夜明けが6:30なので、春のように5:00出発というようなこともできず、距離を稼ぐことはできない。6:50、朝食を摂ってスタート。
岐阜駅の加納口から抜けて、7:00に中山道へ戻る。
加納宿を抜けて、河渡(ごうど)宿を目指す。交通量の多い国道歩きでなく、旧街道なので助かる。
河渡宿の手前で、現在も運行している長良川の「小紅の渡し」があるというので乗ってみた。
無料だが、櫓漕ぎでなく船外機だったのが少し残念。
渡しから下りて、堤防を歩く。左奥の橋が河渡橋で、昔は「河渡の渡し」があったところ。
8:50、1.5kmほど遠回りになったが、河渡橋から堤防を下りて、河渡の宿へ入って行く。
河渡宿は、長良川の渡しで栄えた宿場である。しかし、第二次世界大戦による消失や、長良川の河川改修により、当時の名残はあまり見られないらしい。
珍しい木製の常夜灯とその左奥の観音堂
町並みには、街道の面影が感じられる。
美江寺宿に向かう途中は、農村風景が広がっていた。
美江寺宿に向かう途中の、目にしたことのなかった本田代官所跡
9:55、美江寺宿に到着。ここは、「河渡の渡し」と揖斐川の「呂久の渡し」の間に当たることで栄えたこじんまりとした宿場である。
美江神社(右奥)とその角に建つ虫籠窓のある大きな町屋・和田家
美江寺宿を抜けて、赤坂宿までは、田園風景が広がる中を、揖斐川の堤防を目指して進む。
この辺りは、富有柿の産地で、柿畑が多い。
昔、呂久の渡しのあったところの和宮記念公園の小簾(おず)紅園。和宮の歌碑が設置されていて、紅葉がきれいだった。
箱館人さんから、「昼食が摂れるところが無かった」という情報を頂いていたので、11:30、途中で目にしたコンビニへ寄って、肉まんと唐揚げ棒の昼食。
その後、赤坂宿までの4kmほどの道は、農村だったが、立派な屋敷が多く、落ち着いた旧街道の雰囲気が漂っていた。
13:00、赤坂宿のシンボルの火の見櫓と昔の川湊・赤坂港の遺構(手前)に到着。
赤坂宿は、河川湊「赤坂港」や交通の要所として栄えた宿場で、町全体に街道風情が漂い、見所の多い宿場だった。
1833年に建てられ、現在も住居として健在の矢橋家。
中山道57番の宿場ということで「五七」の土産物屋兼休憩所。
街道から少し入ったところにあった大きな昼飯(ひるい)大塚古墳。前方後円墳だった。
14:35、垂井宿に入っていく。宿場入口に建つ旅籠丸亀宿屋。
道路を跨ぐ南宮大社の大鳥居。
珍しく町中の街道なのに、片方ながら塚の残っている垂井一里塚。
やがて、関ヶ原へと入っていくが、立派な屋敷の続く街道筋。
美濃路唯一の松並木だが、細い木ばかりなので、のちに植えられたのかも?
