ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 柿崎明二著 「検証 安倍イズム」 胎動する新国家主義 (岩波新書 2015年10月)

2016年12月09日 | 書評
安倍流国家介入型政治(国家先導主義)は、戦前型政治体制へのノスタルジア その情緒的イメージ戦術に惑わされるな 第11回

3) 国家とは何か (その1)

外交、安全保障のみならず、経済、社会のあらゆる分野に国家が関わっていくべきだとする安倍イズムは国民と国家の関係を「国民の権利、自由、そして民主主義、これを担保しているのは、実は究極的に国家です」、「その国家自体の危機が迫るときに在っては、国民の皆様にも協力をしていただかなければいけない」(2002年5月衆議院特別委員会)という国家観を述べている。こうした安倍の国家観の口癖には、いつも他国からの武力攻撃や侵略が持ち出される。他国対日本国、国民という構図である。戦争時であれば説得力ある論理かもしれないが、しかし問題は平時である。国家と国民、個人が対峙することになる。国家賠償請求訴訟について安倍は「賠償金は税金で支払われる。だから国家と国民は対立関係にあるのではなく、相関関係にある」というが、国家が国民に対して抑圧装置になることとは、国家が自由や権利を制限したり民主主義を否定する場合である。戦前のように国家が個人の人権に優先していいものか空恐ろしい状況が想定できる。安倍の国家観はいわゆる擬人的「家父長的国家観」である。「従ってくれば悪いようにはしない」という口約束はいつまで有効か信用できたものではない。パターナリズム父権主義が安倍の国家観の基層にある。その観点から安倍は国家の権力はフリーハンドでなければならない、つまり国家の権力(最高権力者)を法律で縛るという立憲主義を嫌うのである。まるで明治時代に逆行している。国家はいつもや優しい父親の愛情で国民を包むのであるから、甘えてついてきなさいというのと同時に、国民には相当の義務があるという、飴と鞭で迫るのである。国家は悪でないにしても「不完全なもの」であり、かつ誤りを犯すこともあり得るので、権力、権限の行使は抑制的でなければならないという観点は安倍にはない。
安倍の思考の基層には、祖父岸信介の影響が濃厚(いやそっくり)である。だからこの節では岸イズムというものを復習しておこう。岸の国家観は国民の自由の敵である共産主義を撲滅する反共主義に貫かれている。安倍も岸の敵対的国家観を受け継いでいるが、安倍の場合は台頭する中国や拉致事件を引き越した北朝鮮が敵対的国家であり、国内では社会主義的思想を持つ労働組合や教職員組合である。1896年生まれの岸は戦前、戦争中の旧商工省、満州国の統制経済の主導者であった。商工省の官僚時代に国家社会主義者で2.26事件の理論的指導者とされる北一輝に「日本改造法案大綱」に強い影響を受けたとされる。岸は北一輝を自分の考えに最も近く、彼から組織的具体的な実行法を学んだという。岸又大岡周明の大アジア主義に影響を受け、満州国に夢を膨らませたという。岸は東大卒業後1920年に農商工ぢょうに入省し、1926年欧米視察で訪れたドイツで目にした国家主導の産業合理化運動に共鳴し、1930年に再度ドイツを訪れ統制経済を日本でも実施すべきだと確信したらしい. 1936年満州国国務院実業部総務司長として満州に渡り、統制経済である産業開発5か年計画の立案に加わった。1939年に日本に戻り商工次官となり、1941年には東条英機内閣に商工相として入閣、後に軍需次官国務相になって開戦の詔勅書に署名をした。戦争中は太平洋戦争遂行のための物資調達に当たった。敗戦後はA級戦犯として逮捕されたが起訴されなかった。1957年石橋内閣の後をついで首相の座に就き、日米安全保障条約改定(60年安保)の責任者となった。岸は自由民主党時代に、「自主憲法の制定と防衛体制の確立、東南アジアに経済外交の推進、計画的自立経済の確立」を推進した。岸の政策バッテリー(キシノミクス)は具体的には、中小企業団体組織法、中小企業信用金庫法、最低賃金制法、国民健康保険法、国民年金法などを制定した政策通でもあった。1957年の閣議決定した「新長期経済計画」では実質経済成長率を年6.5とした。岸内閣で立案した「所得倍増計画」を引き継ぎ、高度経済成長を謳歌したのが池田内閣であったと言われる。アベノミクスの国家先導主義はキシノミクスの経済計画の流れにあるといえる。

(つづく)