「平家物語」の描く平維盛と重衡のイメージと実像 第2回
平家の歴史を語るとき平清盛を中心に描くのが通例であった。これに対し本書では、二人の平家の公達を取り上げている。一人は清盛の嫡子重盛の小松家を選んでその嫡子である維盛にスポットを当てる。もう一人は清盛の5男重衡にスポットを当てる。重衡の系列は清盛の妻時子(二位の尼)の女系統の家系である。つまり平家清盛の惣領家と、傍流かもしれないが清盛を支えた女系一族という捉え方である。維盛と重衡は年格好も官職もよく似ていた。維盛は挙措優美、美男で知られ光源氏の再来と噂された人である。重衡は牡丹の花に喩えられる艶霊さをもち陽性でユーモア-のセンスがあって、戦えば勝つ常勝将軍であった。二人は平家を代表する華やかなキャラクターを持つ一門の双璧と見られていた。二人の活躍の舞台に入る前に、清盛が権力を獲得するまでの時代背景を見ておこう。
平氏の起源は、桓武天皇の皇子葛原親王が臣籍におりて平姓を賜ったことに発する。葛原親王の系統は高棟と高望を祖とする二流に大別する。高棟流はそのまま宮廷貴族となり、時子の父平時信はこの系統である。これに対して高望流は上総に根を張り板東平氏の流派が生じた。上総・中村・秩父・大庭・梶原という家はその末裔である。平将門を討った貞盛の子の維衡が伊勢に方面の進出した。維衡が伊勢平氏の祖となった。維衡は国守、受領を歴任し、藤原道長らの摂関家に武力や貢物で奉仕したという。このような伊勢平氏を軍事貴族という。下級貴族とはいえ身分は「侍」に近く位階は六位程度であった。五位以上を貴族といい、殿上人・公卿はまさに雲の上の存在であった。そうしたさえない存在の伊勢平氏が飛躍を開始したのは院政期に入ってからである。
(つづく)
平家の歴史を語るとき平清盛を中心に描くのが通例であった。これに対し本書では、二人の平家の公達を取り上げている。一人は清盛の嫡子重盛の小松家を選んでその嫡子である維盛にスポットを当てる。もう一人は清盛の5男重衡にスポットを当てる。重衡の系列は清盛の妻時子(二位の尼)の女系統の家系である。つまり平家清盛の惣領家と、傍流かもしれないが清盛を支えた女系一族という捉え方である。維盛と重衡は年格好も官職もよく似ていた。維盛は挙措優美、美男で知られ光源氏の再来と噂された人である。重衡は牡丹の花に喩えられる艶霊さをもち陽性でユーモア-のセンスがあって、戦えば勝つ常勝将軍であった。二人は平家を代表する華やかなキャラクターを持つ一門の双璧と見られていた。二人の活躍の舞台に入る前に、清盛が権力を獲得するまでの時代背景を見ておこう。
平氏の起源は、桓武天皇の皇子葛原親王が臣籍におりて平姓を賜ったことに発する。葛原親王の系統は高棟と高望を祖とする二流に大別する。高棟流はそのまま宮廷貴族となり、時子の父平時信はこの系統である。これに対して高望流は上総に根を張り板東平氏の流派が生じた。上総・中村・秩父・大庭・梶原という家はその末裔である。平将門を討った貞盛の子の維衡が伊勢に方面の進出した。維衡が伊勢平氏の祖となった。維衡は国守、受領を歴任し、藤原道長らの摂関家に武力や貢物で奉仕したという。このような伊勢平氏を軍事貴族という。下級貴族とはいえ身分は「侍」に近く位階は六位程度であった。五位以上を貴族といい、殿上人・公卿はまさに雲の上の存在であった。そうしたさえない存在の伊勢平氏が飛躍を開始したのは院政期に入ってからである。
(つづく)