ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

官僚のメディア利用に騙されるな・・・嘘を見抜くリテラシーを養おう!・・・

2007年05月07日 | 書評
1)始めに:本文が参考にした本
人が文章を書くときあるいは物事を考えるとき、必ず文献や本を基にしているはずである。どこかで書いたが(どこかは忘れた)科学の分野でも独創という名の「他人のふんどし」もある。ましてや人文分野では人の文書には100%元本がある。たとえ座右に置いていなくても頭という記憶装置に本が積んである。少なくとも筋道たてて論じるときには拠るべき材料、批判すべき対象、好悪の対象が存在する。自分が発する感情むき出しの言葉さえ文章的に先例を踏んでいる。かくして人間存在とは記憶の連鎖の中にいる。という風に格調高く(難しく)文章を書き始めたが、何が言いたいかというと「自分がすべて考えたかのような文章を書くな」ということです。あたかも読んだかのように巻末に膨大な参照文献をあげる本があるが(科学論文ではすべてを本人は読んでいない、格好つけるために羅列しているだけ。読んだ人もいるかもしれないがその取り上げ方がでたらめでまともに読んでいるとは思えない)、私はしっかりと読んで自分が何かを言いたいと思った本はのっけから出してゆく習慣にしている。自分の思考の根拠を示さない本は卑怯である。「書評」という形式では逆に元本を前面に出しながら、実は本の著者の権威をかりて自分の考えとすり替えたりするが、これは許される程度である。書評では括弧内が著者の文章であることは明白であるが、括弧以外の部分では著者の考えか自分の意見かがあいまいに成らざるをえない。長々しい言い訳じみた序文になってしまったが、今回取り上げる「官僚のメディア利用に騙されるな・・・嘘を見抜くリテラシーを養おう!・・・」は次の本から書けと命じられたようだ。本文を書評の形式にしなかったのは複数の本から適当に取捨選択して自分の論点を構成するためである。雑文という形が素直かなと思った。しかし根拠は最初から明確にしておきたい。

谷岡一郎著 「社会調査のうそーリサーチリテラシーのすすめー」 文春新書(2000年6月)
パウロ・マッツァリーノ著 「反社会学講座」  イーストプレス(2004年6月)
ダレル・ハフ著 「統計でウソをつく法」  講談社ブルーバックス(1968年)
ダレル・ハフ著 「統計でウソをつく法」は私の「環境書評」で紹介してあります。アンケートや調査統計で故意または未熟により犯す誤った結論のやり口は大昔から分かっていたはず。これが未だに問題になるのは、日本という官僚に支配された中央集権国家で愚弄されている国民が未だに自立できずウソに対する免疫力がないためである。官僚依存体質が骨身から抜けていない。「絶対に安全ですや保障します」という言葉にころりと騙される。抜きがたい習性である。


2)谷岡一郎著 「社会調査のうそーリサーチリテラシーのすすめー」から二つの例題
ギャンブルの社会学者谷岡教授の本より採用した。誘導質問だの、母集団の誤りだの、強引な統計的に無意味な結論だの挙げだしたら切りが無いので、ほんの二例だけを紹介する。
①読売新聞1997年5月2日
「4月1日、消費税の税率が3%から5%に引き上げられました。高齢化が急速に進む中で、今消費税の引き上げを行わないと、財政状態がさらに悪化して、次の世代の負担が重くなったり、福祉の財源が不足するなどの影響が出ると言われています。あなたは、今回の消費税の引き上げを、当然だと思いますか、やむをえないと思いますか、それとも、納得できないと思いますか。(数字は%)」

当然だ      5.4
やむを得ない  50.7
納得できない  42.1
答えない     1.2

これは読売新聞の調査部がしたアンケート結果を記事にしたものであるが、要は読売新聞は読者に泣き寝入りや無抵抗を強要しているのでかなり悪質なやり口である。消費税の引き上げが決まった後でこういう質問自体がナンセンスである。結果の受け入れを強要している。長たらしい前書きは明白に政府の言い分を(もっと言えば厚生官僚の言い分)言っているに過ぎない。消費税と年金問題は直接的に関係ない。未だかって目的税というものがそのとおりに使われたためしがない。国庫に入れば「銭に番号は付けられない」と財務省は言う。消費税の引き上げ分を福祉以外に使わせないとはどこにも書いていない。その場かぎりの官僚のウソである。政策的に選択肢がいくらでもあって、社会保険庁を廃止すると言うのも選択肢である。さらに「やむを得ない」という日本人特有の「地頭と泣く子には逆らえない」から由来する泣き寝入り選択肢が用意されている。こんな見え透いた調査をする読売新聞は相当の悪だね。

