トルコのトピックス

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「未遂クーデターは1000億ドルに価した」と貿易相

2016年08月02日 | 国内
8月3日 7月15日の未遂クーデターはトルコ経済に3000億リラ(およそ1000億ドル)の損失を与えたと、ビュレント・テフェンクジ関税・貿易相が言いました。「さらに詳細に計算すると、この額はもっと増えるかもしれない」と貿易相は付け加えました。

 Hurriyet

「戦闘機、ヘリ、武器、爆弾、建物、すべてを考えると、貿易省の計算では、損失は少なくとも3000億リラになります。たとえば、海外からの多くのオーダーがキャンセルされた。多くの外国人がトルコ旅行を取りやめた。クーデターを起こした連中は、トルコのイメージを第3世界並みにしてしまいました。街を走る戦車や、爆撃されている国会を見た人々が、トルコを訪れるでしょうか。これらすべてが損失です」

市場は“難問”をパスした
貿易相はまた、「市場は難しい試験をみごとにパスした」とも言いました。「われわれは国民に感謝しなければなりません。もし他の国でこのようなクーデターが起こったら、おそらく市場は少なくとも1週間は閉ざされるでしょう。クーデターは15日に起こりましたが、銀行も、証券取引所も、商品市場も、商業センターも、次の月曜(7月18日)にはオープンしました。

相場の大きな変動はなかった。主要な株式取引がわずかに落ちただけです。わが国の経済成長率や輸出額を修正する必要はなかった。わが国民はクーデターに対して、しっかりと立ち向かいました。100億ドル以上が、リラに換金され、銀行に預金されました。外国人がわが国の市場から大きく撤退することはなかった」と、貿易相は言いました。

「観光会社と市民の皆さんに、理解と忍耐をお願いします。観光分野が苦闘していることはわかっています。観光分野はテロとロシア危機に加えて、クーデターの打撃を受けました。われわれはこの困難なときに、皆さんが堂々と立ち向かうことを期待します」と貿易相は語り、「今後は、この最悪の状況を脱していくでしょう」と言いました。

まもなく海外キャンペーンを始める
政府は観光促進のための海外への集中的キャンペーンを始めると、貿易相は言いました。「キャンペーンのために、ビジネスマン、アーティスト、スポーツマン、政治家の皆さんにも協力していただく。貿易省は正しいデータを皆さんに提供します。すぐにキャンペーンを組織します。TOBB(会議所・商品交換組合)やTESK(トルコ商人・職人連合)のような有力な経済団体にも協力していただきます。また、フェトフラー・ギュレンの組織FETOについて、海外によく知ってもらう必要があります」


トルコ首相がアメリカ軍トップに、ギュレン引き渡しを要請

トルコのビナリ・ユルドゥルム首相は、トルコを訪れたアメリカ軍トップ、ジョセフ・ダンフォード将軍と会談中、アメリカ在住のフェトフラー・ギュレンの引き渡しをくり返し要請しました。

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アメリカ統合参謀本部議長のダンフォード将軍(左)とトルコのユルドゥルム首相


首相オフィスの情報によると、7月15日のクーデターをめぐってトルコ政府とアメリカ政府の間に亀裂が生じているとき、ダンフォード将軍がアンカラを訪れ、ユルドゥルム首相とクーデターについて話し合いました。ユルドゥルム首相は、フェトフラー・ギュレンが起こしたとされる7月15日のクーデターは、トルコとトルコの民主主義にとって重大な脅威だったと語りました。

アメリカがはっきりとクーデターを否定して、トルコとその民主主義に対する支持を示すことは、トルコにとって非常に重要だと、首相は言いました。首相はダンフォード将軍に、ギュレンのグループとクーデター参加者に対する処置が、法のルールに従って行われていると話し、ギュレンの引き渡し要請をくり返しました。

ユルドゥルム首相はまた、クーデター後のトルコ軍(TSK)の改造に言及し、クルド労働者党(PKK)とイスラム国(IS)に対するトルコ軍の戦いは、アメリカ主導の連合軍とともに、休むことなくつづいていると強調しました。

シリアに関するトルコの微妙な立場
ユルドゥルム首相はPKKと、シリアにおけるその分派である民主連合党(PYD)に関して、トルコの微妙な立場を説明し、また、トルコ国境からISへの入国を阻止するためのトルコの努力についても語りました。

「私が証拠です」とアカル将軍
ダンフォード将軍は、トルコの参謀総長フルシ・アカル将軍とも会談しました。ギュレンの引き渡しに関して、アメリカは彼がクーデターに関わった具体的な証拠を要求していますが、アカル将軍はダンフォード将軍に対し、「証拠はこの私です」と言ったそうです。アカル将軍はクーデター中、ギュレニストの将校たちによって、人質にされていました。


対ギュレン作戦はトルコ最大の軍病院におよんだ

7月15日のクーデターに関して、アンカラの主任検察官オフィスから、ギュルハネ軍病院の職員に対して、およそ100件の令状が出されました。

 Hurriyet

アンカラの対テロ警察は、トルコ最大の軍病院の医療職員や退職者を含め、令状を出された人々を逮捕する作戦を開始し、総計50人が令状によって拘束されました。

ギュルハネ軍病院とトルコ軍(TSK)保健サービス部は、国家緊急令法に従って、保健省に移されると発表されました。


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アメリカ軍トップがトルコのクーデターを強く非難した

2016年08月02日 | 国際
8月2日 アメリカ軍参謀本部の声明によると、アメリカ軍のトップは8月1日、トルコを訪れ、7月15日のクーデターを強く非難しました。

