ブログ 「ごまめの歯軋り」

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文芸散歩 谷川徹三編 宮沢賢治童話集 「銀河鉄道の夜」 「風の又三郎」 岩波文庫

2013年07月20日 | 書評
イーハートーヴォの心象スケッチ 宮沢賢治童話傑作集 34話 第1回

序(1)
 宮沢賢治(1896年8月- 1933年9月、日本の詩人、童話作家)とは、昔私が中学生の頃、国語の教科書で「道程」という題名の詩があった。「アメニモマケズ カゼニモマケヅ ・・・・ ソウイウモノニ ワタシハナリタイ」ひたすら人のために努力する、暗愚ともいえる世間離れした殉教者のような人を描いた詩です。岩手に基づいた創作を行い、作品中に登場する架空の理想郷に、岩手をモチーフとしてイーハトーブを創造した。現在(2013年4月以降)NHK朝の連ドラに「海女ちゃん」という岩手県北三陸の過疎地自嘲(他嘲?)番組がある。また岩手県出身の政治家では小沢一郎があまりに有名である。共通項があるかどうか短絡的な決めつけはいけないが、都から切り離された独立精神旺盛な岩手県人という性格は本当かどうかは知らないが絵になる面白さがある。飛鳥・奈良時代から、九州・東北は熊襲・蝦夷といわれ朝廷に素直に靡かないところがあって、ヤマト王朝や朝廷の頭痛の種であった。平安時代、藤原3代が岩手県平泉にまさに独立王国を開いていた。義経を庇護し源頼朝に滅ぼされる12世紀末まで独自の文化を持っていた。以来特異な存在であったが、都から疎外され常に強兵と軍馬の供給地として、農民が飢餓線上を彷徨った。昭和初期クーデターによって日本が軍事政権となったのは、東北地方の飢饉が原因だったといわれる。九州や西国は海外貿易で独自の経済圏を持ち、都からは常に危険視されてきたが、軍事力を養い明治維新で一躍国家権力を奪った。同じ周辺国家として九州と東北は似ていて非なる道を歩んだ。賢治は1896年岩手県花巻に生まれ、1903年花巻川口尋常高等小学校に進学した。浄土真宗門徒である父祖伝来の濃密な仏教信仰の中で育ったといわれる。1909年旧制盛岡中学校に入学し、哲学書を愛読、在学中に短歌の創作を始める(学校の先輩である石川啄木の影響が推測されている)。1915年盛岡高等農林学校に進学した。卒業後研究生として残り、1920年研究生を卒業し教授からの助教授推薦の話を辞退して、1921年に上京し宗教団体(法華経日蓮)国柱会に入信する。1921年と1922年に童話を意欲的に執筆する。童話制作は1926年頃まで続いた。1926年3月末で農学校を依願退職し花巻町下根子桜の別宅にて独居自炊、羅須地人協会を設立し、農民芸術を説いた。自ら農耕に従事しながら、農民の友として稲作指導や肥料指導に打ち込んだ。農業の傍ら詩を発表したが、1928年秋に急性肺炎を発症し以後約2年間はほぼ実家での療養生活となる。1931年病気がよくなったので、石灰肥料製造と壁材製造を始めたが、上京して病気が再発し療養生活に入る。手帳に『雨ニモマケズ』を書き留める。詩集・童話の制作を行ったが、1933年急性肺炎で死去する。生前は無名に近い状態であったが、没後に草野心平らの尽力により作品群が広く知られ、世評が急速に高まり国民的作家とされていった。生前稿料の入った作品はただ一つであったという。一作も売れなかったゴッホみたいな作家です。

(続く)


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