プロ野球に興味を持ち始めた子供のころから印象に残っている選手を5名上げるとしたら、長嶋、王、金田、野村、稲尾である・・・その金田氏が10/6に86歳で亡くなった。
記録の数字だけでも改めて眺めても凄いのひと言である・・・日本プロ野球史上唯一の通算400勝達成投手にして、同時に298敗の最多敗戦記録をもつ。更に通算奪三振(4490奪三振)、通算完投(365完投)、通算イニング(5526回2/3)、通算対戦打者(22078打者)、通算与四球(1808与四球)はいずれも日本記録。NPB史上最年少ノーヒットノーラン達成者。史上2人目の沢村栄治賞3回受賞者。
このほかの日本記録として、シーズン20勝以上:14年連続14度)、64.1イニング連続無失点、最年少200勝達成:24歳309日、公式戦開幕投手:14度(国鉄10度・巨人4度)、連続シーズン100奪三振以上:16年もある・・・・どれを見ても、今では考えられない数字ばかりである。
何より凄いと思うのは、14年間在籍した国鉄スワローズは、9年間が5位か6位という弱小球団だった。その球団での勝利記録である。もし、最初から打者の援護をもらえる常勝球団の巨人に在籍していたら、あと50勝は確実に増えていたと思う。しかし、弱小球団ゆえに反骨精神を燃やし続けたと言えるのかもしれない。今でも記憶に残る長嶋氏のデビュー戦を4打席4三振で仕留めたシーンなどは、その典型かもしれない。
引退後はロッテオリオンズ監督や日本プロ野球名球会初代会長を務めたが、現役時代の実績だけでなく、その強烈なキャラクターと温かい人柄で多くのファンに愛された方である。
このたびの逝去に当たって、いろいろな方が思いを語っている。同じ反骨精神では共通の野村克也氏の話が一番面白い。
野村氏は、400勝の根底にあったハングリー精神だと言っている。在日韓国人として生まれ、裕福とは言えない家庭で兄弟も多く、長男として弟たちの面倒を見るために高校を中退してプロに入ったという。
また、練習量もケタ外れだった。シーズンオフは徹底的に身体を休ませるが、キャンプに入ると人が変わったように身体をいじめる。チームが課す練習は「生ぬるい」と言って、自分だけハードな別メニューを組んでいた。若手選手をいつもふたりくらい連れていってトレーニングをするのだが、若手が「きつすぎる」と音を上げていたという。
また、食欲も怪物並みだったが、身体のケアに対しても細心の注意を払っていた。寝るときは左腕にサポーターをつけ、真夏でもクーラーは使わなかったし、ヒゲを剃るときも、カミソリでなく電気シェーバーを使っていた・・・そうだ。
2度と現れることのない「怪物」だが、それなりの努力の結果だったということであろう・・・ご冥福を心から祈りたい。