ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

環境書評 井田徹治著 「生物多様性とは何か」 岩波新書

2010年07月21日 | 書評
地球上の生物の多様性を失うことは人類の生存の危機 第1回

 2010年3月カタールのドーハで開かれたワシントン条約締結国会議において、クロマグロの取引禁止の可否が大きな議題となり、日本代表は防戦に成功したとはいえ、同じことが今後も議論されないことはないだろう。なぜなら世界の海からマグロが激減していることは事実なのだから、日本は持続的漁業の可能性を実地で示さなければ、クロマグロのみならず、南マグロも含めてマグロが絶滅種に指定され、漁獲が禁止されることは時間の問題である。これまでの倫理では人間が生存することが最優先であって、利益の対象となる生物が減るのは許され、また開発によって付随的に生物数が減少することは2の次に考えてよいという了解であったと思う。さて今ではこのような人間中心主義に基づく破壊的な考えは許されない。人類の持続可能的発展の考えが主流となってきた。グローバル地球環境問題において、地球温暖化防止と生物多様性は極めて似通った問題を含む。根っこが同じであるからだ。地球人口の無制限な爆発と近代化に必要な地球資源の無制限な開発が、地球自体の生存を危くするような状況であると認識されるようになったからだ。しかし開発途上国からすると、そのように考えること自体が先進国の資源独占とエゴと映り、各国の対策の足並みが一向に揃わない。本書は地球環境問題のなかで生物多様性問題だけを取り上げているが、ことが食資源にからむだけに途上国の反発と先進国のエゴが著しく対立して、地球温暖化対策以上に状況は深刻である。

 著者のプロフィールを紹介する。著者の井田徹治氏は共同通信社の科学記者で、環境と開発の問題を長く取材し、気候変動枠組み条約締結国会議やワシントン条約締結国会議など海外での取材活動に基づいたレポートを多く書いている。主な著書には、「大気から警告ー迫り来る温暖化の脅威」(創芸出版)、「データで検証ー地球の資源ウソ・ホント」(講談社ブルーバックス)、「サバがトロより高くなる日」(講談社現代新書)、「カーボンリスクーCO2で地球のビジネスルールが変わる」(北星堂書店)、「ウナギ地球環境を語る魚」(岩波新書)などがある。
(つづく)

読書ノート 宮本太郎著 「生活保障ー排除しない社会へ」 岩波新書

2010年07月21日 | 書評
雇用と結び付ける「生活保障」政策 第4回

1)社会の分断 (2)

 人々は福祉社会を求めつつも、行政に対しては強い不信があり、連帯の方向へ容易に舵を切れない。むしろ行政への不信に乗って、官僚叩きを自己目的化する政治的言説も流行している。社会保障を求めながら小さい政府を支持するという矛盾した言動は、人々の根強い政治・行政不信と強く関連している。アンケートによると日本人は家族・新聞テレビ・科学技術・医者・裁判に他する信頼度は高いが、宗教・政治家・官僚に対する信頼は極めて低いという結果が出た。市民の相互信頼の強さは「社会関係資本」と呼ばれ社会コストが低減される。原子力施設地元対策費と称する地方へのバラマキ援助費が数十億円という高額なことは、いかに原子力施設の安全性神話がなくなっているかということである。人々がリスクと考えればなだめるために税金がばら撒かれるのが社会コストである。日本で企業や業界を超えた信頼関係が稀薄なのは、従来の集団の内部でしか有用しない「拘束型社会資本」であったからで、NPOなどの自発的活動は企業、地域を超えてつながるものは「架橋型社会資本」である。行政不信から離脱するには政策のデザイン、生活保障の制度設計こそが鍵であろう。労働市場の構造と社会制度が生み出す断層が人々を引き剥がしている。社会の層の間の利害関係を調整するのではなく、相互対立を煽り憎しみを増幅させて出来る緊張感を政治的に利用する動きがさらに社会の傷口を広げた。非正規社員層と正規社員層、政治家と官僚、男性と女性、日本人と外国人、民間と公務員など言い出せば切りがないし、対立を煽った政治的言説やメデァの犯した罪も大きい。いじめにも近い「官僚パッシング」や「建設業界つぶし」、「負け犬攻撃」、「生活保護世帯非難」など悲しくなるような足の引っ張り合い(芥川龍之介の「蜘蛛の糸」)が、手を取ってみんなで向上しようとする機運になるのは何時の日か。これを丸山真男は「引き下げデモクラシー」と呼んだ。レベルの低いところで納得すれば喜ぶのは奥の院の支配層ではないか。

