ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

貧困ビジネス あざとい商売

2010年07月02日 | 時事問題
朝日新聞 2010年7月2日7時31分
生活保護者の葬祭扶助、5年で1000万円 大阪市から
 大阪市から生活保護費をだまし取ったとして詐欺罪で起訴されたNPO法人「国民生活支援ネットワーク いきよう会」(解散)の元代表、由井覚(ゆい・さとる)被告(51)が実質経営する葬儀会社に、保護の受給者の死亡時に支払われる葬祭扶助として市から過去5年間に計約1千万円振り込まれていたことがわかった。葬祭扶助請求の大半は市の上限額だったという。大阪府警は水増し請求などがなかったか調べている。
 葬祭扶助は住宅、医療など8種類ある生活保護の扶助の一つで、葬儀を行った業者が請求する。支給上限は約20万円で、05~09年度、54件の葬祭扶助が由井被告の実質経営する葬儀会社側に振り込まれていた。大半が上限額いっぱいで、総額は約1千万円に上るという。

生活保護者支援をうたったNPOによる貧困ビジネス、かなりえげつない商売ですな。ただし生活保護者が増えている事は事実で、これで生活保護者パッシングにならないに願いたい。このNPOも最初から貧困ビジネスを企んだ悪なのか、途中から貧困者に振り込まれる金に目がくらんだのか、微妙?

読書ノート 砂田一郎著 「オバマは何を変えるか」 岩波新書

2010年07月02日 | 書評
オバマ大統領就任後半年間の初期評価 第3回

 オバマ大統領のホワイトハウスへの道をかいつまんで紹介する。オバマは1961年、ハワイ留学中のケニア人の父と同大学の白人の母の間に生まれた。オバマが2歳の時両親は離婚し、母親がインドネシア人と再婚したので、インドネシアに渡り幼年時代を送った。その後母親の勧めでハワイに戻り祖父母のもとから、中学・高校時代をハワイで過ごした。1979年オバマはカルフォニアのカレッジに進んで、ニューヨークのコロンビア大学に転学した。1983年大学を卒業したオバマは地域社会でのまとめ役を目指して1985年シカゴに移り黒人コミュニティの仕事を3年ほど行い、ロースクールへの進学を希望して名門ハーバード大学に入学した。ロースクールを卒業後オバマはシカゴに移り市民運動の弁護士として活動を始めた。1996年イリノイ州議会に当選して政治家への道に踏み出した。2004年連邦上院議員選挙に当選し全米の注目をえた。2004年ブッシュ政権の中間選挙で民主党のケリー候補から頼まれて民主党全国大会の基調演説を行い、国民的統一の訴えは党内外の高い評価を得た。これがオバマの知名度と地位を大きく押し上げた。オバマ氏の顔が2006年タイムス誌の表紙を飾り、カリスマ性を持つ大統領候補と報道された。そのころからオバマの周りには支持者があつまり今日の側近集団が形成された。2007年2月オバマは大統領に立候補すると宣言し、インターネットを中心とする選挙キャンペーンが始まった。その新しい運動は選挙資金調達に威力を発揮し、クリントン夫人のそれを上回った。雄弁家の彼は「チェンジ」を訴え熱狂的に支持を広げた。クリントンは早くから民主党の2008年選挙の最有力候補と目され、経験の豊富さを売りにして最初は有利に指名争いを展開した。オバマは獲得代議員数を次第に広げ、有力な民主党政治家の支持も取り付け、6月3日予備選挙でクリントンに勝利した。当時ブッシュ大統領の人気は戦争と景気の後退で支持率は低下しているとはいえ、マケイン共和党候補とオバマの支持率はほぼ互角であった。9月からはじまった金融危機がこの大統領選の結果を左右する大きな転機となった。共和党の市場原理主義に国民がノーといい始めたのだ。11月3日の選挙結果はオバマは得票率で53%:46%、獲得代議員数で365:173と圧勝した。
(つづく)

読書ノート 徳永恂著 「現代思想の断層ー神なき時代の模索」 岩波新書

2010年07月02日 | 書評
ニーチェ は神を殺したが、20世紀の思想家達の模索は続く 第6回

マックス・ウェーバーと「価値の多神教」 (3)

 わずか数年間の大学での講壇活動の後、10数年間重い精神神経疾患に悩まされた。プロテスタンティズムの倫理観からくる「職業への義務感」が彼の病状を重くしてきた。そこでハイデルブルグ大学教授の職を辞任し療養に専念した。大学教授の重責から脱したウエーバーは、病状が良くなり「社会科学及び社会政策雑誌」の編集に従事して社会科学の理念と方法に進んだ。1904年「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の執筆を中断して、セントルイスで行われる国際学術講演会に招待されて渡米した。「ドイツの農業事情」という公講演をそれなりに成功させ、ヤンキーの東海岸から南部への旅行に出た。そこで「奴隷黒人問題」から「ユダヤ人問題」を観察し、アメリカに移住したセファルディ系の西欧ユダヤ人とアシュケナージ系の東方ユダヤ人の「賎民バーリア」の金融業者としての黒人搾取を目の当たりにした。ウエーバーの代表作「社会科学的認識の客観性」は社会政策と社会科学の差異を明確化することにあり、「価値からの自由」を旗印に社会科学の独立をめざしたが、社会哲学とは重なり合うことが多かった。アメリカから戻って「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」が完成した。ウエーバーはドイツの歴史学派の申し子であったが、歴史から経済史、文化史そして普遍史へと変遷を遂げる。渡米前は経済史から文化史へ、帰国後は文化史を超えて普遍史へ向かう方向が予見された。論文「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」はむろん「資本主義の起源」論争で提起されたものである。ゾンバルトは「人間の利益追求ー商業活動ー富の集積」という形で資本主義成立史を描いたが、ウエーバーは利己心や物欲ではなく、理念や倫理という意味で精神に独自の意味を与えた。ウエーバーは「カルビニズムー世俗的禁欲ー職業への献身ー合理的生活ー経営行為ー資本主義」というスキームを描いた。世俗生活としての職業活動に宗教的使命ミッションという意味を与えたのはルターであった。もう一人のプロテスタントであるカルビンは不安定な状況の中でなお「救いの確実性」のわずかな保証を世俗的な職業生活の勤勉に求めた。そして救済という価値のための手段であったはずの職業的勤勉は、それ自体が目的化して,利潤の効率的増大が倫理的目標となったとするプロセスである。アメリカで見た「ユダヤ人問題」は悪玉資本主義の起源を悪玉ユダヤ人に押し付ける左右の「反ユダヤ主義」に対する反証となった。アメリカ訪問の成果は「宗教社会学論集」に収められた「プロテスタントの倫理」に、欧州では失われた清冽なプロテスタントの活力がアメリカで今なお生きていることを発見した。それは同時に「アメリカの欧州化」という末路を予見するものであった。文化史から普遍史へのウエーバーの思考が読み取れる。
(つづく)

月次自作漢詩 「江村梅霖」

2010年07月02日 | 漢詩・自由詩
溟濛細雨稲秧畦     溟濛たる細雨 稲秧の畦

探宿蓑衣客路迷     宿を探す蓑衣の客 路に迷う

不見啼禽深緑裏     見ず啼禽 深緑の裏 
  
江村浦道委黄泥     江村浦道 黄泥に委す

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(韻:八斉 七言絶句平起式  平音は○、仄音は●、韻は◎)
(平仄規則は2・4不同、2・6対、1・3・5不論、4字目孤平不許、下三連不許、同字相侵)