ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

読書ノート 高橋昌明著 「平家の群像ー物語から史実へ」 岩波新書

2010年07月05日 | 書評
「平家物語」の描く平維盛と重衡のイメージと実像 第2回

 平家の歴史を語るとき平清盛を中心に描くのが通例であった。これに対し本書では、二人の平家の公達を取り上げている。一人は清盛の嫡子重盛の小松家を選んでその嫡子である維盛にスポットを当てる。もう一人は清盛の5男重衡にスポットを当てる。重衡の系列は清盛の妻時子(二位の尼)の女系統の家系である。つまり平家清盛の惣領家と、傍流かもしれないが清盛を支えた女系一族という捉え方である。維盛と重衡は年格好も官職もよく似ていた。維盛は挙措優美、美男で知られ光源氏の再来と噂された人である。重衡は牡丹の花に喩えられる艶霊さをもち陽性でユーモア-のセンスがあって、戦えば勝つ常勝将軍であった。二人は平家を代表する華やかなキャラクターを持つ一門の双璧と見られていた。二人の活躍の舞台に入る前に、清盛が権力を獲得するまでの時代背景を見ておこう。

 平氏の起源は、桓武天皇の皇子葛原親王が臣籍におりて平姓を賜ったことに発する。葛原親王の系統は高棟と高望を祖とする二流に大別する。高棟流はそのまま宮廷貴族となり、時子の父平時信はこの系統である。これに対して高望流は上総に根を張り板東平氏の流派が生じた。上総・中村・秩父・大庭・梶原という家はその末裔である。平将門を討った貞盛の子の維衡が伊勢に方面の進出した。維衡が伊勢平氏の祖となった。維衡は国守、受領を歴任し、藤原道長らの摂関家に武力や貢物で奉仕したという。このような伊勢平氏を軍事貴族という。下級貴族とはいえ身分は「侍」に近く位階は六位程度であった。五位以上を貴族といい、殿上人・公卿はまさに雲の上の存在であった。そうしたさえない存在の伊勢平氏が飛躍を開始したのは院政期に入ってからである。
(つづく)

読書ノート 砂田一郎著 「オバマは何を変えるか」 岩波新書

2010年07月05日 | 書評
オバマ大統領就任後半年間の初期評価 第6回

経済危機緊急対策から変革へ (2)

 オバマ大統領の選挙運動の支持体であったリベラル派は、オバマ政権を構成する経済チームの主体が元クリントン大統領時代の中道穏健派や市場主義派からなることに懸念を抱いている。政権移行経済諮問委員会のメンバー18人はサマーズやガイトナーに代表される「市場志向の経済チーム」と評価される。しかしオバマ大統領はバイデン副大統領を長とする「中産階級・勤労家族タスクフォース」という組織を作った。閣内にもバイデン、バーンズ、ソリス労働長官はリベラル派と目される人はいる。オバマ大統領がリベラルであるとするなら、彼はプラグマティックリベラルであろうか。金融危機対策は市場派に任せ、内政はリベラル派という使い分けで成果を出そうとしている。金融危機の最大の要因は住宅ローンの不良債権問題から始まった。それに証券化というリスク分散法が被害を大きくした。シティグループに公的資金を導入して株式の国有化をおこない、AIG保険会社にも公的資金を導入した。にもかかわらず破綻金融会社の役員は高額なボーナスを受け取っていることが社会問題化し、オバマは「報酬監督官」を任命すると発表し、彼らのボーナスを1/3以下に抑えることを求めた。3月23日銀行の不良資産買い取り計画に公的資金と連邦預金保険公社による投資基金を募った。金融機関に対する規制強化は「ゲームの法制化」を目指している。大手金融機関を統一的に監視する機能をFRBにもたせる、財務長官を議長とする「金融サービス規制協議会」を設立するなどの計画にはまだ反対の声も高い。
(つづく)

読書ノート 徳永恂著 「現代思想の断層ー神なき時代の模索」 岩波新書

2010年07月05日 | 書評
ニーチェ は神を殺したが、20世紀の思想家達の模索は続く 第9回

フロイトと「偶像禁止」 (2)

