ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 五十嵐敬喜・小川昭雄著 「道路をどうするか」 岩波新書

2010年02月18日 | 書評
道路利権集団による日本国食いつぶしを阻止する 第7回

2) 道路優先の国土開発

 道路建設をその上位計画である「国土総合開発法」に基づく「全国総合開発計画」(全総)の中で見て行こう。全総は約10年の長期計画で、これまで1全総から5全総まであり、小泉内閣の時から「国土形成計画」(全国計画)と呼ぶようになった。日本の法律の条文は外国に較べて驚くくらい短い。それは記述しない事によって実施する行政機関(官僚)の裁量幅を広くし、かつ解釈を都合のいいように幅を持たせるためである。これによって日本の官僚が異常な権力を手にする源泉になる。官僚用語として昔から「法は三条でよい」という。そして第7条において、国土総合開発計画は国土審議会が調査審議して国土交通大臣に勧告することで、大臣が計画を作製するというきわめて簡単な手続きでよい。国土審議会の委員は国土交通省が選任する御用機関であるので、最終的には計画にお墨付きを与える事は自明である。そして「全国総合開発計画」は閣議で決定され、国会でチェックされることはない。チェックされるのは予算編成のみである。

 この計画は官僚のアドバルーンであり、嘘は出来るだけ大きい方がよいという方式の作文であるので、各年度の予算がこの通りにゆくわけはない。全総がスローガン倒れに終っているのに対して、公共工事のなかでも道路だけは着実に拡大してきた。これだけ道路を作っても、利権集団はまだ足らないという。日本中の国土をコンクリートで固め、アスファルトで化粧してもまだ満足しない。そこで各国の高速道路の密度比較を可住面積あたりの延長長さmで表すと、アメリカが16.5m、ドイツが52.3mに対して日本は91mである。全道路ではアメリカが2km、ドイツが1kmであるに対して、日本は15kmである。日本は一桁道路が多いのだ。道路は交通の利便性からみて全面的に歓迎すべき事柄かというと、最近は弊害ばかりが目立つようになった。その最大の問題は旧市街地のドーナツ現象とシャッター商店街である。そして高速道路は地方の過疎化を促進した。四国への架橋が三本になったことで、人が四国に集まったかというと逆に四国から人が流出してしまった。これを「ストロー現象」という。官僚の作文では「都市と地方の格差解消」というのは嘘っぱちで、道路のために格差拡大となったのである。
(つづく)


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