ブログ 「ごまめの歯軋り」

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白鵬 優勝・横綱昇進おめでとう

2007年05月26日 | 時事問題
asahi.com 2007年05月26日19時00分
白鵬、2場所連続3度目の優勝 横綱昇進確実へ
 大相撲夏場所(国技館)14日目の26日、綱とりがかかる大関・白鵬が、千代大海を寄り切りで下し、14連勝をあげた。白鵬は2場所連続優勝で、場所後の横綱昇進を確実にした。

二度目のチャレンジ 白鵬成長著しい 
これで二人モンゴル横綱が並び立つことになります。それにしても相撲の国際化モ本格的ですね。(日本人横綱がいないのは残念なんて国粋主義的なことはいいません)

広瀬隆著 「アメリカの経済支配者」  集英社新書 第4回/全8回

2007年05月26日 | 書評
3:アメリカ政府、CIAの経済戦略を支配(石油王 ロックフェラー家)

1870年頃ロックフェラーはスタンダード石油を起して談合シンジケートを作って全米の95%の石油を独占した。鉄道王ヴァンダービルトと組んで全米の石油会社を買収したのである。ところが1911年にトラスト解体令により34社に分割された。この逆境にも耐え現在も六社のスタンダード系石油(最大はエクソン社)会社の資産は40兆円となって、財閥というより一つの国家である。ブッシュⅡもテキサス州の石油業者であるがロックフェラー財閥の代弁人で、ロックフェラーは民主党・共和党にまたがる人脈を持っている。「アメリカには民主党も共和党も無い。大統領戦には数十億円が必要だ。政策で財閥の了解を取り付けてから選挙戦の対立が演出され、国民が総動員されるパーティーのようなもんだ」といわれる。つまり政党は代弁する財閥が違うだけだ。ダレス長官もロックフェラー財団の理事長で、キッシンジャーはチェース銀行顧問で、ベーカー財務長官も関係が深い。ロックフェラー家は石油業者ではあるが、もうひとつ重要な機能はナショナルシティ-銀行とチェース・マンハッタン銀行を主とする金融事業である。1812年創立のシティー銀行はいまや世界の三大財閥であるロスチャイルド、ロックフェラー、モルガンが合併した金融機関である。

ロックフェラー家のライバルでもあるメロン家も石油財閥である。ガルフ石油を創業しアルコアというアルミメーカーを有して、現在のレーガンからブッシュ、クリントンまでのアメリカ政治を動かした力はメロン家である。メロン銀行は株券や債権売買投資信託金額が約400兆円まで膨張した。なかでも先物取引などギャンブル性が高い金融派生商品(デリバティブ)資金になった。ウォール街のヘッジファンドやデリバティブがメロン家によって発展した。いまやウォール街は収拾の着かないギャンブル相場に狂っているのもメロン家のなすところである。メロン家は鉄道王ヴァンダービルト家、ホテル王アスター家、小売チェーンのウールワース家、ゼネラルフーズ創業家らと複雑な姻戚関係を結んでいる。

ロックフェラー家は軍事シンクタンク「スワット」を通じて同じシンクタンク「ランド」とCIA軍事コネクションを作った。多数のCIA長官、軍人がロックフェラーの影響下にいる。軍事シンクタンクは世界中の紛争や戦争にからんでいる諜報機関CIAに影響を持ちCIAロックフェラー委員会を作った。このランドーCIA人脈が90年代新しい経済コネクションを形成した。シンクタンク「カーライルグループ」といい、アメリカの政治・軍事分野に幅広い雨人脈を持つ投資会社としてスタートした。軍事シンクタンクと軍需産業は協力して世界各国でリスクを作り出し、一挙に株の上げ下げを演出し、さらに紛争では大量の兵器を敵味方に売り込むのである。ミサイル防衛などアメリカの軍事戦略計画の作成にもあたる。この軍事コネクションは誰が主役とも言いがたいが、ロックフェラー家、メロン家、ロスチャイルド家の資金で活動していることは明白である。CIAは軍事のみならず経済活動も行う。世界の企業の情報収集に努め日本破壊作戦にも関与している。CIAは「2000年の日本」というレポートを発行し、日本壊滅戦略を言っている。CIAは他の省から独立した機関で予算を自由に動かせ、時の政権とは関係なく財閥の資産相続人の意向に従い、世界中の企業秘密を探り、リスクを用意するのである。


小林秀雄全集第28巻「本居宣長 下」より「第45章 賀茂真淵 上古への道3 天地古今の本意」

2007年05月26日 | 書評
第45章 賀茂真淵 上古への道3 天地古今の本意

真淵が子にあてた手紙の中に「佛など信仰は無益也、地獄、現世後世などいふは、皆物取りの沙汰也、天下にある物、獣も虫も人も皆同じ也、然るに人のみに後世祈祷あるべきかは」 実に爽やかな論理ではないか。私はこれほど割り切った理性が江戸時代にあるとは知らなかった。「ひたぶるに直く、明るく、清く、雄雄しき上代のこころには、神の礼拝にあって、神の信仰にはない」 そこにはなにかを期待して信仰するという女々しさがない。神は信仰ではない。礼拝で拍手して神と会話することなのだ。何も望んではいけないし祈祷してはいけない。これが真淵の天地古今の本意である。

真淵は古語の古意について殆ど宣長と同じ解を書いている。「皇朝では神といふは天地の御霊の本にして、人の霊をいひ、また鳥獣草木までも神とす」しかしながら真淵においては神の古義は明確に突き止められたわけではなく(宣長でも曖昧)足踏みして内部に入ってゆかない。本来的な漠とした暗さがあった。そこで真淵の上代への道は止まった。