はまだどのザックがよいかわからないので、正月休みにゆっくり探してみるつもりです。
 お薦めのザックがあれば教えてください。

 わからないといえば、富士山での歯磨きですね。
 一応富士山でも歯磨きはオッケーらしいです。
 ただ、その際は持参した水で口をゆすぎ、歯磨き粉の使用はNGとのこと。
 持参した水を使用するってのはわかるんですよ。
 富士山では水は貴重でしょうからね。
 ただ、歯磨き粉のしようがNGというのがよくわからない。
 調べたら歯磨き粉は環境に悪影響を及ぼすから、だそうですが、逆に言えば私たちは普段環境に悪影響を及ぼすようなものを使って歯を磨いているってことなんですかね?
 環境に悪影響を及ぼすのであれば、身体にも良くないような気がするのですが、その点はどうなんでしょうか。
 調べてもよくわかりませんでした。

 よくわからなかったけれど、調べたらわかったことがあって、それは富士登山ツアーはいつ申し込めばいいのかってことです。
 旅行会社のサイトを見ても載ってないので、直接電話して聞いてみました。
 富士登山ツアーの申し込みは(遅くとも)2月に受付け開始する予定だそうです。
 そうなんですね、自分は富士登山って人気だから、その年のシーズン終了後すぐに翌年のツアーの申し込みを受付けているのかと思ってました。
 ということは2月になるまでは焦っても仕方ないってことでしょう。

 ただ、富士山に登るためには往復の飛行機のチケットを購入し、東京でのホテルも確保しないといけません。
 ツアーの受付けがいつからなのかわからなかったときはツアーの申し込みをしてから飛行機のチケットを購入し、ホテルの予約もするつもりでした。
 でも2月まで待たなければいけないのであれば、順番を変えて、先に飛行機のチケットを購入し、ホテルの予約を済ませてからツアーの申し込みをしてもいいような気もします。
 飛行機のチケットにしろ、ホテルの予約にしろ、基本的に早ければ早いほど料金は安いですからね。
 でもそういうふうに順番を変えない方がいいような気もする…。

 富士登山はわからないことだらけです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

年賀状を出そうよ♪

2023-12-13 21:24:55 | 戯言
 まず最初に結論から述べておくと、年賀状を出す、出さないはその人の自由だと思います。
 ただ、送られてきた年賀状に返事を出さない人は「人間のクズ」だと思います。
 以上。

 で、終わらせてもよかったのですが。笑。

 昔は、といっても原始時代とかじゃなくて、自分が学生だった頃は、ですが、自分もまめに年賀状を出す方でした。
 もちろん印刷などではなく、一枚一枚手書き。
 いろいろ趣向を凝らしたりもしました。
 しかしいつしか自分も年賀状を出さなくなりました。

 なぜか?
 理由は単純、返還率(といえばわかるかな?)が尋常じゃなく悪かったからです。
 こちらから年賀状を出しても、向こうは返してくれなかったのです。
 つまり、自分の周りには人間のクズばかりだったってことですね。
 
 ただ、人間のクズにはなりたくなかったので、送られてきた年賀状には必ず返事を書いていました。
 といっても年を経るごとに送られてくる年賀状は減って、今ではスズキのディーラーの他にはチャチャラ時代の知り合いぐらいしか送ってこないんですけどね。
 チャチャラって言っても「何ですか、それ?勝俣が所属していたグループ?」と思われる方がほとんどだと思いますが、ディオンユーザー向けの3Dチャットのことです。
 SNSと言う言葉があったかどうかさえ定かではありませんが、ネットワークのサービスではチャチャラが一番楽しかった気がします。
 そのチャチャラの知り合いが毎年年賀状を送ってくれるのです。

