ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 柿崎明二著 「検証 安倍イズム」 胎動する新国家主義 (岩波新書 2015年10月)

2016年12月06日 | 書評
安倍流国家介入型政治(国家先導主義)は、戦前型政治体制へのノスタルジア その情緒的イメージ戦術に惑わされるな 第8回

2) 阿倍は「何を取り戻すのか」 (その1)

民主党内閣のお粗末な政権運営の後を受け、自民党の圧勝が予想される2012年12月の総選挙において、安倍の「日本を取り戻す」という選挙ポスターがやたら目についた。その意味が釈然としないまま第2次安倍内閣が誕生した。次第に2つのメッセージが鮮明となった。一つは2013年4月28日政府主催の「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」で、安倍首相は「サンフランシスコ講和条約の発効によって占領が終了し、主権を取り戻した。日本を日本人自身のものとした記念すべき日である」と位置付けた。多くの国民にとって終戦記念日とは8月15日であったが、1945年9月2日から1952年4月までは主権を奪われた「歴史の断絶」であったという意味だ。その間に出来た現行憲法、教育基本法、極東軍事裁判、戦後民主改革などは認めないというのが安倍の基本的立場である。それは等は狭い意味での「戦後レジーム(占領レジーム)」からの脱却に対象となる。もうひとつのメッセージとは2014年2月11日の建国記念日の安倍のメッセージである。美辞名文で飾られた情緒的な挨拶である。「建国を偲び、国を愛する心を養う日です。瑞穂の国と言われた美しい日本を、より美しい誇りある国にして責任を痛感し、決意を新たにします」 建国記念日は1966年い制定されたが首相がメッセージを出すのは安倍が初めてであった。無内容な言葉であるが、あえて言えば占領の時代に失われた日本の誇りと日本の心を取り戻すという意味である。情緒的と一笑に付してもいいくらい無内容な言葉の羅列であるが、天皇制軍国主義者(今では右翼)の心根と言える、そのような首相の下で日本の右傾化が一層加速され、責任ある要職に右傾化した安倍チルドレン(安倍応援団)の人々が任命されていった。それまで片隅に居た古い右翼的傾向の人々が日本の全面に出てきた。
2014年7月1日に行った「集団的自衛権」の行使を容認する歴史的な閣議決定は安倍イズムの端的な強硬論である。豊下楢彦著 「集団的自衛権とは何か」(岩波新書 2007年)や、豊下楢彦・古関彰一著「集団的自衛権と安全保障」(岩波新書 2014年7月)に集団的自衛権の歴史と憲法の関係が述べられているので、ここで多くは繰り返さない。自民党歴代内閣と内閣法制局は集団的自衛権はこれを有するが行使しないことを国是(憲法との整合性)としてきた。これを憲法改正の手続きを経ないで、解釈変更を内閣の閣議決定で行い、首相の見解は内閣法制局の見解に優先するというのである。今から20年前に安倍は1995年に「集団的自衛権について今後の審議してゆかなければならない」と提案した。実はこれには1960年岸信介首相の国会答弁に「憲法は集団的自衛権を禁止しているわけではない」とあるのを踏襲しているようである。安倍は集団的自衛権の行使を昨今の日本を取り巻く安全保障環境の変化とアメリカの要請を理由にはしていない。「集団的自衛権を行使できてこそ、まともな国家たりうる」というのが安倍の真意である。内閣法制局と憲法解釈が異なる点については、安倍は「最高責任者は私です。法制局は一部局にすぎない、私が責任をもって答弁をしてる」と強弁を張った。首相がコントロールの効かない独裁者に変身した瞬間であった。

(つづく)