癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

函館坂道紹介~その3 ⑩日和坂 ⑪基坂 ⑫東坂 ⑬弥生坂 ⑭常盤坂

2019年10月13日 | 街並み・歴史探訪・ドライブ


⑩日和坂(ひよりざか)(300m)<下から上へ>

日和坂(下から)
 坂の上から港の景色を一望でき、空模様をよく判断できるということからこの名が付いた。
また、坂の上にある船魂神社辺りからはトビの飛ぶ姿がよく見えたことから、坂の上の方を「トビ坂」と呼んだ。
日和もトビも共に天気に関係がある。(坂標より)



 途中の主な建物~(左上)日和坂から眺めるバス通りの古民家 (右上)ここで少し鍵形になっている。
(左下)右の建物は日和館(大正10年築、函館市伝統的建造物) (右下)船魂神社(北海道最古の神社といわれ、源義経にまつわる伝説もある


 日和坂(上・古民家カフェ「花かんろ」の横から)

⑪基坂(もといさか)(300m)<上から下へ>

基坂(上・元町公園下から)~真下は海上自衛隊函館基地隊(昔の函館税関)
 かっては、函館から札幌へ向かう函館本道の起点で、坂下に里数を計る元標が建てられていたので
「基坂」といった。坂の上は函館奉行所があった中心地で、江戸時代には「お役所坂」、「御殿坂」とも呼ばれた。(坂標より)



 途中の主な建物等~(上)上の坂標と基坂 (左下)旧イギリス領事館 

基坂(下から)~突当たりが元町公園

⑫東坂(あずまざか)(400m)<下から上へ>

 東坂(下から)
 明治12年(1879年)の大火までは弥生小学校の東半分に浄玄寺(現東本願寺別院)があり、
その下に坂が二本あった。西側の坂を「浄玄寺坂」。東側の坂を「東の坂」または「白鳥坂」ともいった。
大火後、坂は一本になり上まで通された。いまの「東坂」はその名残である。(坂標より)



 途中の主な建物等~(上)バス通りから東坂を見上げる (左下)中華会館 
(右下)旧小林写真館( 明治40年築・現存する写真館として北海道最古の洋風建築。2009年全面改装)


東坂(上から)

⑬弥生坂(500m)<上から下へ>

 弥生坂(上から)
 明治12年(1879年)の大火後改良された坂で、それまでは浄玄寺(現東本願寺別院)、
称名寺、実行寺が並び、「寺町の坂」といわれた。「弥生」とは、「春」を意味し、発展を祈念して付けられたといわれている。
明治15年(1882年)、坂の横に小学校ができ、坂名に因んで弥生小学校と名付けられた。(坂標より)



 途中の主な建物等~(左上)咬菜園跡~箱館戦争時、旧幕府軍総裁の榎本武揚は、幹部6人と共に、
今宵最後と一夜の清遊をここで試みたといわれている。現在は私有地となっている。
(右上)函館聖マリア教会~荘厳なゴシック様式のウエディングチャペル。 
(左下)旧愛宕中学校跡~グランドは弥生坂のずっと上にあった。 (右下)弥生小学校


 弥生坂(下から)

 弥生坂は聖マリア教会から下となっているが、この上に細くて急な路が続いている。突き当たりは老人ホームが建っている。
途中右手には、箱館戦争ゆかりの地として、己巳役(きしのえき)海軍戦死碑がある。

 この上に続く細くて急な坂は、昔は「薬師坂」または「七面坂」と呼ばれたようだ。
この道は、要塞になる前の薬師山参拝道だったようで、山腹に鳥居の遺構があるとのことでそれを探しに行ったことがある。
老人ホームの上に旧愛宕中学校のグランド跡地が残っていた。
http://sakag.web.fc2.com/hako13p-1.htm

 また、七面山だが、調べてみたら、古地図を見ると御経石がある山の一角が「七面山」と記されている。
この道からそこへの参拝道があったのだろう。実行時の境内にも「七面山」の石碑がある。
  
⑭常盤坂(500m)<下から上へ>

 常盤坂(下から)~ナナカマドの並木が印象的


 突き当たりの下にある古民家カフェ「ごはん おやつ シプル」(6月撮影)~これ以外特に目に付く建物等はなかった。


 常盤坂(上から)

 次回は、⑮姿見坂 ⑯幸坂 ⑰千歳坂 ⑱船見坂 ⑲魚見坂