昨日の道新の「おじさん図鑑」でおじさんも怒っていたが、最近のTVなどで見聞きするわけの分からないカタカナ用語が非常に多いのに驚く。
おじさんでなくとも、もっと分かりやすい日本語で話したり、説明したりできないものか思ってしまう。
好意的に考えると、ピタッとした訳語がないとか、日本語では言い表せない微妙なニュアンス(使ってしまった!)を表現するのに都合が良いのだろう。
しかし、「本当に意味が分かって使っているのか?」「なんとなく格好が良いと思って使っているのではないか?」「相手が分からない言葉を使って優位に立とうとしているのではないか?」などとと勘ぐってしまうことが多い。
それぞれの業界ごとにいろいろな用語があるようだが、最近の関西電力の金品受領受領事件の記者会見でも、このカタカナ用語が乱発されていて、はぐらかされているような気がして腹立たしかった。
意味はわからないが、よく耳にするのが、「コンプライアンス」「ガバナンス」「ソリューション」「スキル」「イノベーション」「インバウンド」「アジェンダ」「コミット」「オピニオン」「コンセンサス」などなど、挙げればキリがない。
このような言葉が蔓延しているビジネス界で、本当に社員の意思疎通ができているのかと心配になってしまう。
このようなビジネス用語は分からなくても、自分の生活には困ることはほとんどない。
しかし、わりと身近なスポーツ界でも、わけのわからない用語が出てくる。
最近の選手の発する言葉で最もイラっとするのが、「最高のパフォーマンスを発揮して・・・」である。
そのほかに「ポテンシャル」「フィジカル」などなど。
そのうちに、「心・技・体」が重視される相撲界や柔道界でも、「最高のパフォーマンスを発揮できるのは、メンタル・テクニカル・フィジカルが充実しているからです」などと言うようになったりして・・・?
我々世代で日常的に困るのは、カタカナや原語で表現される店名や商品も多くなっていることである。
意味も分からないが、なかなか覚えられないで困ることが多い。
あと、自分の苦手なPCやIT関係のカタカナ用語も覚えられなくて困る。
いろいろな説明を読んでも、その用語が理解できないためにイライラすることが多い。
そもそも、自分はカタカナに対する抵抗感が非常に強い。それはカタカナを習う小学2年生の時に、おたふくかぜと水疱瘡で長い間学校を欠席した。
その間にカタカナの学習が進んでいて、ついていくのが大変だったからである。
今でもカタカナで表記される人名や地名や品名などはなかなか覚えられない。