ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 福島原発事故独立検証委員会著 「調査・検証報告書」 ディスカバー21

2013年07月18日 | 書評
民間シンクタンクによる独立検証委員会が見た福島原発事故の真相 第9回

検証結果(6)

第7章 福島原発事故にかかわる原子力安全規制の課題
 IAEAが定める基本安全原則Ⅰ「事業者の責任」、Ⅱ「政府の安全規制と監督責任」、Ⅲ「政府の放射線防護規制責任」において本章は第Ⅱの安全規制の歴史的経緯を検証する。内容は①津波、②全電源喪失、③シビアアクシデント対策、④複合原子力災害への備えをみる。福島第1原発の設置認可を下1866-1972年には津波に対する明確な基準はなかった。そこで1960年のチリ地震を参考に潮位+3.12mを設計基準とした。1981年に「原子炉旧耐震基準」が決められたが津波への言及は無い。奥尻島津波を契機にして1994年通産省は「津波安全性評価評価結果報告」を了承した。チリ地震を最高位とする津波高さが共有された。2006年原子力安全委員会は「極めて稀に発生する津波に対する備え」を明記したが、津波算定方法の基準は示していない。2007年中越地震による刈羽崎原発の加速度GALが設計基準の2倍を超えたため、耐震性のバックチェック(見直し)がなされたが、津波に対する安全性評価は含まれていなかった。この見直しの中で東電は土木学会の「原子力発電所の津波評価技術」2002年を用いて再評価を行い、福島第1原発で+5.4-6.1mでの対応をとった。1995年の阪神淡路大震災を契機に、地震の技術的評価と原子炉の確率論的安全評価は進んだが、津波については今後の課題とされた。2004年のスマトラ沖地震によるインドマドラス原発が津波によって原子炉停止となったが、日本の規制関係者がこの事例を重視した様子は見られなかった。原子力安全機構JNESは2008年より「地震に係る確率論的研究手法」の事業に取り組んできたが、2011年の報告書では貞観津波を無視した。2007年茨城県は「津波浸水想定」を行い、現状4.9mの堰を見直すよう日本原電に求めた。原電は新たに6.1mの高さに嵩上げ工事を着工中であった。今回の津波ではおよそ5.4mが襲ってきたので既設の堰部分では一部浸水したが、新規堰部分は浸水を免れ冷却機能喪失を辛うじて回避できた。

 全交流電源喪失SBOに対する規制の備えを見る。福島第1原発の第1-3号機の全交流電源喪失の状態が長時間続いたため、炉心冷却不能となり炉心溶融メルトダウンと水素爆発を招いた。1990年の「安全設計審査指針」では「短時間のSBOに対して原子炉を安全に停止し、停止後の冷却を確保できる設計」となっており、「長時間のSBOは送電線の復旧または非常用交流電源設備の修復が期待できるので考慮する必要は無い」とされた。まさにこの無視した事態が福島原発事故で発生したのだから、ひとたまりもなく炉心はメルトダウンしたのだ。なお「短時間」とは30分程度とされている。日本では外部事象由来のSBOの可能性を十分に考慮するに至らなかった。東電のアクシデントマネジメントAMは内部事象を起因とした想定事故であり、送電線の復旧不能や受電設備の故障、非常用外部電源の故障などは考慮外にあった。「理論的にはありえても確率的には現実には起こりえない」というある種の「信仰」が支配していた。斑目安全委員長の炉心再臨界の可能性についての発言「可能性はセロではないが、ありえないほど低い」という禅問答が「あるのかないのかはっきりしろ」という官邸を苛立たせた。リスク論としては無いという方へ傾くのではなく、あるかもしれないので対策をするというのが確率論的安全評価である。事故が起きた場合の深刻さを想像することにより事故をなくする対策をするのである。コストが膨大になるので対策できないという事業者の言い訳は事業を起こすに価しない態度である。チェルノブイリ原発事故を受けて米国では外部事象のAMを実施し、欧州ではベントにフィルターを設置したが、日本の通産省は1992年規制的措置ではなく、電気事業者の自主的措置としてAMを整備してゆく事を要請した。理由は日本の原発の安全規制は万全でありAMの可能性は限りなく低いという自信(安全信仰、傲慢)のためである。通産省はAMを事業者に規制なしの研究課題と提示したにすぎない。2003年までに書類上の原発事業所AM整備は終了し、保安院はこれを了とした。

 日本の原子力安全規制が地震対策の構造強度偏重型に傾き、リスク情報を活用した安全解析の方には進まなかった。しかし2003年12月原子力安全委員会は定量的目標と定性的目標を示した。定性的には「公衆の日常生活に伴う健康リスクを有意には増加させない水準に抑制する」ことであり、定量的目標は「被曝による公衆の平均急性死亡確率は年あたり100万分の1以下とし、低線量被曝による発ガンによる平均死亡率は年あたり100万分の1以下とする」というものである。原発に対する具体的性能目標として、炉心損傷頻度は1万年に1回、格納容器損傷頻度は10万年に1回という目標値が示された。しかし原発操業後わずか40年で炉心損傷を起こした。何か根拠があってこのような目標値が出てきたとはいえないので、これは各事象の確率数値の掛け算からでた架空計算(10年に1回の事象が5個連続して発生すれが事故になる確率計算にすぎない。ところが故障とは連鎖して並立して発生する場合が多い。2個の安全装置が同時に故障する類である)であるので、安全目標値の高さに比べて事故発生の簡単さに驚くばかりである。これは人を馬鹿にした知の傲慢といえよう。今回は地震と津波(この2つは連動する場合が多い)と原発事故による複合災害である。原子力安全委員会が策定した「原子力防災指針」には内部事象のみによる事故であり、自然災害や武力攻撃などの外部事象と原発災害が複合する場合は明示されていない。安全規制関係者の共通認識には外部事象に起因するSBOやSAについてリスクの存在はあったと思われるが結果的に間に合わなかった。規制官庁とくに保安院の専門性の低さが問題である。保安院の官僚の殆どは事務系官僚であり、技術的な専門性は完全に独法原子力安全機構JNES任せになっており、しかもその意思疎通は図られていなかった。官僚という行政機構には原子力安全規制を任せるのは難しいといえる。高度な専門性を維持する規制官の育成、法律や指針の改定を頻繁に行なう期間の連続確保が2―3年の在位期間では不可能であるからだ。IAEAによる総合規制評価サービスIRRSは「日本の原子力安全保安院を評価して、事業者を指導し抑圧する姿勢が強い、また事業者も規制基準を遵守していれば事足れり」といい、安全文化が日本の原子力安全規制システムにおいて十分に養われていなかったといえる。

(つづく)



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