ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 脇坂紀行著 「欧州のエネルギーシフト」 岩波新書

2013年05月20日 | 書評
脱原発と脱化石燃料に取り組む欧州の21世紀エネルギー政策  第4回

序(4)
 
福島第1原発事故に最も敏感に反応したドイツのメルケル首相に影響を与えた「安全なエネルギー供給のための倫理委員会」委員のベック氏がウイルリッヒ・ベック 鈴木宗徳 伊藤美登里編「リスク化する日本社会ーウイルリッヒ・ベックとの対話」(岩波書店2011年7月)のプロローグに寄せた文章が印象的なので要約して示したい。「これは間違いなく世界の模範たらざるを得ない。この出来事の把握に努め、それが思考と行動にどのような変化を及ぼさざるを得ないかについて判断を下すべき時期である」という。原子力という危険と危機はリスク概念に照らし合わせて考えると、次のような問題が指摘できる。
① 世界リスク社会において人間が生み出した危険は、空間・時間・社会・国家・階級の区別を超えて浸透し、これをコントロールするには全く新しい諸制度が要求される。
② 因果性・帰責についての規則は無力である。裁判においてもその原因を特定することは出来ない。
③ 原子力の危険性は技術によって抑えることは出来るがゼロにはならない。世界中の原発が443基を越えた今日、どこで事故が起きても不思議ではない。そしてその結果は確実に悲惨である。
④ 原子力関係者は「安全性のパラドックス」に陥っていた。安全を宣伝するだけ人々は敏感になる。徴候があっただけで専門家・国家・電力会社の正当性及び信頼の没落が始まる。(MOXデーター偽造事件でプルサーマルが停止する事態となる)
⑤ 技術的安全性と安全性に関する社会的な理解との間に深いギャップが存在する。社会的に限定し得ない惨事の可能性が問題となるとき、もはや可能性の大小(リスクの大きさ)の議論は誰も信用しない。(安全と安心の問題)
⑥ 想定しうる最悪のケースは事前の対策をしていると称していつも棚上げにされてきた。恐ろしい最悪のケースには目をつぶってきた。原発のシヴィア事故は統計的に低いとしても、起った場合その結果は火を見るより確実である。
⑦ 安価なエネルギー源を得るためには一定のリスクを負うのは当然という議論があるが、これは欺瞞である。原発の電力コストは極めて高い。リスクの一定以上を経済外行為として国に負担(国民の税金)させる仕組みである。これはまさしく「原発は国家社会主義的」といわれる。投資対利益という自由市場経済の枠外におかれている。
⑧ 今ドイツでは脱原発を急いでいる。脱原発によって責任負担がずっと軽くなるのである。そして再生可能エネルギーに向かっている。
⑨ 広島・長崎の悲劇を受けた日本人は、世界の良心・世界の声として核兵器の非人道性を倦むことなく告発し続けてきたが、その国で核兵器と同じ破壊力を持つ事を知りつつ他ならぬ原子力開発を躊躇うことなく決断しえたのかは理解できない。兵器ではなく生産部門で恐怖が生まれるとき、国民に危害を加えるのが、法、秩序、合理性、民主主義を保証している者である。このことが東京で起ったなら日本にどんな危機が訪れるだろうか。
⑩ 原発の安全神話は失われた。国民を放射線のリスクに曝して常態化させておくと、官僚制によって安全性を保証してきた公共的環境は崩壊する。
⑪ 原子力産業の検査官(日本では原子力安全・保安院や安全委員会)を誰がチェックするのだろう。リスク産業に対する民主的に正当化された政策が求められる。
⑫ 原発事故は地震と津波という自然災害によったと云う詭弁は通らない。福島原発事故は自然災害ではない。地震が頻発する地域(日本全体)に原発を建設するのは政治的決断であって人的行為の結果である。経営者と政府が決めたことであり、そこに事故の責任が存在する。
⑬ 人間社会にもはや「純粋な自然」は存在しない。問題は津波対策だけでいいはずは無い。どんな可能性の低い出来事であっても起ることがある事を教訓としなければならない。最悪の「炉心メルトダウン」(暴走した核反応)を人類は制御できないことあらためて認識した。
⑭ 原発事故の帰結が潜在的に国境を越えるとなると、建設を決定する際国民国家の主権は制約されるべきかもしれない。隣国にも甚大な影響を持つ施設の建設は国際的な取り決めが必要であろう。
⑮ 放射線被爆制限値を高く引き上げて危険を常態化することは、長期影響を棚上げにする極めて危険なやり方である。
⑯ 住民の生活安全性を侵す放射線後遺症は、放射線が知覚不能・回避不能であるがために極めて残酷なギロチン刑を住民に施すようなものである。これを許す政府関係者は死刑執行者の共犯である。
⑰ 放射線汚染レベルのお座なりの設定により、住民の生活条件の危険性に関する市民の判断力が失われる。それが「放射線恐怖症」、「非知のパラドックス恐怖」となる。
⑱ 福島原発事故は「可能性が低いことは可能性が無いことではない」ことを教訓として教えてくれた。想定外の事故も起ってはならないのである。地震が頻発し津波の襲う海岸には原発を建設してはならない。想定外と言うことは「人間の頭が時代遅れ」ということだ。頭を下げて運転を再開できることではない。
⑲ 例外状態の常態化を「カールシュミット・シナリオ」という。それは戦争状態とおなじく犠牲者を英雄として讃美して国家主義的共同体を維持することである。それに対して「ヘーゲル的シナリオ」では国家・ネオリベラル資本は、国家と世界的な規模において市民社会から責任を問われるのである。
⑳ 日本を世界に対して開くことが被災し危機に陥った日本を救うことになる。日本の社会・経済・政治を根底から揺るがす大事故も、日本が世界に開かれるチャンスに変わるかもしれない。
福島第1原発事故に対してこれほど的確に問題の本質を突いた格調高い文章を他には知らない。
(つづく)

