癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

甲州街道歩き旅〈4日目〉26大月宿~36勝沼宿(31.7km)8時15間分

2019年11月12日 | 登山・旅行
 今日も快晴に恵まれた。昨日同様、宿場間の距離が短く10宿を通過した。笹子峠越えが今日のハイライトだった。
 
 宿にリュックを預け、初狩駅発6:11の電車に乗り、6:20、大月駅前をスタート。

大月宿~花咲宿
26大月宿
・現在は大月市人口3万程度の特急が停車する市であるが、本陣、脇本陣の外、旅籠も二軒だけという寂しい宿場で、寛文の頃(1661~)駒橋と分かれた宿であった。
・本陣1 脇本陣2 旅籠2


 同じようなデザインの建物が並ぶ大月市街地
 特に宿場の面影を残すものは見当たらない。「溝口本陣跡」も明治天皇の碑が立っているだけ。


 大月宿の外れに立つ「富士山道追分道標」~富士講の行者が往来し富士街道と呼ばれた。
 文久2年(1862年)建立の道標には「右甲州道中、左ふじミチ」と刻まれている。

花咲宿~初狩宿
27.28花咲宿
・下花咲宿と上花咲宿の二宿で構成される。宿間は五町五十八間、600m程しかない。
・下花咲宿 本陣1 脇本陣2 旅籠22  上花咲宿 本陣1 脇本陣2 旅籠13 


下花咲宿の「星野本陣跡」~現在の建物は天保6年(1385年)の火災で焼失した後に再建されたもの(国の重要文化財)


 あちこちの庭に実る鮮やかなピラカンサ。

28初狩宿~白野宿 
29・30初狩宿
・下初狩宿と中初狩宿の二宿で構成される。問屋業務は月の半分ずつ負担していた。下初狩宿 本陣2 脇本陣2 旅籠12。 中初狩 本陣1 脇本陣1 旅籠25


 下初狩宿の「奥脇本陣跡」~門構えを残している。


 「山本周五郎生誕の地」碑~上掲の奥脇本陣の裏の長屋で生まれている。

 このあと、初狩駅前の大和屋旅館に寄ってリュックを回収。


 「宮川橋の一目富士」~南西の山間に富士の頂きがわずかに眺められる。旅人に評判であったという。
 これは、今も変わらない感動的な眺めだ。


 中初狩宿の「小林本陣跡」


 中初狩宿の非常に珍しい「赤レンガの蔵」

白野宿~阿弥陀海道宿
31 白野宿
・白野宿は、次の阿弥陀海道宿とその次の黒野田宿の3宿で継ぎ立てを分担するという小さな宿場であった
・本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠4


 標識等はないが、ガイドブックなよると、この両側に「今泉本陣跡」と「天野脇本陣跡」があったらしい。

阿弥陀海道宿~黒野田宿
32阿弥陀海道
・日本橋から数えて32番目の宿場。「此地一名を葦が窪といへり。駅の南に阿弥陀堂あり」ということから名前がついた。
・現在は道の字がなく、大月市阿弥陀海で(あみだかいどう)と呼ぶ。前の白野と先の黒野田と3宿で合宿となっていた。
・宿場の継立ては1日から15日が黒野田宿、16日から22日が阿弥陀海道宿、23日から30日は白野宿がそれぞれ行った。
・本陣1、脇本陣1、旅籠4


 「毒蛇になった娘伝説」の3点セット。
 上「小俣家」~この家の先祖である地頭小俣左衛門の娘が毒蛇になったが、親鸞上人に済度された。地頭はこの徳を慕って剃髪し、「唯念」と称して善福寺の二世となった。
 左下「親鸞上人念仏供養塚」~毒蛇となった娘を成仏させた。
 右下「葺ヶ池跡」~毒蛇となった娘が棲みついた池。


 笹子名物「笹子餅」~5個で500円。笹子峠越えのエネルギー補給に全て平らげた。
 結局このあとゴールしても食べ物屋はなかったので、これが昼食代わりとなった。

黒野田宿~駒飼宿
33黒野田宿
・阿弥陀海道からわずか1km程であるが、背後に笹子峠を控えていたこともあって、当時は多くの旅人で賑わったのではないかと思われる。
・また黒垈(くろぬた)とも書いた。本陣1、脇本陣1、旅籠14