 まぁ不思議と言えば不思議ですよね。
 その人とはチャチャラが消失して以来、年賀状のやり取り以外交流がないのですから。
 何度か(年賀状をもらえるのは嬉しいけど)ブログにもコメントして!とお願いしたことがあります。
 そしたら年始に何回かコメントをくれるのですが、それだけ。
 2月になるとピタリとコメントしなくなります。
 なぜ年始にしかコメントをしないのか、聞いたことがあります。
 するとその人はこう答えました。
 歯医者に親知らずの治療に行かなくちゃいけないから。
 そっかー、親知らずの治療をしなくちゃいけないから年始にしかコメントできないのか―。
 って、んなわけあるかぁあああああああ!!!
 とにかく不思議と言えば不思議なのです。

 今年は久しぶりにその人にこちらから年賀状を出そうかなと思っています。
 何て書こうかな、お節料理の食べ過ぎに注意か、それとももう親知らずの治療は終わったか?あたりですかねぇ。
 大したことを書くつもりはありません。

 皆さんも年始の挨拶にメールもいいですが、ちょっとだけいつもより手間をかけて年賀状を書いてみませんか。
 そこから思いがけず長い付き合いが始まるかもしれませんよ?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

汝、ミスをするべからず。

2023-12-12 21:45:24 | 戯言
 今日の記事は基本的にノンフィクションですが、事情によりいろいろ誤魔化さなければいけないので、いつも以上にわかりにくい文章になっていると思います。
 ご容赦ください。

 ミスの多い生涯を送ってきました。
 という自覚があるので、自分は取り引き業者が何かミスをしてもあまり五月蠅く言わないようにしています。
 特大のブーメランになって帰ってくることは目に見えてますしね。
 ただし、N伝導機器とM産業に関してはその限りではありません。
 
 以前自分が何かしらのミスを犯した時、N伝導機器の営業のKが「何でそんなミスをしたんですか?」と聞いてきました。
 「誰だってミスはするだろ」と言うと、Kは涼しい顔で「うちはそんなミスはしないですけどね」と言いやがりました。
 悔しかったのですが、何も言い返せませんでした。

 そのN伝導機器ですが、先月は7500円の商品を17500円で伝票は切ってくるし、Aサイズの商品を注文したのにBサイズの商品を送ってくるし、翌日正しい商品を送って来たかと思えば数量が違うし、成績証明書付きで発注した商品を証明書なしで送ってくるし、よくそんなにミスをするな!と感心するぐらいミスりまくりでした(ただし、現在の担当はKではない)。

 M産業の方はというと、以前、うちが発注した商品とは別の商品を送り付けてきたことがありました。
 営業のHは平身低頭で「大変申し訳ありません。正しい商品は本日発送します」と言うので、「次からは気をつけて」と注意するに留めました。
 そしたら今度はうちが発注ミスをしたんですよ(特注でも何でもなく、M産業が在庫で置いている商品です)。
 何とか返品できないか、と聞いたら、Hは当たり前のように「返品手数料30%いただきます」と言いました。
 この前はそっちもミスしたじゃん、と言うと、Hは「それとこれとは話が違うんで」と言いやがりました。
 どう話が違うんだよ!教えてくれよ!
 あのときのHの対応には心底ムカつきましたね(ただし、現在の担当はHからNに代わっている)。
 うちの発注ミスでペナルティがつくなら、そっちの発送ミスでもペナルティをくれよ、と言いたいです。

 今日入荷したM産業の商品で13ケースないといけないものが12ケースしかなく、さらに44束ないといけないものが43束しかありませんでした。
 一度に二つも数量ミスをする?
 ただ、結論から言うとM産業のミスではありませんでした。
 13ケースの商品の方は運送業者の積み残しで、44束の商品の方は出荷工場の出荷ミスでした。 
 とはいえ、数量が不足していることを営業のNに説明しなければならず、それが超面倒!
 同じことを何度も何度も何度も繰り返し説明する羽目になりました。
 今言ったことはすでに何回か言ってるよね?
 そんなに自分の説明は下手?
 とキレそうになりました。
 っていうか、実際ブチ切れました。
 いや、断っておくと相手がM産業でなければそこまでブチ切れることはないんですけどね。

 人間誰しもミスは避けられないものなので、ミスに対して寛容になりたいものです。
 まぁ寛容になれるかどうかは相手に寄るけどね。笑。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする