ブログ 「ごまめの歯軋り」

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文藝書評 小林秀雄全集第22巻「近代絵画」より「セザンヌ」

2007年02月19日 | 書評
セザンヌ

小林氏はこの「近代絵画」において、内容はともかく文章の分量だけで言うと、「ピカソ」が第一、第二がこの「セザンヌ」であるが、絵画論としての白眉はいうまでも無くこのセザンヌ論である。私も絵画論もたくさん読んできたがほとんどが美術評論家、美学者の著したもので、今回のような文学者(小林秀雄は美術評論家ではないですよね)の書いた絵画論は始めてである。

印象として実に言葉が多い。絵そのものの解説がほとんど無い。そして絵画はほとんど文学の植民地化している有様だ。時代の流派で試みられた技術を時代に固定して書くというのはやむをえないだろうが、大体絵描きには言語的には白痴が多いし、歴史にはほとんど無関心な人が多い。自分の客観的位置づけを拒む人ばかりである。また一人の絵描きのなかにいろいろな流派、技術が雑居している。まずこんな風にきれいに文学的ストーリでは語りえないと思われる。小林氏のやり方はほとんどの場合は否定から始まる。そしてごく一部の(天才といわれるような)人に対しては全面肯定から入る。セザンヌに関しては全面肯定である。

セザンヌ論を纏めるについては、出来るだけフランス文学との関連は排除した。そして科学とくに光学理論との関連も排除した。文学運動と絵画の流れは技術手法が隔絶しているし、画家が文学書を読んで自分の手法に反映させるなんてことは不可能である。また光学理論は小林氏の生半可な趣味であって当時の画家が科学を理解しているとは思えないからだ。また光の古典力学・波動論・量子論を理解してどうなるのか。そして小林氏は19世紀の音楽、絵画、文学を出来たら同じストーリで展開したいという下心(ボードレール、ワーグナー、セザンヌの奇妙なトライアングル)が見え見えであるが、それはフランス文学者たる小林氏の文学趣味の問題であろうか。

ヴェラスケス(1599-1660)の晩年の大作「メニナス」を見て小林氏はこういう。「ヴェラスケスの画の主題は構図から、真の主題マチエールは色であるという感じが直に伝わってくる。」  確かに画は遠くから見ると、何が書かれているかという構図は消えぼんやりした色の配置の世界になる。しかしこの結論は余りに予言的であって決してヴェラスケスの先進性をいうのは間違いである。まだこの時代は貴族の注文主の要望により製作する画家の生活ではやはり構図が第一である。つまりデッサン力が重視されていた古典時代である。色は画家の命であることは誰も疑わないが、構図が消え、色の世界になったというのは小林氏の早とちりである。まだ印象派の時代までに200年以上も前のことである。

次にセザンヌの面構成つまりタッチのことについて小林氏はこういう。「セザンヌにとって凡ては色彩だ。セザンヌの手法は写実的であるというより構成的である。かれは独特のタッチで平たい段階をなす小さな面で絵を作っている。これをセザンヌは小さな感覚と呼んで、物の明度、量感、形態、遠近、など凡ての性質が必ず現れることを信じた。」 

これは絵画が筆やナイフやパテで描かれる以上一定の面積を持った最小単位が存在する。その最小単位を小さな感覚ととよぶのは妥当である。しかしその小さな面(点)の上にさらに別の顔料で上塗りしてぼかしてゆくと点は連続した変化になる。それを極力排してもとの小さな面を維持すれば絵は断続した段階的な色の変化(色調変化)になり、セザンヌ的、点描的になる。セザンヌはこの色調変化を徹底的に調和した変化にした。これを美しいというか、或いは単調なモノトーン変化(つまり茶系統、赤系統という単色系の色しか使わない)になることは自明である。

現在でも女性の絵にはこういう絵が多い。補色や鮮やかな色は全体の調和を破るため恐ろしくて使えない。穏かな同系色の段階的変化を重ねて行き全体の調和を維持するやり方である。私事で恐縮だが、私のホームページの日本画を見てお分かりのとおり私はこんなかったるいやりかたはしない。