②大阪府警発表 「御堂筋駐車違反6割減/車輪止めにまいった」 読売新聞1994年5月24日

「大阪府警は23日、改正道交法の施行で10日から使用を始めた車輪止め装置クランプによる駐車違反取り締まり結果をまとめた。指定路線の御堂筋(4.1Km)で、10日間に車輪止めを取り付けたのは約200台。その効果で駐車違反は約6割減少したという。府警は施行以来、連日、50人を出して取締りを実施。19日までに反則切符を切った436台のうち206台に車輪止めを装着、悪質な114台はレッカー移動した。府警は施行の9日と19日の午後3~4時に同路線での駐車違反台数を調べた結果、9日の475台が19日には163台になり、65%も減少していた。今年1月から4月までの大阪の駐車違反件数は約14万4千件で、昨年同期に比べて3万件近く増加しており、府警では御堂筋だけでなく、徹底した取締りを展開したいとしている。」
この調査結果は府警の功をあせったでっち上げ集計であろう。調査への疑問を列記すると
調査時間帯が午後3時から4時という点。他の時間帯ではどうだったのか。夜のほうが多いのではという疑問。
5月9日と19日では曜日が異なり、天気やそのとき御堂筋でどのようなイベントがあったか要調査。東京なら5,10日は車が混むというような、車の流れの習慣はどうか。ひまな日を調査しても全体の様子を現さないのではないか。
なぜ御堂筋4.1kmだけしか調べないのか。車が御堂筋から周辺の小路に逃げただけではないのか。地域全体で調べるべき。府警の回答は「人手が無い」というのに決まっているが。
今年1月から4月までの大阪の駐車違反件数は約14万4千件で、昨年同期に比べて3万件近く増加しているのに、車輪止め装置の効果抜群という宣伝をして府警もがんばっていますということを言いたかったのだろう。賭けてもいいが(こんな不穏当な言葉はいけないが)こんなことで駐車違反が減るほど大阪人の駐車マナーはやわではない。電車待ちの人がホームで行儀よく行列をするのは東京地方の現象。大阪地方は行列なんかしないで、電車が来れば入り口に殺到する。官僚統制の良く効いた東京と民優勢の大阪では人種が違う(これも不穏当な発言)。歴史的に大阪は中世から堺の自治都市や一向宗や本願寺の自治都市の伝統があり、天下の台所という自負心もあって、お上の言うことは聞かないのが大阪人のど根性。

3)官僚のメディア利用に騙されるな・・・嘘を見抜くリテラシーを養おう!
人々の無知に付け込み、ごみのような情報を流す者、それを広めるもの、それを利用する者たちがあまりに多い。これらの者に対抗できる能力を持たない限り、今のそしてこれからの社会では損ばかり重ねる不幸な人間を生み続けるだけである。とにかく日本人はよく騙される。なぜ騙されるのか。それは市民が自立にたるだけの経験が無いからである。歴史的には西洋と違って日本は市民革命を成し遂げていない。江戸時代の君主から天皇という絶対権威制に代わっただけの明治維新にすべての原因がある。しかも明治維新の担い手は武士という支配階級であって市民ではなかった。封建時代の遺物(官僚制は江戸幕府末期には巨大化し、将軍はお飾りみたいなものであった)である武士による幕府官僚制と人材をそのまま利用して、富国強兵の国つくりをやるために官僚制中央集権国家が化け物のように肥大化した。さらに悪いことに昭和時代に軍部を利用した官僚は戦時国家総動員法という官僚統制機構を手中にしたことで、経済から戦争まですべてが官僚の裁量に任された。天皇以上の裁量権を持ったのである。馬鹿な政治家と軍人を操って国家を占領したのである。そしてまた第2次大戦後占領軍である米国軍は支配の手先として戦前の官僚制をそのまま利用した。官僚の支配者階級意識は抜きがたいものがあり、国民の僕なんて憲法上だけのもので、実質的な市民革命は戦後も成し遂げられなかった。


「今の子供が切れやすい」というのは嘘だ! 