文芸散歩 大畑末吉訳 「アンデルセン童話集」 岩波文庫

2013年05月20日 | 書評
デンマークの童話の父が語る創作童話集 156話 第10回

13) 野の白鳥
王様には11人の王子様と一人のエリサというお姫様がいました。王様が悪い継母と結婚したため、子供らは酷い仕打ちを受けました。一人娘を百姓の家に追いやり、11人の王子様を白鳥に変えて追い出しました。百姓のうちで育てられたエリサは美しい信心深い娘になり15歳のときお城に帰りました。継母はヒキガエルに命じてエリサを色の黒い醜い姿に変えました。エリサはお城を逃げ出して、お兄さんたちを探しに森に入りました。森の中でお婆さんに出会いました。お婆さんは近くの川で金の冠をかぶった11羽の白鳥を見かけたといい、エリサを案内してくれました。お日様が沈むころエリサは11羽の白鳥が下りてきて立派な王子様に変わるのを見ました。再会を喜び合った兄弟姉妹ですが、お兄さんらは日中は白鳥の姿で、日が沈むと又人間の姿に戻るそうです。そしてエリサを籠に入れて11羽の白鳥は旅立ちました。陸や海を転転として美しい仙女に出あい、王子様を元の姿に戻す方法を教えてもらいました。教会の墓場に生えているイラクサを集め11人分の「くさりかたびら」を作らなければなりません。何年かかっても完成するまでは口を聞いてはいけないということです。山の中でエリサはくさりかたびらを作り続けました。そこへ狩をしていた他国の王様がおしのエリサを見つけ、可愛い娘を城へ連れて帰りました。お城の大きな部屋でもエリサがイラクサ製のくさりかたびらを作り続けましたが、王様はエリサをお妃にしました。毎晩教会の墓場にイラクサを取りに外出するお妃を見て大僧正はエリさは魔女だという悪い告げ口をしました。そしてエリサは火あぶりの刑に処することになり、刑場へ連れて行かれてそのばで11人分のくさりかたびらが完成して11羽の白鳥が飛び降りてきました。それを白鳥に投げかけると11人の王子様が現れ事情がわかり、お妃と王様は結婚式を挙げました。

14) パラダイスの園
旧約聖書の「楽園」を追放されたアダムとイブの物語を一人の読書好きの王子様が追体験するお話です。子供向け聖書物語となっていますので、繰り返しません。ただお話の前半はお婆さんと4人の息子(東西南北の風)の面白い地理の見聞録です。
(つづく)