セザンヌも言っているようにこれは大変な作業である。「私の絵で行き当たりばったりに塗られているところは何処にもない。うっかり塗ればもう一度全体を描きなおさねばならない事になるだろう。」 そのとおりだ。この段階的色調変化(個性的色調変化)は連続した作業で全体との調和を見ながら進めるからだ。

セザンヌの絵として、「セザンヌ婦人の肖像」と「カルタをする二人の男」が掲載されているが、色調は赤系、茶系の範囲から逃れられない宿命にある。セント・ヴィクトアール山の絵も茶一色である。絵の具にはこんなにたくさんの種類があるのにどうしもっと使わないのだろうか退屈な絵だという人がいて当然だ。これを美しいというのも感性なので、とやかくいえないが。


クラシック音楽 モーツアルト弦楽五重奏曲・続編  第2回/全6回

2007年02月19日 | 音楽
・・・インデックスを追う・・・


CDの表示パネルに半導体発光文字で[track],[index],[time:min,sec]が常時表示されている。最近は曲名などの情報が電光掲示板なみに流れるものもある。ところが私の持っている数千枚のCDのなかで、indexは表示されるが1のままであるものがすべてで、indexが時々刻々と変化するものは皆無である。ところがここにindexが時々刻々と変化するCDがある。DENON発売の「モーツアルト弦楽五重奏曲1番~6番」クイケン弦楽四重奏団+寺神戸亮ビオラ  COCO-80076,-83087,-83423の3枚のCDである。しかもCDカバー裏の曲明細解説には楽章についでindexの内容が日本語で書いてある。これはスコアーで節の変化を追いかけるようで曲の構造理解には欠かせない情報になる。ああいい曲だとぼんやり聴いていた楽章も2つくらいの主題の提示と展開そして反復がからんだ構造になっていることが分かる。変な仮定だがもし繰り返しが無かったら曲の感動も理解もなくなること請け合いだ。絶えず新しい主題を入れなければならない作曲家も大変だ。ということで歌謡曲でも(私のホームページの「中島みゆきの魅力」のコーナーでも紹介した)さわりというかサビというものが執拗に繰り返され展開される。漢詩で言うところの対句・転句である。一定のリズムを持たなければ歌ではない。散文では口ずさむことは出来ない。

そこでまず、DENON「モーツアルト弦楽五重奏曲1番~6番」の[track](楽章),[index](節)の記述を行い各節の意味と構成を示す。曲全体の印象は私個人の鑑賞に過ぎない。モーツアルト「弦楽五重奏曲1番~6番」はすべて四楽章形式である。テンポ表示は第1楽章と第4楽章はアレグロ、第2楽章と第3楽章はアダージ、メヌエットもしくはアンダンテである。スコアーの読めない人にとって(ほとんどがそうだろうが)、このindexの記述はスコアーを眺めているように参考になる。どのCDもindexの解説があればさらに曲の理解が進むはずなのだが、大変な手間が必要なのだろうか?

第2回/全6回
弦楽五重奏曲 第2番 ハ短調 K.406 (1787年 30歳 ウィーン)
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第1楽章 アレグロ 12'49"

インデックス
①提示部:第1主題(0'00")
②第1主題確保および推移(0'40")
③第2主題(1'13")
④終止主題(1'53")
⑤前半の反復(2'37")
⑥後半:展開部1:新主題(5'12")
⑦展開部2:第2主題(5'34")
⑧再現部:第1主題(6'10")
⑨第1主題確保及び推移(6'47")
⑩第2主題(7'30")
⑪終止主題(8'10")
⑫後半の反復(8'59") バロック的な形と古典的な形式観が見事に融合した
①分散和音上行とトリルの冒頭主題と
③なだらかな第2主題の対比
⑥~⑨の後半部では同主調のハ長調ではなく主調のハ短調で再現され
⑩では旋律が大きく姿を変える

第一楽章の構成
*力強い第1主題
*優しい第2主題
*後半第1主題は短調で展開され力強い
*後半第2主題は切ないような気分にさせる第1バイオリンの高音

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第2楽章 アンダンテ 4'06"