 19世紀末よりフロイトはヘルツホルム学派の物理学的生理学という神経生理学者として立った。20世紀になってフロイトの関心は神経症の病因と心理学的治療から一般文化問題へと拡大した。方法論的にも夢の解釈から「深層解釈学」へと深化したようだ。治療法(カウンセリング)が睡眠療法から自由連想法へ転換するが、医師と患者の言語コミュニケーションが中心である。しだいに治療法は自己分析へ向かう。自己分析の方法は「図像解釈学」(イコロジジー)が主である。フロイトは18回もイタリアに旅行するが、ルネッサンス美術の中に「異教徒的古代」、すなわち偶像崇拝の無意識からの発生根拠を探っていたのではないかと考えられる。1910年「レオナルドダヴィンチ」論でモナリザなど女性像をマザコンから解釈していたが、1914年「ミケランジェロとモーゼ」においてモーゼの図像解釈に没頭し、モーゼからの自己解放をとげ、1940年絶筆となった「人間モーゼと一神教」を著わした。オイデップスコンプレックス(父親殺害)からモーゼを解体したのだ。ここに「モーセの十戒」を復習しておこう。
①他の神を持ってはいけない
②偶像を作ってはいけない
③安息日には神を祝福し、働いてはならない
④父と母を敬え
⑤殺してはいけない
⑥姦淫してはいけない
⑦盗んではいけない
⑧隣人を偽ってはいけない
⑨隣人の家を欲しがってはいけない
⑩隣人のすべての物(羊・奴隷など)を欲しがってはいけない

 第1と第2の戒めは補足的関係にあり、何でもかんでも見えるものを神としてはいけないし、神を形で表してはいけない、名前で唱えてもいけないということである。人間世界を超えた超越性の神をユダヤ教は強調している。キリスト教・ユダヤ教・イスラム教はアブラハムを祖先とする同祖信仰である。ユダヤ教は旧約聖書の「モーゼ五書」のみを聖典とし。イエスやマホメットを真の預言者とは認めていない。しかしユダヤ教とイスラム教はこの「図像化禁止」の戒律を厳格に守っている。キリスト教は三位一体説と預言者による救済を根本とする宗教で新約聖書のみが聖典で、旧約聖書は副次的テキストにすぎない。1914年「ミケランジェロとモーゼ」において、モーゼ像を怒りの爆発ではなく、怒りの抑圧という方向で解釈した。モーゼの自己抑制は欲望の断念から昇華へ、禁欲倫理から精神性へという変貌を指し示す。これまでフロイトの「心の構造」は自我は欲望の「エス」と禁止・抑制の「超自我」の間を揺れ動いていたが、それを精神的な力に昇華させることが出来るなら、精神性の進歩がもたらされる。自己処罰を要求するモーゼコンプレックスからの解放である。
(つづく)

月次自作漢詩 「雨傷心」

2010年07月05日 | 漢詩・自由詩
一陣荷風細雨来     一陣の荷風 細雨来り

欝陶日午作愁媒     欝陶の日午 愁の媒と作る

江邊破屋蕭蕭竹     江邊の破屋に 蕭蕭の竹
   
緑暗幽庭漠漠苔     緑暗く幽庭に 漠漠の苔

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(韻:十灰 七言絶句仄起式  平音は○、仄音は●、韻は◎)

CD 今日の一枚 ブラームス 「チェロソナタ 第1番、第2番」

2010年07月05日 | 音楽
ブラームス 「チェロソナタ 第1番、第2番」作品38、作品99
チェロ:ロストロポーヴィチ ピアノ:ルドルフ・ゼルキン
DDD 1982 RCA

ブラームスの慎重さ(臆病さ)は喩えようもない。第1番から20数年を経てチェロソナタ第二番を書き。、その完成度は極めて高かった。それを今ロストロポーヴィチとルドルフ・ゼルキンの最高のデュオで演奏している。