ブログ 「ごまめの歯軋り」

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医療問題:口蹄疫沈静化と清浄国とは?

2010年07月19日 | 時事問題
JMM 医療に関する提言・レポートfrom MRIC(2010年7月18日)「第2の官製パニックー口蹄疫(2) 清浄国のお墨付き?」 木村盛世 厚生労働省技官 より

 現在の清浄国の定義は「国際獣疫事務局OIE」の定義に基づき、農水省が規定している。具体的には3週間以上口蹄疫FMDの発生が見られなければ「清浄国」というのが条件のようだ。これはもちろん「根絶」ではない。地球上から根絶されたウイルス感染症は「天然痘」で、近い将来「ポリオ」も根絶が期待される。ウイルスに利く抗生物質はないので、治療薬で根絶することは不可能である。すれば感染経路を断つことであろう。ところがFMDの場合動物間、昆虫、水、風で感染するためこれを根絶するのは容易ではない。ワクチン予防法を含め決定的な方法は存在しない。したがって今回宮崎で沈静化したとしても(前回の流行は2001年でした)、またいつかはどこかでぶり返すもので、清浄国というお墨付きはインフルエンザの場合とと同じように意味がない。

読書ノート 東野治之著 「鑑真」 岩波新書

2010年07月19日 | 書評
鑑真が日本にもたらしたもの、日本で根付かなかったもの 第6回

3) 授戒の和上(1)

 753年一行は難波津に着いた。僧が14名、尼3人、優婆塞ら計24名であった。朝廷から迎えの使いが現れ、東大寺に入った。歓迎役の良弁は東大寺の大仏を自慢げに鑑真に案内したという。そして同時に帰国した遣唐使の吉備真備が勅使として「今より以後、受戒と伝律は、一に大徳に任す」と伝えた。勅命による「大徳」とは鑑真を始め、法進、曇静、思祐、義静、普照、延慶(藤原仲麻呂の長男)を含めた7人の受戒有資格者である。来日してまず鑑真は良弁に日本にある「華厳経」、「大涅槃経」、「大集経」、「大品経」を一そろい借り出しを申請した。この4つの経は天台大師智顕が究極の大乗経典と呼んだ根本の経であり、日本ではこれらに「法華経」を加えた5つを「五部大乗経」といって尊重してきた。鑑真は日本にある経の内容をチェックしたのであろう。まず日本に仏教がどう伝わっているかを調べたのであろうか。そして藤原仲麻呂の援助を得て、「華厳経」、「大集経」、「大品経」の写経事業を開始した。そうして大仏殿の前に戒壇が築かれ、聖武天皇と娘の孝謙天皇が菩薩戒を受戒した。続いて440余名の沙弥が具足戒を受けて僧となった。755年東大寺に講堂や僧房を備えた戒壇院が勅命で造営された。鑑真が説く受戒と戒律が急速に普及していったかといえば、必ずしもそうではなかったようだ。普照伝には「聖朝に至れるより、合国の僧、伏さず。無戒にして伝戒の由来を知らず、僧数足らず」という状況であった。その中で756年聖武天皇の崩御があり、18種の僧具を羯磨する作法について議論する会があったが、興福寺の法寂という一人の僧が鑑真の考えに大声を上げて反対し憤死するという事件が発生した。これには鑑真の近くにいて受戒の機会が与えられた者に対する、多くの不満の僧が妬んでいたことを示している。
(つづく)

読書ノート 高橋昌明著 「平家の群像ー物語から史実へ」 岩波新書

2010年07月19日 | 書評
「平家物語」の描く平維盛と重衡のイメージと実像 第16回 最終回

5)一の谷から壇ノ浦 平家一門の終焉 (2)

 後白河院側は生け捕った重衡と神璽の交換を打診したが、平家側は拒否したと平家物語は書いているが、これは完全な虚構であると著者は主張する。「玉葉」では宗盛の返事は和親が趣旨で、源平の平和共存を願っているという。院は鎌倉殿が承知しないだろうと苦渋したという。重衡の身柄は梶原景時が鎌倉に連行した。南都焼き討ちの恨みを買った重衡は南都に送られ、南都に着く前に斬首された。そして平家追討は梶原景時と土肥実平が赴いた。鎌倉の方針は範頼が梶原景時と土肥実平を率いて西国の平家を討ち、義経は都の守護と近畿の平家残党征伐ということであった。ところが範頼が苦戦しているのを見て義経は独断で四国に渡り、讃岐屋島の平家を攻めて瀬戸内海に平家を追い出した。ここで梶原景時と義経の間に決定的な亀裂が生まれた。平家物語で梶原は「功を焦る義経は将の器にあらず」と断定した。そうこうするうちに維盛は平家の戦列を脱走し、熊野入水自殺したという悲劇の貴公子という筋書きである。範頼は山陽道を長門まで下り、義経軍は海路で平家を追った。義経軍は熊野水軍の湛増の援軍を得て増強し、壇ノ浦決戦に臨んだ。3月24日激しい海戦が開始され、平家は文字通り海の藻屑と消えた。安徳天皇は二位尼に抱かれて入水、知盛、教盛、経盛、資盛、有盛、行盛らは討ち死にもしくは入水した。建礼門院、宗盛、清宗親子は入水したものの救助され生け捕りとなった。それにしても平家物語では宗盛は怯懦の極みと描かれている。平家物語の人物把握はまさに周到であり、それが史実であるかどうかより、史実とは別のリアリティを構築しているから不思議である。優れた文学作品である。神器のうち、神鏡は無事、神璽は海中より回収されたが、宝剣は行方不明となった。
(完)


月次自作漢詩 「西城三伏」

2010年07月19日 | 漢詩・自由詩
西城三伏午風微     西城三伏 午風微に

白日如渾極暑威     白日渾くが如く 暑威極まる

焦石奇雲都似火     石を焦し奇雲 都て火に似て
   
探湯蒸溽汗沾衣     湯を探る蒸溽 汗衣を沾す

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(韻:五微 七言絶句平起式  平音は○、仄音は●、韻は◎)
(平仄規則は2・4不同、2・6対、1・3・5不論、4字目孤平不許、下三連不許、同字相侵)