癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

ゴミ山退治

2011年07月11日 | 日常生活・つぶやき
       
         (小清水原生花園で今盛りと咲いていたエゾスカシユリ)

 今日も天気予報が外れて、スカッパレになり、暑かった・・・最高気温が29.5℃。
 そんな中、汗だくになりながら、ここ数年、家の敷地の裏角に積み上げていた剪定した枯れ枝や切り倒した木の幹や枯れ草などのゴミの山を片付けた。ついでに家の周りの草取りも・・・・。

 枯れ草や新しく取った草など大きなビニール袋に詰めたものが6個、枯れ枝や木の幹を紐で縛ったものが6個・・・車の後部座席を外した荷台一杯になった。それを、市の燃えるゴミ焼却センターに直接運び込んだ。

 もし、燃えるゴミの日に出していたら、80円×12個=960円だが、何度にも分けなくては持って行ってもらえない。それが、直接持ち込んだら全部で252円だった・・・安い!この場合、入場する車の総重量から退場するときの総重量を引いた重さで料金が決まる。燃えないゴミもごみ処理センターへ直接持ち込むこともあるが、ここも同じシステムだ。

 長年の懸案だったゴミの山が片付いて、すっきりとした。ついでに除草剤も買ってきて、草の生えるところにも巻いた・・・・当分は護美を維持したいものだ・・・。

夏は来ぬ(なつはきぬ)

2011年07月10日 | 日常生活・つぶやき
      
            (色付き出した我が家のアジサイ)

 今年一番の暑い一日だった・・・天気予報が外れて、午前中からスカッパレになり、夏の太陽が照りつけた。最高気温は不明だが、窓を開け放しても室温が29℃まで上がり、梅雨前線の影響なのか湿度が高いこともあり、黙っていても汗ばんできた・・・。

しかし、全国的にも猛暑日だったようで、37℃を越えたところもあり、震災の被災地も軒並み35℃を越えたようだ・・・・そのようなところに比べたら暑いなんて言ってたら罰が当たりそう・・・・。

      
            (咲き出した我が家のテッセン)
 
 知床から帰ってきて3日目だったので、夕方にでもジョギングしようと思っていたが、夕方になっても、ギラギラ太陽の下では、とてもそんな気は起きなかった。明日の朝にでも走ろうと思うのだが・・・?

 その点、山というのはあまり暑さを感じることはない。汗を掻くのが当たり前なこともあるが、たいていは涼しい内の早朝にスタートするし、下の方は森林の中だし、森林限界を抜けると、高度の関係で気温が下がっている(100mに付き0.6℃下がる)こともあって、下界で感じる暑さを経験することはほとんどない・・・・。3000m級の本州の山では、平地より20度も低くなっているので、天候次第では寒いことさえある。

 7日の知床近辺はかなり暑かったようだ・・・遭遇した熊も雪渓に身体を擦りつけていたのも頷ける。こちらは雪解け水が美味かった!

雨の700km

2011年07月08日 | 登山・旅行
         

 今回の山旅の前半は道東で、後半は日高の予定だった。しかし、今日から1週間ほどの長期予報は雨か曇りの日ばかり。連日の停滞は耐えられない。結局、諦めて一度帰ることにした。日高は天候が安定してから出直すことに・・・・。

 羅臼の道の駅を5:00に出て、疲れたら途中で泊まっても良いと思ったが、眠くもならず、途中休みながらも一般道路700kmを走って、19:00には帰宅することができた。休憩時間を入れて14時間の運転というのも過去にはあまり経験がないかも・・・?

 知床まで出掛けて行って、わずか一山というのは、02年の海別岳以来だ。そのときは、まだ現職中だったので、やむを得なかったが・・・。

 明日は、携帯から送ったブログの写真を大きな物と差し替え、硫黄山をHPにアップするつもり・・・。

知床・硫黄山

2011年07月07日 | 登山・旅行

 これ以上は望めない最高の天候に恵まれ、17数年ぶりの硫黄山再訪で、念願のシリトコスミレとも対面ができた。

 中標津の岳友のMiさんもMoさんも5回ほど登っているが、シリトコスミレは見たことがないとのことで、同行してくれることになった。

 実は、シレトコスミレねらいの硫黄山は数年前から目論んでいたが、ずっと登山口のカムイワッカの滝までの自家用車が通行禁止になっていた。今年の7月末まで限定で解禁になったのですかさず実行に移した次第。

 詳しい山行記録は、帰宅後、ホームページにアップするが、950mから沢詰めとなり、1000~1300mは緩やかな雪渓歩きだった。自分はスパイク長靴にピッケル持参だったが、二人はダブルストックと登山靴だったが、アイゼンを使うほどではなかった。

       
        (沢の中に咲いていたエゾコザクラ)
        
        (沢を埋める雪渓を登る) 

 シレトコスミレは、ちょうど見頃なのが源頭付近の1360付近で10株ほど。稜線に出たところの5株ほどは、すでに花が終わりかけていた。
       
        (ひと株だけの健気なシレトコスミレ) 

 ロッククライミングもどきの末の一番乗りの頂上からは、斜里岳から連なる知床の山々はもちろん国後島もくっきりと見えた。この山の付近の荒々しい地形の眺めは、羅臼岳からの展望よりはるかに勝る。
       
         (羅臼岳方面をバックに集合写真・・・はるか斜里岳まで見える)

        
         (頂上から望む知床岳)

 1時間ものんびりして下山したが、雪渓の下の方で熊に遭遇のハプニング。雪渓で体を擦り付けて涼んでいて、声を掛けても知らんぷり。近づいて笛を吹き、声を掛けたら、漸く動いたが、雪渓の岸に上がっただけで、こちらは全く無視で草を食み始める。

 こうなったら、襲っては来ないだろうと12m程の幅の雪渓の端を静かに通過。その間ずっとこちらを見詰めていたが、これまで近くで見た熊の中で最大だった。顔がでかかった。一人だったらびびっていなくなるまで通過はできなかっただろう。カメラでは撮ったが、携帯で撮る余裕はなかった。帰宅後が楽しみ。
       
         (こちらの通過をジッと見つめる人馴れした?大きなクマ)

 5:05カムイワッカの滝ゲート発。登山者の車は300mほど手前に停めさせられた。登り3時間25分、下り2時間40分。12:10ゴール。

 知床五湖の入口で中標津の二人と別れ、高架木道で整備された一湖までピストン。二湖~五湖を巡るガイドツアーは一人5000円という非常識が料金なので、文句を付けただけで止めた。
       
         (知床一湖越しに眺める知床硫黄山(左の鋭峰))       

 その後、知床峠を越えて、羅臼温泉のホテル峰の湯で入浴し、羅臼の道の駅に落ち着いた。明日の予定は天気次第。

 詳しい山行記録と28枚の写真は、下記からどうぞ!
 http://sakag.web.fc2.com/siretokoiou11.htm

北海道斜め横断

2011年07月06日 | 登山・旅行
目が覚めた3:00に旧道路情報館を出て、薄暗い内に札幌を抜ける。雨上がりの国道12号線をのんびり北上。比布から無料の高速に乗り、終点の丸瀬布へ抜けたのが8:30。青空が広がり、夏の太陽が顔を出して暑い。

ここで、ちょっと立ち寄り観光・・・かつて森林鉄道で使用されていた蒸気機関車が走る「丸瀬布森林公園いこいの森」とその奥の「山彦の滝」と「鹿鳴の滝」へ。汽車は平日で走ってなかったが、その奥にある廃校を利用したギャラリー「マウレメモリアルミュージアム」は見応えがあった。いこいの森には「郷土資料館」もあった。
             
         (赤い岩をバックに垂直に落ちる山彦の滝)

     
         (山彦の滝の基部・・・裏へも回れるので裏見の滝とも呼ばれるとか)

  
    (鹿鳴の滝・・・山彦の滝と姉妹滝だが、苔むした岩の間を流れ落ちる姿が美しい)

     
 (廃校になった武利小学校を再利用した「マウレメモリアルミュージアム」・・・中はギャラリーとなっていて、口と足で描く世界の画家の作品、仏像画、世界の蝶、世界の化石、世界の仏像などの展示が非常に充実して、見応えがあった)

           
  (現在も森林公園内を走っている北海道遺産「雨宮21号」)
   

 次の立ち寄り先は「小清水原生花園」。ちょうど真っ盛りといった感じで、エゾスカシユリ、エゾキスゲ、ハマナス、ハマフウロなどが咲き誇っていてみごとだった。これまで2回寄ったことがあるが、こんなにみごとなのは初めてだった。
      
      
      

 あとは、手前のオシンコシンの滝に寄って、14:30にゴール地点のウトロの道の駅シリエトクに到着。明日一緒に登る中標津のMiさんとMoさんが到着するまで、『Ho』に無料パスポートが付いている1000円のホテル知床の温泉へ。16:00に道の駅に戻ったら中標津のお二人が着いていた。すっかりご馳走になった。

      
    (前日の雨のお陰で水量が多く迫力があったシンコシンの滝)

        
    (中標津のMiさんとMoさんにジンギスカンからビールまで、すっかりご馳走になった)

      
     (本州ナンバーが主体の車中泊の車で溢れる「うとろ道の駅シリエトク」)

      
      (ウトロ港の向こうに沈む夕日)

知床めざして

2011年07月05日 | 登山・旅行
2週間ほどまとまった日程がとれたので、道内山旅第2弾に出ることにした。まずは、この時期ならではのシレトコスミレ狙いで、知床を目指すことに・・・。ウトロの道の駅をカーナビへ入れたら約660km。高速を利用しない限り、とても1日で走れない。