 黒野田宿から駒飼宿までは約10kmあるが、そのほとんどは笹子峠こえである。

 笹子峠に向かって標高が上がっていく。昨日の犬目宿より高い標高620m付近にある宿場である。


 「天野本陣跡」~本陣門を残している。


 これから越える笹子峠は多分左のコルでないかと思いながら歩を進める。

登山モードの「笹子峠(1090m)」越え
 黒野田宿を抜けた、旧道の自然道への入口は、すでに730mになっていた。


 昔のままの面影を残すまさに旧街道の山道。


 「矢立の杉」~樹齢1000年を超すと言われている杉。
 戦国時代、笹子峠を通って合戦に行く武士が必勝を祈願して、この杉に矢を射ったことがこの名の由来。



 さらに笹子峠を目指して登っていく。細い急な尾根道もあった。


 一部県道に出た先にあった「笹子隧道」~笹子峠の下を通る県道のトンネル。昭和13年竣工したが、昭和33年に国道20号の親笹子トンネルができて、役目を終えた。

 このトンネルの右横から、急なジグを切った旧道を登る。


 1090mの「笹子峠」に到着。両側の山の登山道にもなっていた。


 頂上から少し下ったところにある「天神祠」~享保14年(1729年)建立の石灯籠がある。


 峠から駒飼宿を目指して下っていく。落ち葉で道が分からないところもあった。
 840mで自然道から舗装道路に出たが、そこから駒飼宿までが意外と長かった。


 途中から、大菩薩嶺が見えた。懐かしい。


 下っていくとようやく駒飼宿の集落が見えた。

駒飼宿~鶴瀬宿
34 駒飼宿
・馬の放牧が多いことから宿の名がついた。次宿の鶴瀬宿との相宿で、人馬の継ぎ立てを21日から末日まで行った。
・黒野田と同じく笹子峠を控えて、旅人で賑わっただろうと思われる。
・1868年(慶応四年) 駒飼宿は新鮮組の近藤勇が甲陽鎮 部隊を組織して甲府城に立てこもる板垣退助と決戦する為、軍議を開いた場所となった。
・本陣1 脇本陣1 旅籠6


 「渡辺本陣跡」~空地になっていたが、標柱が立っていた。


 このような古民家もあった。


 2階の形が珍しい古民家。
 旧道を下っていき、国道20号に出たら鶴瀬宿だった。

鶴瀬宿~勝沼宿
35 鶴瀬宿
・関所跡を出て130m程度と短い宿場であった。駒飼宿と合宿で継立業務は一日から二十日まで行い、月末までは駒飼宿が行った。 
・本陣1 脇本陣2 旅籠4


 「鶴瀬関野跡」~甲州12関のひとつ。


 「鶴瀬宿」の石碑と標柱


 鶴瀬宿を抜けると、葡萄棚が目につくようになる。勝沼が近くなった。


 「近藤勇像」~柏尾古戦場跡で、官軍と近藤率いる甲陽鎮撫隊の激戦地で、勝敗は1時間外余りで決した。
 近藤は八王子まで逃げたが捕らえられて打ち首にあった。土方歳三は五稜郭まで生き延びたが、そこで戦死。


 別名ぶどう寺の「大善寺」~養老2年(718年)、行基がこの地で修行し、満願の日に手にぶどうを持った薬師如来が現れ、これと同じ像を造り安置した。
 それ以来、ぶどうは法薬として、多く栽培されるようになり、現在のこの勝沼がぶどうの特産地となった。


 14:40、街道沿いにある今日のゴール「ワイン民宿鈴木園」に到着。
 民宿というよりは高級なペンションのような感じで、2ツ星ホテルとのこと。素泊まり6600円。
 ツインの部屋しかないので、2人で泊まれば5500円。夕食の提供はしてなく朝食のみ。ワインは販売をしているようだ。
 大きなwineの貯蔵庫もあるようだ。


 明治中期の古民家をリノベーションしたそうで、全てがシックながらも高級な感じだった。部屋のバスとトイレも別々なので快適だった。
 高いけど、それだけの価値のある宿である。不満はない。たまには良いだろう。

 ただし、近くに食べ物屋もコンビニもないのが難点。これから1km以上歩いてコンビニへ行くつもり。