 2008年秋からの金融危機は新自由主義の説得力を根底から崩した。あの麻生元首相さえ「私はむき出しの自由主義は正しくないと思う」と言わしめ、小泉元首相の構造価格路線の修正を言い出したが、時すでに遅しで人心は自公政権から離脱していた。経済危機に対する自民党政権は「利益誘導型財政出動」(サプライヤー政策)をうちだし17兆円の補正予算を打ち出した。それに対して民主党新政権は「家計直接給付型財政出動」(生活者政策)で7兆円の補正予算を打ち出した。麻薬的政策でさらに財政危機が増大し、しかも雇用が回復できないなら、人々の信頼を無くしてしまう。雇用と社会保障をより一体化して人々を労働市場に吸収してゆくことが必要である。そして低賃金労働ではなく、「見返りのある」労働になるように新市場開発に向かわなければならない。戦後の左翼やリベラル派は「福祉を最大に、権力を最少に」という理論で、必ずしも福祉国家のビジョンを持っていなかった。福祉国家は権利と義務の「社会契約」なのである。
(つづく)

読書ノート 東野治之著 「鑑真」 岩波新書

2010年07月21日 | 書評
鑑真が日本にもたらしたもの、日本で根付かなかったもの 第8回

4)唐招提寺 (1)

 鑑真は引退後平城京の西京に土地を与えられ、759年に唐招提寺が建立された。この地は新田部親王の邸宅があったところである。新田部親王の息子氷上真人塩焼が橘仲麻呂の乱に連座して失脚し、皇室を追われて臣下にくだった。屋敷は「没官」で没収された土地を、鑑真が拝領したしたものであろう。私的な隠居寺であったと思われるが、孝謙天皇の書といわれる「官額」を貰っているところから官寺ということも出来る。唐招提寺の由来については「唐招提寺流記」(835年)に詳しい。羂索堂と仏像は藤原清河家から寄進され、食堂は藤原仲麻呂家からの寄進され、講堂は平城宮の東朝集殿が移築された。金堂は鑑真の死後だいぶ経ってから完成されたようだ。柱の年輪の年代鑑定の結果では781年の材料が用いられている。鑑真の高弟である唐僧思託は鑑真と一緒に唐招提寺に移ったが、思託の書いた「延暦僧禄」には「後に真和上、唐寺に移住するに、人の謗りを被る」とある。何か内紛か、日本の仏教界から確執が生じたようだ。トラブルの原因を財政問題から説明する人も入る。唐招提寺を造営するにあたり、757年備前国の田百町を天皇より与えられた。その名目が「東大寺唐禅院の十万衆僧供養料」(続日本紀)とある。鑑真の唐招提寺に与えられたものではなく、東大寺のものであると云う見解も出てくるというのだ。鑑真・思託としては寺の維持、戒律研修の僧の生活のためにも寺院領が必要であった。唐招提寺が東大寺の機能分離による付属寺なのかが争点になるのは当然かもしれない。
(つづく)

月次自作漢詩 「苦 熱」

2010年07月21日 | 漢詩・自由詩
炎暑風微涼味無     炎暑風微に 涼味無く

火雲不滅汗為珠     火雲滅せず 汗珠を為す

葛衣揺扇心猶在     葛衣扇を揺して 心猶を在るも
   
万計将窮病欲蘇     万計将に窮らんと 病蘇せんと欲す

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(韻:七虞 七言絶句仄起式  平音は○、仄音は●、韻は◎)
(平仄規則は2・4不同、2・6対、1・3・5不論、4字目孤平不許、下三連不許、同字相侵)