そこで、退職組織の理事会終了後の3:30に家を出て、今日中に札幌の豊滝の道路情報館まで走って車中泊。これで、1/3走ったことになる。この道路情報館、以前は、道路に関する図書館なども併設された立派な施設だったが、今は、24時間トイレだけが開放された「豊滝除雪ステーション」となっていた。

道スキー指導者協会の集い

2011年07月03日 | スキー・クロカン
             

 昨日、シャトレーゼ ガトーキングダム サッポロ のホテルを会場として開催された「第24回北海道スキー指導者協会の集い 2011石狩大会」に参加してきた。副会長としての私の任務は、講師への謝辞だった。

 集いのメインは、講演会と懇親会。今年の講師は、全日本スキー技術選手権大会で2007年・2008年2連覇の偉業を成し遂げ、その後も2位・4位・2位の成績を維持している全日本ナショナルデモンストレーターの井山敬介氏(石狩スキー連盟所属)。

 演題は「私とスキー~元気の出るスキーを目指して」・・・今や日本を代表するトップスキーヤーとして活躍している中で、子供たちにスノースポーツの素晴らしさを伝えるために、国内の異なるフィールドのトップスキーヤーを集めて、札幌市内の小中学校で「スーパースキー学習」をボランティアで展開している。その活動を中心とした取り組みが主な内容だった。それらを記録したDVDの動画も見せていただいた。

 行動力、感性の豊かさ、発想の豊かさ、人間的な幅の広さ等にも感心したが、「スキーの楽しさを伝えるためには、自分が楽しんでいる姿を見せること」ということが印象的だった。

     
 DVD製作もした仲間の一人・伊藤大悟氏との対談というより楽しい掛け合い形式で展開された。

     
          全道からの参加者による懇親会の様子    

     
 会場となり、宿泊もしたシャトレーゼ ガトーキングダム サッポロ(旧札幌テルメ)は、茨戸川河畔の広大な敷地に建つゴージャスなスパ&リゾートホテルだった。こんな贅沢なホテルは、旅費が出たとき以外は泊まることはできない・・・。ちょっとリッチな気分を味わった。週末ということもあり、多くの宿泊客や家族連れで賑わっていた。

             
       8階から見下ろす吹き抜けのレストランと外の奧にはプールの遊戯施設

     
       早朝散歩で目にした茨戸川での漕艇の朝練と釣り人たち

西部地区の再生「蔵」巡り

2011年07月01日 | 街並み・歴史探訪・ドライブ
 「第62回箱館歴史散歩の会」(主宰・中尾仁彦氏)に参加してきた。
 今日のテーマは「西部地区の再生「蔵」巡り」だった。
 函館西部地区には多くの土蔵や石造り蔵が多く残っている。大火が相次いだ函館には必須の建造物だった。多くは老朽化している中で、資料館、喫茶店、レストラン、ギャラリー、店舗などに改造・利用されている姿を訪ねて歩いた。

        
 「喫茶店・茶房ひし伊」~旧入村質店の建物を改造。
 左から喫茶店(石造り・大正10年)アンティークショップ(土蔵造り・明治38年)、母屋(全国でもかなり早い鉄筋コンクリート・明治38年・)
 3回の大火すべてに焼け残ったのは、函館でもここの3棟だけとのこと。中に火が入らないように用心土で全ての隙間を塞ぐ工夫がされたことによるらしい。 

        
 「BAR hanabi」~隣の明治12年創業の国松酒店の蔵(石造りに漆喰を塗ってある)

        
 「欧風料理 紫ぜん」~明治後期に建てられた当時の海産商の土造蔵時のを改造           
        
 「高田屋嘉兵衛資料館」~昔の海産商田中商店の蔵を改造。
 左が明治36年の石造り、右が大正10年のコンクリート造り。

        
 「市立函館博物館郷土資料館」~旧金森洋物店を改造。
 見世蔵(店蔵)という商家建築様式で、明治13年の煉瓦造り・漆喰塗り

        
 「函館元町ホテル」~海産商・桂久蔵の大正元年築の土蔵(左)を改造して、現在は客室(和室)として利用。この場所は、明治10年の大火前までは、称名寺に本堂が建っていたところで、箱館戦争当時は新撰組屯所でもあった。
 
        
 「gllery・cafe三日月」~旧富田質店の母屋と蔵を改造。明治30年築。

        
 「蕎麦蔵」~海産商の母屋と蔵を改造。明治22年築。母屋は和洋折衷の作りになっている。
        
 「旧相馬邸の資料展示室」~明治43年築の旧相馬邸付属土蔵。
 現在は壁をトタンで覆っているが、来年までには当時の姿に修復する予定とのこと。

        
 「茶房 無垢里」~土蔵は甘味処として営業