国道と鉄道を挟んだ桃配山の徳川家康最初の陣地。
最後の1kmほどは、国道21号線の歩きとなる。古戦場の大きな看板を右に曲がって、今日のゴールの関ヶ原駅へ。
15:55、関ヶ原駅到着。古戦場としては有名たが、往時を偲ぶ史跡は少ない。近くの宿は満室だったので、ここからタクシーで、今日の宿へ向かう。
貸し切りだった神山旅館。一番良い部屋へ通された。
お風呂に浮かんでた直径20cmはありそうな、初めて目にした花柚子。非常に香りが良かった。もっと大きくなるらしい。
料理がとても美味しくて、大満足。
観光ポスターや芸能人やスポーツ選手のサインがたくさん飾られた食事部屋。
自分は痛いところもなく、快調な歩きだったが、妻は後半は足の痛みが強くなり、かなり辛そうだった。なのに、赤坂宿の手前で、道を間違えて、1.5kmほど余計に歩かせてしまった。
今回のこれまでの最長距離で、行動時間9時間。歩数計52000歩。
岐阜駅の加納口から抜けて、7:00に中山道へ戻る。
加納宿を抜けて、河渡(ごうど)宿を目指す。交通量の多い国道歩きでなく、旧街道なので助かる。
河渡宿の手前で、現在も運行している長良川の「小紅の渡し」があるというので乗ってみた。
無料だが、櫓漕ぎでなく船外機だったのが少し残念。
渡しから下りて、堤防を歩く。左奥の橋が河渡橋で、昔は「河渡の渡し」があったところ。
8:50、1.5kmほど遠回りになったが、河渡橋から堤防を下りて、河渡の宿へ入って行く。
河渡宿は、長良川の渡しで栄えた宿場である。しかし、第二次世界大戦による消失や、長良川の河川改修により、当時の名残はあまり見られないらしい。
珍しい木製の常夜灯とその左奥の観音堂
町並みには、街道の面影が感じられる。
美江寺宿に向かう途中は、農村風景が広がっていた。
美江寺宿に向かう途中の、目にしたことのなかった本田代官所跡
9:55、美江寺宿に到着。ここは、「河渡の渡し」と揖斐川の「呂久の渡し」の間に当たることで栄えたこじんまりとした宿場である。
美江神社(右奥)とその角に建つ虫籠窓のある大きな町屋・和田家
美江寺宿を抜けて、赤坂宿までは、田園風景が広がる中を、揖斐川の堤防を目指して進む。
この辺りは、富有柿の産地で、柿畑が多い。
昔、呂久の渡しのあったところの和宮記念公園の小簾(おず)紅園。和宮の歌碑が設置されていて、紅葉がきれいだった。
箱館人さんから、「昼食が摂れるところが無かった」という情報を頂いていたので、11:30、途中で目にしたコンビニへ寄って、肉まんと唐揚げ棒の昼食。
その後、赤坂宿までの4kmほどの道は、農村だったが、立派な屋敷が多く、落ち着いた旧街道の雰囲気が漂っていた。
13:00、赤坂宿のシンボルの火の見櫓と昔の川湊・赤坂港の遺構(手前)に到着。
赤坂宿は、河川湊「赤坂港」や交通の要所として栄えた宿場で、町全体に街道風情が漂い、見所の多い宿場だった。
1833年に建てられ、現在も住居として健在の矢橋家。
中山道57番の宿場ということで「五七」の土産物屋兼休憩所。
街道から少し入ったところにあった大きな昼飯(ひるい)大塚古墳。前方後円墳だった。
14:35、垂井宿に入っていく。宿場入口に建つ旅籠丸亀宿屋。
道路を跨ぐ南宮大社の大鳥居。
珍しく町中の街道なのに、片方ながら塚の残っている垂井一里塚。
やがて、関ヶ原へと入っていくが、立派な屋敷の続く街道筋。
美濃路唯一の松並木だが、細い木ばかりなので、のちに植えられたのかも?
国道と鉄道を挟んだ桃配山の徳川家康最初の陣地。
最後の1kmほどは、国道21号線の歩きとなる。古戦場の大きな看板を右に曲がって、今日のゴールの関ヶ原駅へ。
15:55、関ヶ原駅到着。古戦場としては有名たが、往時を偲ぶ史跡は少ない。近くの宿は満室だったので、ここからタクシーで、今日の宿へ向かう。
貸し切りだった神山旅館。一番良い部屋へ通された。
お風呂に浮かんでた直径20cmはありそうな、初めて目にした花柚子。非常に香りが良かった。もっと大きくなるらしい。
料理がとても美味しくて、大満足。
観光ポスターや芸能人やスポーツ選手のサインがたくさん飾られた食事部屋。
自分は痛いところもなく、快調な歩きだったが、妻は後半は足の痛みが強くなり、かなり辛そうだった。なのに、赤坂宿の手前で、道を間違えて、1.5kmほど余計に歩かせてしまった。
今回のこれまでの最長距離で、行動時間9時間。歩数計52000歩。