ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

外圧に弱い政府は、米国の保護期間70年延長要求を認めるか

2007年02月05日 | 時事問題
asahi.com 2007年02月05日08時28分
「古典読む自由を」著作権期間延長に反対署名 青空文庫
 作家の死後50年たって著作権が切れた作品など約6000点をネット上で無料公開し、視覚障害者にも利用されているインターネット図書館「青空文庫」が、米国政府などが求める著作権保護期間の延長に反対する署名活動を始めた。「一定期間を過ぎれば、利用を積極的に促している著作権制度の考え方に反する」と指摘している。米政府は知的財産権の保護強化のため、保護期間を死後70年に延長するよう日本に求めている。

米国の知的財産独占を図る戦略が、日本の出版物まで及ぶとは?
とんだとばっちりです。医薬品の特許のような知的財産を独占するなら話も分るが、それでも10年です。何故出版物に70年なのですか。創作した本人が死んでいれば、儲けるのは遺族か出版社です。例えば20歳で出版した本の著作権は保護期間50年なら、本人の年齢70歳まで保護されます。保護期間70年なら90歳まで保護されます。微妙なところですね。それにしてもアメリカの規制緩和要求には随分協力してきた日本政府ですが、規制強化にも協力するのですか。身勝手なアメリカです。
青空文庫に興味のある方は一度立ち寄って反対署名をなされてはいかが。

「カモカのおっちゃん」 好感が持てます

2007年02月05日 | 写真館
asahi.com 2007年02月05日
「町歩いて役名で呼ばれるなんて」 「芋たこ~」國村隼
 放送中のNHK朝の連続テレビ小説「芋たこなんきん」で、主人公の夫役を務めている國村隼(じゅん)。いかつい顔に優しさをにじませた演技が印象的で、「好感度」が一気にあがった。國村が、「朝ドラ」出演を決めた事情や、演技者としての心得などを語る。
「芋たこ~」は、作家田辺聖子の半生とエッセーを原案にした夫婦の物語。田辺をモデルにした町子を藤山直美が演じ、國村は、その夫で大阪の町医者の徳永健次郎を演じている。田辺の実際の夫は、故人の川野純夫さん。エッセーには「カモカのおっちゃん」という愛称で登場する。
町を歩くと、たくさんの人から、「カモカのおっちゃん、みてるよ」と声をかけられるそうだ。「役名で呼ばれることは、これまであまりなかったですね」

「カモカのおっちゃん」の良さは、話を聞く姿勢にある
「カモカのおっちゃん」の実像は聖子さんのみが知るのでしょうが、國村隼さん演じる「カモカのおっちゃん」は私どもがテレビで見ていて、実に慎重に聞く耳を持ったお人のようです。大阪弁の確かさは直美さんと同じです。直美さんのようなドタバタは演じませんので安心してみていられます。ドタバタもサービス精神から来たものでしょうが、大阪喜劇役者のドタバタは私にはどうも戴けません。「おっちゃん」にはところどころに納得させられるセリフが多く、私の文化とそうは違わないようで共感します。「おっちゃん」なら話を深いところで聞いてもらえるような安心感があります。

文藝書評 小林秀雄全集第18巻「表現について」より「金閣焼亡 」

2007年02月05日 | 書評
金閣焼亡

 1950年京都衣笠の金閣寺が狂人の青年僧の放火により焼失した。彼の自供によると「金閣を見に来る閑な人間を見ていると、金閣の美は私には醜に見える。そんな人間を憎む私も醜い。なぜこう人嫌いになったのかそれは私のどもりから来ている。いらいらした気持から放火したが、これは社会革命の端緒だ。」
要するにどもりを人にからかわれて人間不信になった。これがかれの倫理観の欠如(人とのつながり、信頼感)である。これでは人間生活は営めない。人間信頼は人のかかせぬ常識でなければならない。常識を欠けば狂気といわれる。生理的な病理的な欠陥もこれを後押しする。彼の場合は前者が原因であろう。
ここに徒然草第八十五段を引用する。「人の心素直ならねば偽りなきにしもあらず。されども、自ずから正直の人、などかなからん。己れ素直ならねども、人の賢を見て羨むは、尋常なり。至りて愚かなる人は、たまたま賢なるひとを見て、これを憎む。・・・・・・・・狂人の真似とて大路を走らば、則ち狂人なり。悪人の真似とて人を殺さば悪人なり。驥を学ぶは驥の類、舜を学ぶは舜の徒なり。偽りても賢を学ばんを、賢と言ふべし」
ここで説いているのは人の性である。倫理である。また真似をすることの重要性で人の教育論でもある。常識を逸すれば狂人だ。人はいかに危ういことか。

 この文章で意外にも、小林氏の論の持って行き方を勉強した、この章は徒然草第八十五段の模倣である。なるほど小林氏の文章作成の秘密が分かった。彼は学習能力が高い(いいと思えば直ぐ真似をする。)ただ最後に書かれた方丈記の論はいただけない。方丈記を読んで確かめたが、安元の大火の記述はあるが、その顛末の記述は小林氏は源平盛衰記から引用している。方丈記には間違っても狂気に関する記述は無い。「人間の狂気の広さに比べれば、人間の正気は方丈くらいのものだと彼は(鴨長明)言っている。」この条は小林氏の創作であって、鴨長明はそんな事はどこでも言っていない。方丈記に変な因縁をつけているのは彼のレトリック(修辞)であろう