ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 福島原発事故独立検証委員会著 「調査・検証報告書」 ディスカバー21

2013年07月21日 | 書評
民間シンクタンクによる独立検証委員会が見た福島原発事故の真相 第12回

検証結果(9)


第9章 安全神話の社会的背景
 福島第1原発事故の原因には、「技術的な側面」、「行政制度・政策的な側面」と「社会的な側面」がある。前の2つの側面はすでに論じてきたので、本章では「社会的な側面」を扱う。事故が起こった背景に何があったのかを考える時、「安全神話」という社会的な認識を避けて通るわけには行かない。なぜシビアアクシデントに備えなかったのか、それは原発が限りなく安全でありSAに備えるべき現実的必要性を感じない」という原子力安全委員会の「安全審査指針」があったからだ。では原発が安全であると云う設定は正しかったのかというと、それは3.11複合原発事故によって無残に否定された。では安全というのはデマゴーグであったのか。原発の現場では原子炉の構造安全のための限りない努力をして居る事は認めよう。しかしそれを凌ぐシビアアクシデントの確率的発生に備えることは海外先進国の潮流になっていた。そのための科学的知見が蓄積されつつあるのも係らず、日本の原子力(推進・規制)関係者の頭の中に「原発は安全だ」というデマゴーグによって過剰な自信、傲慢が生じていたことが事故への備えを無視することになった。では誰がこのようなデマを意図的に流したのかというと、間違いなく原発推進派の政治家、行政官僚、財界、学識経験者、地方自治体がそれぞれの利害関係によって安全神話という「共同幻想」の場をこしらえたのであろう。それによって原発推進が出来れば彼らの利益になるからだ。騙す相手は自分自身であり、かつ第3者の世論の反対派である。皆が楽しい夢を見る事をぶち壊すような世論は村八分にして排除することに莫大な金も使われた。そのムラとは「原子力ムラ」のことである。原子力ムラの構成員は、第1に原発推進派の様々な利害関係者、第2の構成員とは原発設置を受け入れる立地自治体、第3の構成員は第1.第2を除いた第3者であるが原発推進体制に無関心で批判的な眼を持たない世論である。

 第1の原子力ムラつまり中央の「原子力ムラ」を見て行こう。力も金も持ち合わせた経団連・電力事業連合会を始め産業界は原発建設を一貫して支持し推進してきた。一時は規制側の経産省の一部勢力は電力自由化を通じて業界の利益構造の解体を試みたが、結果的には見事に自由化政策は撃退され、発送電一体体制と地域独占体制、そして「総括原価方式」は温存された。その背景には電力会社の技術力、政治力、ロビー力があったからである。電力事業者の政治献金は形を変えながらも、2011年度の自民党の個人献金の72%が電力関係者からのものであった。もちろん民主党への献金も忘れてはいない。また電力事業体の広告費はテレビなどのメディアを黙らせる力を持ち、立地自治体への寄付(補助金)も巨額に上っている。次に立地自治体という地方の「原子力ムラ」を見ると、固定資産税や電源三法による補助金は自治体の財源のかなりの部分を占め、これらがなくなると自治体は干上がってしまうのである。福島第1原発の近隣自治体の双葉町は20億円を交付され全収入の30%を占める。大熊町は17億円を交付され全体の財源の1/4を占める。富岡町と楢葉町では全体の1/7ほどを交付金に頼っている。その結果交付金の増額を狙って「原子炉の増設」、「関連施設の建設」を電力会社に請願する有様となっている。これを「麻薬的」効果というらしい。表現はさて置き、立地自治体は原発にドップリ浸かってしまって抜け出す事は断末魔の苦しみを意味し、さらに原発(薬)を欲しがるような立場に追い込まれている。もちろんこれには地方過疎と格差という日本全体の構造的問題があり、地方自治体だけのせいにすることは出来ない。第3の「原子力ムラ」は一般国民である。一般国民が無知から安全神話を信じ込んでいるというわけではない。原発推進側は膨大な対策費をつかって、メディア支配を企画し、「安全と安心」を振りまいてきた宣伝効果のせいである。福島第1原発事故はこの安全神話を打ち砕いたが、それでも原発推進側は2011年12月「事故収束宣言」をかってに出して、あらためて安全神話を再構成するため「ストレステスト」を実施して原発再稼働につなげようとしている。また受け入れ側では立地自治体の推進派が次々と選挙で勝利した。昔どおりの構図が動き出している。

(つづく)


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