2007年05月07日 | 時事問題
少年凶悪犯罪4種統計データから見て、切れやすいのは誰だ

朝日新聞の1面に「小学生校内暴力1600件、昨年度27%増」と大見出しで始まる記事があった。データをまとめると文部科学省発表による過去3年間暴力行為件数調査結果は、「小中高校での校内暴力は3年ぶりに増加し6.2%増の31278件、うち小学校では27%増の1600件。学校外での暴力は中学高校は減少し4.6%減の4114件、小学生は26%増の177件であった。小学校では児童の忍耐力や抑制が出来ず感情を爆発させてしまうという報告がある。」という記事内容であった。さあて皆さんどう考えますか。結論から言いますと私は以下のことが直感的に感じ取れます。そして朝日新聞はいったい何に加担しょうとするのだろうか。

1:微小な変化だけを捉えて云々しても、統計的には意味がないこと。少なくとも校内・校外暴力の定義を一定にした集計で、過去20年以上のデータをグラフ化して示せ。いじめ、校内暴力をひたすら隠そうとする学校が正確な数値を上げているとは到底思えない。(件数自体が怪しまれる。統計母集団が果たして信用できるか。偏った捏造はないか。)
2:先生や教育委員会が生徒を凶暴犯罪者に仕立てて、弁解がてら自分の無能力を隠そうとしている匂いがふんぷんとしてくる。また文部省は指導を強めるというコメントを出しているが、国歌斉唱強制と同じく先生を攻撃して教育の官僚統制をさらに強めたい意向がありありとする。

そこでパオロ・マッツァリーノ著「反社会学講座」に面白い少年犯罪のデータがあったので、上の図に示す。

まず凶悪犯罪数とは殺人、強盗、放火、強姦検挙人数です。上図の見にくいですが少年凶悪犯罪戦後統計を見ましょう。強姦・強盗といった凶悪犯罪が昭和32年から42年の間驚異的な高さを示しており平成12年度に比べて約3.5倍あります。戦後の混乱期と売春防止法成立によると見られますが、この時期中学生だった現在の大人はさて今何歳でしょうか.答えはざっと49歳から62歳ですね。いわゆる団塊の世代が中心です。

一番凶悪だったもしくは切れやすい世代は現在の少年ではなく今の中高年から熟年の世代です。高度経済成長を支え現在の日本の繁栄の時代を築いた人間が少年時代最も凶悪だったことが統計上明白です。そしてこの世代が大学紛争やウチゲバ殺人、浅間山荘事件、ヨド号ハイジャック事件、赤軍派などを引き起こしたのです。

それにくらべれば現在の少年は実におとなしくなりました。大人が自分の凶悪さを隠しておとなしい少年を攻撃するのはまさに弱いものいじめでしょう。いまだに大人の身勝手、凶悪さが直っていないのです。今環境問題でも世代間の平等が叫ばれてすみやすい環境を次の世代に残そうという運動があります。しかしこの少年凶悪犯罪世代の現在の大人が、少年世代を保護するどころか、就職問題、年金問題、富の独占で少年を窮地に追いやっています。

現在の子供が幸せになれるのはこの凶悪犯罪世代が死に絶えてしまってからでしょう。それとも現在の少年世代が再び元気になって凶悪性を発揮して、今の大人に(善良な大人ではなく、官僚や政治家企業家といった凶悪詐欺師/犯罪者のこと)反乱を起こすことでしか救われないのでしょうか。最後に「ごまめの歯ぎしり」こと千田孝之めもこの凶悪少年世代の走りであります。たしかに当時は中学に不良グループだ多数存在して今のやくざの抗争ばりに覇を競っており、恐喝、万引き、暴力、桃色遊戯、強姦など日常茶番事でした。そんなたくましく野蛮な弱肉強食の時代でした。幸い私はがり勉の世界に逃れて不良グループとは離れた存在で無事でした。

そう考えると現在の少年に悪になれとは言えませんが多少の覇気は必要で、少年の暴力はだめといって牙を抜くのはいかがですかね。「今の少年が切れやすい」なんてことを言うのは、我々の中学時代から見ればぜんぜんおとなしすぎるので、嘘だ。切れやすいのは我々の世代だ。