アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

辺野古「国と県は話し合いを」の落とし穴

2015年03月31日 | 沖縄・辺野古

      

 翁長雄志沖縄県知事の「辺野古作業停止指示」を、林農水相が30日「効力停止」にしたのは、予想通りの茶番劇です。
 あらためて強調したいのは、安倍政権は「民意」「民主主義」「地方自治」などなんとも思っていない強権政権であり、それを相手に辺野古新基地を阻止するには、どのようなたたかいを進めるべきかを考える必要があるということです。

 林農水相の裁定に対し、県幹部は、「県の指示自体が、ないことになった。岩礁破砕許可を取り消すなら、知事の政治判断しかないのではないか」と述べ、「行政的に取り消す根拠がすぐには思いつかないと、次の展開が悩ましいとの表情を浮かべた」(31日付沖縄タイムス)と報じられています。

 繰り返し述べてきたように、行政的手続きの解釈や瑕疵に争点をおくのは政府の土俵です。問うべきは民主主義、地方自治という政治の神髄です。まさしく「知事の政治判断」が求められているのです。しかもそれは、「岩礁破砕許可の取り消し」という抹消の問題ではなく、「埋め立て承認」自体を撤回するという政治判断・決断であり、その実行が緊急に求められているのです。

 しかし翁長氏は30日、「承認取り消し」という「次の一手」への言及をさけ、「政府と話し合いをさせて頂きたい」と述べました(写真中)。
 「とにかく国と県は話し合うべきだ」という声は、翁長氏に限らず、県や本土の政党、マスコミ、街頭の声などから広く聞かれます。
 「話し合い」は大切というのは一般的通念ですが、こと「辺野古新基地建設」に関しては、とにかく国と県が話し合えばいいというものではありません。それは的を外れているだけでなく、きわめて危険な道への入口になりかねません。

 そもそも、何を「話し合え」というのでしょうか。辺野古新基地建設反対、普天間の県内移設反対という県民の民意はすでに何重にも明白です。これ以上県から国に言うべきことがあるでしょうか。一方の安倍政権も、そうした民意は承知の上で強行してきているのです。
 そんな緊張関係の中で、何を「話し合う」のでしょうか。予想されるのは、なんらかの「妥協点」を探ることです。翁長氏が一貫して「政府との話し合い」を切望しているのも、その「妥協点」を見つけるためではないでしょうか。
 
 そんな中で注目されたのが、29日放送のNHK討論です。橋本龍太郎内閣の首相補佐官を務め、普天間基地の辺野古移設を決めた張本人の岡本行夫氏がこう述べました。
 「政府も沖縄県もお互いに説明が不十分だ。翁長知事も意固地にならず話し合うべきだ。例えば、緊急避難的に辺野古(の基地)を使う、それがいつまでなのか、という議論をすすめるべきだ」(写真右)

 「緊急避難」的に、期限をきって辺野古の基地を認めるという「妥協案」です。沖縄問題でいまも政府や沖縄の保守に影響力をもつ岡本氏の「提案」だけに聞き捨てなりません。
 しかし、これはいうまでもなく、辺野古新基地建設を容認させるための、それこそ方便です。

 このほか、さまざまな「妥協案」が出てくる可能性があります。
 しかし、辺野古新基地をめぐっては、「妥協」はありえません。新基地を造るのか、造らせないのか、そのどちらかです。
 安倍政権に「話し合い」で、辺野古新基地、普天間「県内移設」を断念さることは不可能です。

 新基地を阻止するためには、知事の法的権限を行使し、民主主義と平和の本旨に立って政治的に世論を喚起し、安倍政権を追い詰める以外にありません。
 すなわち、「埋め立て承認」自体を直ちに撤回することから、ほんとうのたたかいが始まるのではないでしょうか。

<お知らせ>

 4月から当ブログのタイトルを変えます。すでに沖縄を離れて1年以上経過して、「沖縄日記」は不自然だからです。
 新タイトルは、「アリの一言」とします。巨大な壁も「アリの一穴」で崩れる、とのことわざにならい、強大な権力に言論でささやかな抵抗を試みていきたいという決意を込めました。内容はこれまでのように沖縄や広島を中心にしながら、幅広いテーマ・角度から、人権、民主主義、戦争と平和などについて考えていきたいと思っています。
 今後ともよろしくお願いいたします。


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