ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

読書ノート 東京電力福島原発事故調査委員会著 「国会事故調 報告書」 徳間書店

2013年07月24日 | 書評
憲政史上初めての国会事故調査委員会による東電福島第1原発事故報告書 第2回

序(2)
 国会事故調・東京電力福島原発事故調査委員会の特徴はつよい調査権限を有し、協力しない人には「国勢調査権行使」が出来ることであるとされる。ヒアリング対象者は延べ1167人、9回に及ぶ現地視察、3回の被災地でのタウンミーティング、被災住民アンケートでは1万633人の回答を得たという。また東電従業員・原発作業員アンケートで2415人の回答を得て、計3回の海外調査を行ない、そして東電ならびに政府官庁への資料請求回数は2000件に及んだという。また情報公開を徹底するため19回の委員会はすべて世界に対して公開とし、38人に参考人を招致した。委員会の模様は世界に動画配信されている。本書の「はじめに」に黒川委員長の格調高い言葉がある。「福島原子力発電所の事故対応の模様は、日本が抱えている根本的な問題を露呈することとなった」と始める。問題の根源は1960年代の高度経済成長期と1970年のオイルショック後の政界、財界、官界が一体となった国策として原発が推進されたことである。これを「国策民営」というらしい。後進国の後追い技術開発の典型である。原発事故は大小併せて数百件にのぼるが、多くの場合対応は不明瞭であり、組織的な隠蔽も行なわれた。新聞沙汰となったのは氷山の一角に過ぎない。それでも日本では事故など起らないという欺瞞のもと原発が推進されてきた。「安全神話」を信じ込む規制官庁が事業者の虜になって、安全対策は先送りされてきた。2011年3月11日の東日本大震災と津波は日本のおごりと慢心を一気に打ち砕いた感がある。原発事故が政権交代後の1年半で起きたことに歴史の暗喩を感じる。歴史的な意味を感じるのは私一人ではないようだ。原発事故を「想定外」といって危機管理をサボってきた事業者と監督規制官庁の「人災」が本事故の本質である。黒川氏は100年前の朝河貫一氏の書「日本の災禍」の「日露戦争以降に変われなかった日本が進んでゆくであろう道(日露戦争から軍国主義への道)」を正確に予測した言葉を引用して「はじめに」を締めくくった。今回の原発事故で変われなかったら日本は世界の笑いものである。なお調査委員会では事故の検証が最優先であるので、次の将来の選択問題は扱わなかったという。それは納得できる。つまり検証する目的が再稼働のためか、脱原発のためかという設問は将来の国民の選択に任せるということである。それは、
①日本のエネルギー政策全般 
②使用済み核燃料処理処分
③原子炉の実地検証(当面不可能) 
④賠償・除染などの事故処理費用 
⑤事業者の賠償支払い能力を超える場合の責任の所在 
⑥原発事業への投資家、株式市場の問題 
⑦原発再稼働 
⑧制度設計(歴代自民党政府の政治政策) 
⑨廃炉プロセスなどである。

(つづく)


最新の画像もっと見る

コメントを投稿