つれづれ

名古屋市内の画廊・佐橋美術店のブログ

今の位置。

2019年05月17日 | 日記・エッセイ・コラム
 
美術書のほかに、個人的に読んでいる本をご紹介するのはお恥ずかしいものですが、
 
今珍しく、この五冊を同時に読み進めていて、偶然求めた本が結局みな同じ事を言っているように感じ、面白いと思えましたので少し書かせて頂こうと思いました。
 
岡潔さんの「数学する人生」はこの表紙のご本人のお顔を見て、「絶対これを読もう」と決めました。
 
どう見ても「変わり者」のお顔で、ワクワクしました。
 
 
「人の心というのは、簡単に言えば2つの要素からなっています。一つは懐かしさ。もう一つは喜び。この二つを同時に感じるのです」
 
やっぱり私のワクワクは当たっていました。
 
 岡潔という人を私は全く知らずにいましたが、
大変立派な数学者だったそうで、文化勲章をお受けになった時はその風変わりな生活も随分話題になったようです。
 
 ー数学と芸術ー
数学の目標は真ん中における調和であり、芸術の目標は美の中における調和である。どちらも調和という形で認められるという点で共通しており、そこに働いているのが情緒であるということも同じである。だから両者はふつう考えられている以上によく似ている。
 
しかし大いに違っている面もあると思って真ん中における調和と、美の中における調和が具体的にどうちがっているかを考えてみたところ、仕事をしている時のタバコの飲みかたが違うことに気がついた。
 
数学でも絵でも、仕事の途中であるところまで描けたと思うと、そこでタバコを出して一服する。その場合、数学なら、ここまでこう書けたがこの後はどう書いてゆくのかなぁと思いながらノートを見ている。ところが絵かきの場合は、これまでのところはこれでいいのかなと調べながらながめているらしい。つまり芸術では途中でタバコを飲む時、目は過去を向いているが、数学では目は常に未来を向いているので、うまく書けたかどうかはそれ以後どう書くかが決定する。
 
 
それが真と美との根本的な違いではないかと思う。
タバコを飲んで、これまでのところを調べるという点では同じだが、未来をしらべることによって過去を調べるというところに数学の特徴がある。しかしそれ以外では芸術と数学はよく似ているといえよう。
 
ーーーーー
 
 
 
 
この文庫本を手に入れて、数日後当店の本棚に同じ岡潔著「春宵十話」を見つけた時には驚きました。
 
本というのは本当に魅力的なものです。こちらから見つけなくては、私を誘ってもくれないのですから。
 
 
この五冊のお陰で随分色々な事に納得がいき、私の今の心の位置がわかったように思えます。
 
桃紅さんには「孤独」ということ、お久しぶりの養老さんには、「私という個性の強調のうるささ」を。。。それぞれお若い頃からの覚悟とともに、そのお心がより自然に近くなられているのが素敵だなぁと思えました。
 
私たちが、いまさら?近代絵画ばかりを扱わせていただく意味もかなり明確になりました。
 
なんといっても、高村光太郎です。
彼の詩や著作にはこれからも学ぶことが沢山ありそうです。また5冊の本の多くが触れている夏目漱石についても再度確認が必要であると感じました。思想、芸術、全ての「近代」にやはり漱石の存在はかかせないようです。
 
無私
 
西洋に触れた日本人は結局ここに立ち止まるのでしょうか?
 
 
さて、明日に向かい、展覧会の準備が進んでいます。
 
地味で、けれど「なかなか」の展覧会になりそうです。
 
少しづつ、またご紹介させていただきます。
 
 
 
 
 
 
 
 
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