癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

今月末で廃業となる「富岡温泉センター」

2019年11月27日 | 日常生活・つぶやき


   

 我が家から徒歩5分ほどのところにある温泉銭湯「富岡温泉センター」が、11月30日で営業を終了し廃業するという。
 最近はご無沙汰だったが、これまでに一番多く入った温泉かも知れないだけに、そう聞くと寂しさが募る。
 本日、見納めと入り納めを兼ねて、6時から営業している朝風呂に入ってきた。
 以前は、朝風呂の常連がいて賑わっていたものだが、今日は自分を入れてわずか4名だった。
 
 この温泉は、昭和40年(1965年)に「富岡浴場センター」の名で開業。そのときから数えると55年になる。
 昭和60年(1985年)には地下1200メートルから65度の温泉を掘り当てて「富岡温泉センター」になった。
 当時、湯の川には温泉銭湯は何軒もあったが、富岡のような住宅街にはまだないころだ。
 最近では市内あちこちに開業されているが、住宅街での温泉銭湯の先駆けだった。

 ※以下の懐かしい画像は、撮影禁止だったので、他サイトから借用したもの


 開業当時からもったいないほどドバドバの「65度の源泉掛け流し」である。1個50円のゆで卵も懐かしい。
 
 開設当初から20年ほどはもの凄い人気で、建て増しもし、近所一帯の空き地が全てこの駐車場となったくらいである。
 その当時を知っているだけに、最近は過去の賑わいがなくなっていたのは寂しい限りだった。
 露天風呂を備えた近代的な施設の温泉銭湯があちこちに開業した影響が大きい。
 かくいう自分も、最近は少し離れている昭和温泉へ行くことが多い。





 客が減り始めてからは設備投資はほとんどしないで来たせいか、逆に昭和チックな雰囲気が残っていて、これも魅力だった。



 当時から源泉を薄めないことにこだわって、65度の源泉を循環させて、46度くらいにしてから浴槽へ注いでいたようだ。
 開業当時から、浴槽は4個で、一番右奥が小さなサウナ用の水風呂で、次の一番深い浴槽から「高温」「中温」「低温」と浴槽が並んでいる。
 46度くらいの源泉は高温浴槽に注がれ、そこから段々になった中温浴槽>低温浴槽へ流れていくうちに、湯温が下がる仕組み。
 また、湯温を下げるためにも浴槽の深さもだんだん浅くなっていた。 
 自分が入るのは、もっぱらその42度くらいの低温浴槽だった。当然、この浴槽が一番混んでいた。

 最盛期のころは、隣の同じ方式の女風呂を繋いで男風呂として使用していたこともある。
 その時の女風呂は建て増しした方に移ったらしい。

 温泉の質の良さは折り紙付きだったが、湯温が高いこともあり、ゆったりと入浴を楽しむのにはちょっと不向きな温泉だった。
 それでも、前妻が亡くなって一人暮らしをしていた3年間は、自宅の風呂は使用せずに、回数券を買ってこの温泉に通っていた。
 なんと言っても、湯船に入ったときの体に染み入る感覚が筆舌に尽くしがたいほど好きだった。
 疲れも抜けていくような気がするし、最高に温まるのも魅力だった。
 ずっと6時から年中無休で営業しているので、早朝ジョギングをしていたころは、この駐車場に車を置いて、そこからスタートして、ここに戻ってきて、汗を流し体を温める・・・寒い時期などは一日中体がポカポカしていたものだ。

 帰りに、番台にいた社長と、最盛期のころの駐車場の広さや女風呂も男風呂として通して使ったことなど懐かしい話をして来た。
 源泉はすでに昔駐車場だったところに建っている老人福祉施設で利用しているので、改めた利用は考えていないとのこと。