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バイデン米副大統領が北キプロスを歴史的訪問

2014年05月24日 | 国際
5月24日 ジョー・バイデン・アメリカ副大統領のトルコ・キプロス訪問は歴史的第一歩であり、南北両サイドを同等に扱うことを示す積極的メッセージでもあると、5月23日、アフメト・ダウトオール外相が言いました。
分断されたキプロス島に滞在中、バイデン副大統領はキプロスを“重要なパートナー”と呼び、両サイドの指導者は、40年間の分断に終止符を打つための努力を“スピードアップ”することで合意していると言いました。

 Hurriyet
 
左から右へ、リサ・バッテンハイム・キプロス平和維持軍の隊長兼特別代表、ニコス・アナスタシアデス・ギリシャ・キプロス大統領、ジョー・バイデン米副大統領、デルヴィシュ・エルオール・トルコ・キプロス大統領


1962年、当時、米副大統領だったリンドン・B.ジョンソン氏がキプロスを訪れていますが、バイデン副大統領の訪問はそれ以来のことです。
南北両サイドに対する等距離のアプローチを示す米副大統領のメッセージを、ダウトオール外相はアンカラの記者会見で、わが国にとって肯定的と評価しました。

ギリシャ・キプロスとトルコ・キプロスの再統合から考えて、バイデン副大統領の訪問は“タイムリー”だったと、ダウトオール外相は言い、副大統領の訪問によって話合いが促進される希望を表明しました。

「バイデン副大統領のトルコ・キプロス訪問とエルオール大統領との会見は歴史的なステップだ」とダウトオール外相は言い、「永続的な解決は、南北両サイドへの等距離のアプローチなしには不可能だ」と付言しました。

 Sabah
 
バイデン米副大統領(左)とエルオール・トルコ・キプロス大統領


バイデン副大統領との会見後、エルオール大統領は「米副大統領のキプロス訪問は、キプロス問題の解決に希望を持たせてくれた」と語りました。
エルオール大統領とバイデン副大統領は、分断された島の統合達成の可能性は、包括的な解決にかかっているとして合意しました。

エルオール大統領は今後、話合いを加速し、ギリシャ側とより頻繁に会談すると言いました。大統領は5月22日の合意に従って、ギリシャ側大統領と月2階会うことにすると発表し、包括的解決がEU加盟と国際社会の承認につながるだろうと言いました。

「キプロス問題解決の時が来た」とエルオール大統領は言いました。「互いに非難し合っていたら前進はできない」


チェルケス人たちが追放記念日にロシア領事館にデモ行進

イスタンブールに住むチェルケス(英語ではサーカシア)オリジンの人たちが、ロシア帝国によってコーカサス地方から追放されて150周年の記念日に、ロシア領事館にデモ行進しました。
コーカサス人民軍がロシア軍に敗退した後、追放されたチェルケス人の子孫たちが、チェルケス協会連合に組織されて集まり、「チェルケスはロシアの領土ではない」「ロシアは大量虐殺を償え」と叫び、チェルケスの旗や松明を掲げて行進しました。

 Sabah
 
チェルケスの旗を掲げてデモするチェルケス・オリジンの人々


ロシア領事館周辺には機動隊が配備されました。
チェルケス・オリジンのアーティスト、ウシャク・アクバイさんは、「私たちはチェルケス人の追放と虐殺を決して忘れない」と言いました。

チェルケス人コミュニティのNGOのリーダー、ケナン・カプランさんは、100年以上前にロシアから追放されたチェルケス人はいま、40か国に住み、同化の危機に直面し、自分たちの言語、文化、民族的アイデンティティを忘れつつあると言い、「チェルケス人はロシアに、彼らの歴史的権利の返還を要求する」と主張しています。

「ロシア帝国はチェルケス人の大量虐殺を行った。今日のロシア連邦はロシア帝国の後継者なのだから、大量虐殺を認め、チェルケス人に謝罪し、国際的法的基準に従って、歴史的チェルケスの土地を、チェルケスに戻すべきだ」

Sabah
 
チェルケス人の寫眞家セリナ・ハラトカ・タラさんがチェルケス人追放をテーマにした個展をイスタンブールで開催中。Ciragan 通りFeriye レストランで5月29日まで。


チェルケス協会連合のヌスレト・バシュ会長は、150年前の事件を持ちだすのは、報復ではなく、“正義の追及”だと言っています。
「われわれは土地を占拠され、祖国を追われ、絶滅された人々の権利の回復を求めているだけです」とバシュ会長。

「外国に住むすべてのチェルケス人は、故国があった共和国の市民権を無条件で認められるべきです。また、ロシアは、今も故国に住むチェルケス人の民族的文化的アイデンティティを守る対策をとるべきです。われわれは民族の権利が回復されるまで闘争をつづけます」
デモの後、プロテスターたちは“大量虐殺”に関する詩を朗唱し、ロシア領事館の門に黒い花輪を置きました。

1763~1864年のロシア=チェルケスの戦いの間に、50万人以上の人々が殺され、何百人の人々が故国を去り、コーカサスに向かいました。1864年の敗北後、150万人と推定されるチェルケス人が多くの国々へ追放されました。

・・・チェルケス人はもともとはコーカサス北西部に住むスンニー派ムスリムですが、今日、トルコ生まれのチェルケス系の人々の多くは、フツーのトルコ人としてフツーに暮らしています。今度のデモに見られるように、トルコ人との同化を憂い、民族のアイデンティティを守ろうという人々もかなりいるのですね。


   「ときどきダイアリー」ヘ




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