インデックス
①提示部:第1主題と推移(0'00")
②第2主題(0'55")
③小結尾(1'28")
④展開部(第1主題)(1'45")
⑤再現部:第1主題と推移(2'40")
⑥第2主題(3'14")
⑦第2主題(3'30")
⑧小結尾(3'50")
第2楽章の聴き所
平行調の変ホ長調のアダージョ8分の3拍子のシチリアーノ調
①~④の前半と⑤~⑧の後半の反復が前半は管楽器、後半が弦楽器へ主役が交代している

第二楽章の構成
*冒頭第1主題はゆっくりして後半は力強くなる
*展開部第1主題はかなり遅い展開
*前半①~④は明(光)、後半⑤~⑧は暗(影)の展開
*⑥の第2主題は間違った調では入り、⑦の第2主題は正しい調ではいる工夫が面白い

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第3楽章  メヌエット;アレグレット  4'13"

インデックス
①「メヌエット・イン・カノーネ」:前半(0'00")
②前半の反復(0'27")
③後半(0'38")
④再現(0'53")
⑤後半の反復(1'17")
⑥「トリオ・イン・カノーネ・アル・ロヴォルシオ」:前半:提示(1'55")
⑦提示(転回形)(1'59")
⑧応答(2'04")
⑨応答(転回形)(2'09")
⑩前半の反復(2'13")
⑪後半(2'29")
⑫再現(2'36")
⑬後半の反復(2'50")
⑭メヌエット再現(3'12")

第三楽章の構成
対位法で有名なメヌエットメヌエット前半①②ではチェロが第1バイオリンを1小節おくれで追いかける
③第1バイオリンを第2バイオリンが5度下で模倣する
④ビオラが入って3声のカノンになる瞬間がある
⑥トリオでは4声部書法で第2バイオリンが主題を提示する
⑦第1バイオリンが2小節遅れで追いかけ
⑧第1ビオラが
⑨チェロがそれぞれ2小節遅れで転回形で追いかける

第三楽章の聴き所
*メヌエットは実に美しいメロディーで始まる

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第4楽章 アレグロ 6'20"

インデックス
①主題前半とその反復(0'00")
②主題後半とその反復(0'21")
③第1変奏(前半・後半の反復)(0'33")
④第2変奏(前半・後半の反復)(1'04")
⑤第3変奏(前半・後半の反復)(1'37")
⑥第4変奏(2'10")
⑦第5変奏:変ホ長調(前半・後半の反復)(2'44")
⑧推移(4'09")
⑨第6変奏:短調(4'16")
⑩第7変奏と推移(4'48")
⑪第8変奏:ハ長調(5'35") 終楽章アレグロはハ短調、4分の2拍子の変奏曲、ロンド主題の魁
ロンドの簡潔な主題は息つく間もなく多様な形に変えながらハ長調で全曲を終わらせる

第4楽章の構成
*変奏が緩・急・伸びやか・軽快・静か・活気などめまぐるしく変化して活気がありかつ美しい曲
曲全体の印象 ・管楽合奏曲風の作品(原曲は「セレナーデ」 ハ短調K.388)
・原曲は管楽器8本のにぎやかな曲をしっとりとした弦楽五重奏に変えている

第4楽章の聴き所
*終楽章アレグロの第1~第8の変奏曲は実に多彩でかつ静かな曲である

橋本治著 「ひらがな日本美術史」 2-16 狩野正信「山水図」

2007年02月19日 | 書評
狩野正信「山水図」・・平均値的なもの・・

狩野派は室町時代の狩野正信を始祖とする。狩野派の特徴とは1つに漢系画、2つに技法をうまく統合した、3つにいつも体制派だったことである。狩野派とは権力者にふさわしい絵を画く集団である。それは豪華であり力強く威厳と威圧を兼ねている。いわばおどろおどろしい絵なのであるが、狩野元信の山水画は分かりやすく明瞭で装飾的な大和絵を水墨画風タッチで描いた物である。漢絵である水墨画がやわやかな大和絵になっている。すなわちやまと化されている。