癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

2日目 48細久手~49御嶽~50伏見~51大田〈24.4km+1km〉

2016年11月13日 | 登山・旅行

 有形文化財の大黒屋旅館で、尾張の殿様と同じ部屋で寝泊まりをし、美味しい朝食をいただく。
 宿泊代はビール代を抜いて2人で2万円だった。春の中山道を含めて、一番高かったかもしれない。しかし、宿の対応も良く満足感は大きい。

 7:20、スタート。この細久手宿は、一本道のひなびた宿場の割りには、古い建物がほとんど残っていない。幕末のころに大火で焼けたらしい。今回泊まった大黒屋が一番古い建物らしい。


細久手宿本陣跡


県道から本格的な山道へ入って行く


秋葉坂の三尊石仏。石窟の中に馬頭観音や観音坐像か祀られている。


山道ならではの紅葉。このあと、津橋の集落へ下りるが、再び山道へ入って行く。


峠を越えて下っていくと「謡坂の石畳」。旅人が自らを元気付けるために歌を謡ったというのが名前の由来。


全国でも珍しい耳神社。耳の病にご利益があり、治ったら錐を奉納するという。たくさん奉納されていた。


牛の鼻かけ坂の出口。牛の鼻が欠けるほど急な坂が由来。江戸へ向かうときの本格的な山道への入口で、ここから京までは、ほとんど平坦な道になるとのこと。

ここを下ると、国道21号線の歩きとなる。コンビニで、アイスコーヒーとお菓子で休憩タイム。


国道へ出たところに、平安時代の三大女流歌人の和泉式部が東山道の旅の途中で、この地で没したという石碑

10:35、御嶽宿に入って行く。御嶽宿は願興寺の門前町として栄えた宿場である。


国道から旧道に入ると、商家竹屋を中心に、古い家並みが続く。この中や裏の蔵や茶室なども公開されていた。


その隣の御嶽宿本陣跡


さらに、その隣は、みたけ郷土館。1階は図書館だったが、2階には充実した展示が公開されていた。


815年開創の願興寺。国の重要文化財。


御嶽宿を抜けると、部分的には旧道もあるが、ほとんど国道歩きとなる。


11:40、国道沿いの横浜飯店で昼食タイム。ボリューム満点のチャーハンと辛い台湾ラーメンのセットで680円は安いし、味も良かった。

12:40、国道21号線が宿場町を貫く伏見宿に到着。


伏見宿本陣跡


一本松公園。歩き旅人のための休憩所。


国道沿いに古い町家が残る。


国道沿いの一里塚。山道には対になった塚が残っていたが、国道沿いは工事で削られてしまったようだ。


やがて、国道から離れて旧街道を進むと、木曽川に架かる太田橋。ここには、今渡の渡し跡がある。


太田橋を渡って堤防上から、太田橋の下の、太田の渡し跡を見下ろす


木曽川を眺めながら、堤防の上を歩く。

14:30、堤防から下りて、旧街道へ入って行くと、太田宿に到着。
太田宿は、「太田の渡し」を控えた宿場で、この地方の行政・文化の中心として発展した。現在は美濃加茂市である。


当時の名残をとどめる1769年建築の脇本陣林家。今でも住居として使われているが、中山道随一の脇本陣遺構といわれ、国の重要文化財に指定されている。


太田宿本陣跡の表門


今日のゴールとするその向かいの太田宿中山道会館の庭で、和太鼓の演奏会が行われていたので、30分ほど鑑賞。


中山道から離れて、1kmほど歩き、15:10、美濃加茂駅前のホテルルートイン美濃加茂へ。

 すぐあとに、朝に大黒屋をこちらより先に出た東京からの通し歩きの男性も到着。どこで追い越したか分からなかった。

 このホテルの宿泊費は、朝食付きで、2人で9900円。なんといっても大浴場があって、のんびり疲れを癒せるのがうれしい。昨日の風呂は足を伸ばせなかった。


 夕食は、ホテル近くの魚民へ。二人で食べたもの。このほかに生ビール2杯。妻はおにぎりとウーロン茶。

街道上の行動時間 7時間10分、歩数計 40000歩