 Hurriyet
前列左から2人目がアカル将軍、3人目がダンフォード将軍


アメリカの統合参謀本部のジョセフ・F・ダンフォード議長は、反乱軍に破壊されたトルコ国会議事堂を訪れた後、アンカラで、トルコのビナル・ユルドゥルム首相と参謀総長フルシ・アカル将軍との会談に臨みました。「ダンフォード議長は、クーデターをことばを極めて非難するメッセージを送るだろう」という声明文が、8月1日、議長事務所から出されました。

ダンフォード議長はまた、南部アダナ県のインジルリク空軍基地を訪れ、イスラム国(IS)と戦うために基地に駐屯しているアメリカ軍と話をする予定です。「この訪問は、対IS戦でのインジルリク基地からの連合軍の作戦に象徴されるように、中東の治安のためのトルコとのパートナーシップの重要性と、対IS連合軍とNATO双方へのトルコの貢献の重要性を再確認するものである」と声明は言っています。

アカル参謀総長とダンフォード議長は、クーデター後の正常化、とくにインジルリク基地の正常化について、2度の電話で話し合っています。インジルリクは対IS戦の基地として連合軍が使っていましたが、クーデター攻撃中、閉鎖されていました。

エルドアン大統領は、クーデター後の軍内の大規模な改造と解雇に関するアメリカ軍中央司令部トップの発言を非難しましたが、ダンフォード議長の訪問はそれから数日後のことでした。「われわれは多くのトルコのリーダーたち、とくに軍部内のリーダーたちと関係を持っている。だから、私は、クーデターがこの関係にどんな影響をおよぼすのか懸念している。われわれの知己の何人かは収監されている」と、アメリカ中央司令部のジョセフ・ヴォルテル司令官は、7月28日、アスペンの会議で発言しました。


ギュレニスト兵士が組織に取りこまれたいきさつを検察に証言した

ハッカリ県で憲兵隊の1兵士が、フェトフラリスト・テロ組織(FETO)との関係を検察に証言し、組織が青少年を募集する方法を明らかにしました。

 Hurriyet

下級士官S.A.は、15日の未遂クーデターに関与したとして起訴されましたが、彼が高校時代、ギュレニストの大学生に誘われ、大学でグループに参加し、組織から軍隊に入るよう指令を受けたと話しました。彼は入試問題の答えをギュレニストに教えられて兵籍に入り、技術情報要員となって、ついには、2013年12月、政界を揺るがした盗聴事件にも関わりました。

S.A.はイズミルの憲兵連隊司令部の情報部に配属され、盗聴していましたが、スキャンダルの1か月前、4つの電話番号を与えられたと言いました。

彼は高校生のとき、大学生と出会い、グループに誘われました。「彼らは学校の勉強を無報酬で手伝ってくれました。その後、私は、ある家で、日曜ごとに彼らと会い、いっしょに礼拝をしたり、フェトフラー・ギュレンの著書「永遠の光」を読んだりしました」

高校最後の年、彼は私立学校の奨学金を受け、大学入試の準備をしていましたが、ギュレニストの“兄弟たち”にFETO関連の学校の入試を受けるよう説得されました。2006年、科学を専攻していた彼は、ギュレニストの友人たちと再会しました。彼らはS.A.に宿舎を提供し、彼は4年間、“兄弟たち”と同じ家で暮らしました。

「多くの学生たちが経済的な理由で、FETOの家に住んでいました」とS.A.は言いました。FETOの宿舎にはテレビもインタネットもなく、禁酒禁煙で、ガールフレンドも禁止でした。彼はやがて、その家のイマーム(イスラムの指導者)になり、毎週、仲間とギュレンのメッセージについて討論していました。厳しいシステムの一部として要求されたのは絶対服従だったと、彼は言いました。「服従は命令でした」


古代のディナーセットがマニサで発見された

西部マニサ県で発掘している考古学者たちが、古代都市アイガイで、儀式の一部として埋められたと思われる、2200年昔のディナーセットを発見しました。

 Hurriyet

ディナーセットは特別の場合に使われた後、儀式の一部として、岩盤のうろ穴に収められたと思われます。学者たちの仮説によれば、ディナーセットは宗教上の理由で、ふたたび使うことを禁じられたものかもしれません。出土品はマニサ博物館に展示されることになりました。

ディナーセットは調理用の鍋、カップ、飲み水用の水差しなどで、粘土の男神や女神像もあり、古代都市アイガイの会議場の建物の中で見つかりました。建物はBC150年頃建てられ、構造から説教の場として使われていたと思われます。

マニサ県ユヌスエムレ地区のアイガイ遺跡の発掘は、エーゲ大学とジェラル・バヤル大学の指導の下に、文化観光庁の支援で、今年7月14日、再開しました。スポンサー不足のため、狭い地域でのみ行われている発掘作業は、9月までつづきます。


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