あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

憲兵報告・公判狀況 41 『 西田税 』

2020年10月16日 12時14分17秒 | 反駁 2 西田税と北一輝、蹶起した人達 (公判狀況憲兵報告)


西田税
・・・ 憲兵報告・公判状況 40 『 北輝次郎、西田税、亀川哲也 』  の 続き

第二回公判狀況
二 ・二六事件公判開廷狀況ノ件 ( 第五公判廷 )

十月二日午前八時五十分 被告北輝次郎、西田税
 出廷、
仝九時吉田裁判長以下着席、直チニ開廷ヲ宣シ、呼名點呼ノ後、
西田税ノ事實審理ニ入ル

國家ノ改造ハ非合法手段ニ依リ實現セラルベキモノニアラズ。
明治維新ニ於テモ非合法ノミニテ實行セラレタルニアラズ。
日本改造法案大綱ニ特筆大書シテアル如ク、
國家ノ改造ハ天皇大權ノ發動ニ依リ實現セラレ、國民ハ翼賛シ奉ルニアリ。
軍隊ガ改造ノ中心ニナルハ我ガ國體ニ反スルモノニシテ、
在郷軍人ヲ主體トシ、軍隊及學生、經濟學者其他ノ者ハ各々自己ノ立場ヲ理解シ、
改造ノ氣運促進ニ努力スベキナリ。
國家改造ノ中心ハ矢張リ經濟、政治ノ改變ニアリ、
北氏ノ改造法案大綱中 私有財産ノ限度制ハ最モ重要適切ナルモノナリ。
一般ニ改造運動者ハ現狀打破ヲ知リ、建設ヲ知ラザルモノナリ。
北氏ハ現狀打破ヨリ建設計畫ニ重點ヲ置キ論ジアリ。
自分ハ日本改造法案大綱ニ基キ國家改造運動ニ一生涯ヲ捧グルモノナルガ、
絶對ニ非合法手段ヲ採用セズ。
合法的ニ國民運動ニ依リ天皇大權ヲ輔佐シ奉ルノ外ニ他意ナシ。

法務官  「 非合法運動ヲ阻止シタル具體的例ヲ述ベヨ 」
1、十月事件ニ際シ、蹶起計畫ノ
當日幹部多數檢擧セラレタルニ、
 殘餘ノ栗原中尉以下ノ靑年將校相集リ蹶起セント準備中ヲ菅波大尉ト共ニ中止セシム。
2、五 ・一五事件ニ際シ直接行動ヲ阻止セントシニ、狙撃セラレタリ。
3、昭和九年栗原中尉戰車隊ニ勤務中、戰車十數臺ヲ引卒行軍途中、大森附近宿營ノ豫定ニ際シ、
 實包其ノ他ヲ準備、西園寺、牧野伸顕等元老重臣ヲ襲撃セントセシヲ、
大蔵大尉阻止セント説得ニ當リタルモ不可能ナルヲ以テ、
栗原中尉ヲ招キ非合法ノ非ナルコトヲ説キ、中止セシム。
4、埼玉挺身隊事件ニ際シ、
 栗原中尉 埼玉県ノ在郷軍人、學生ヲ煽動、 事件ヲ惹起セントセシヲ、
栗原中尉、水上源一、綿引等ヲ招致、説得中止セシメタルガ、
埼玉マデ傳フル事出來ズ、挺身隊事件トナル。

法務官  「 昨年十二月村中孝次ヨリ靑年将校ノ動靜ニ就ヒテ聞キタル狀況 」
第一師團明春渡満スル、此ノ裏面ニハ中央部ニ於ケル種々ナル策動アルトノ事ヲ聞キマシタ他ハ、
相澤中佐ノ公判ノ事ニ就キ種々協議シタルノミナリ。
法務官  「 事件蹶起ヲ知リタルハ何時カ 」
二月中旬 栗原中尉ト面接セル際、蹶起ニ對スル決意固ク、
他ノ靑年將校及下士官兵マデ同様ナル信念ナリトノ事ヲ聞キ、
今度ハ蹶起スルヤモ知レズト感ジ、一度ハ栗原中尉ヲ説得致シマシタガ、不可能デシタ。
安藤大尉ニ面接シ、靑年將校蹶起ノ有無ヲ訊スベク會談致シマスト、
仝大尉モ心ヨリ單ニ蹶起ノ事ニ就キ語リ度キ希望ヲ洩シマシタ。
仝大尉ハ野中大尉ニ靑年將校ノ動靜ヲ申述ベタルニ、
野中大尉ヨリ蹶起ノ時期最モ良好ナリトノ事ヲ聞キ決意シ、
中少尉及下士官兵ノ啓蒙運動ハ充分ニナシアリ、
今度貴兄 ( 西田 ) ガ阻止スレバ殺害シテモ目的ヲ貫徹スル旨ヲ聞カサレ、
靑年將校等ノ決意ノ徹底セル事ヲ知リマシタ。
法務官  「 村中、磯部等ノ會合狀況 」
村中トハ相澤公判ノ爲メ 常ニ面接シテ居リマシタガ、
事件ノ事ニ就テハ二月十六日ニ靑年將校等ノ動靜ニ就テ、
二月二十六日襲撃目標決定ニ就テ聞キマシタ。
二月二十五日別離ノ挨拶ニ來リタル際、龜川宅ニテ蹶起後ノ処置ニ就テ龜川、村中ト協議、
下士官兵ノ食事ノ準備ナク、尚、資金ナキ由ニテ、龜川氏ヨリ一千五百圓ヲ手交セシム。
磯部トハ村中ト同様常ニ往來シテ居リマシタ。
今般ノ事件ニ就テ話シヲ聞キマシタノハ、
二月十八日ト仝二十三日ニ蹶起ノ時期ヲ置手紙ニナシ通知シテ呉レタル外、
襲撃目標タル牧野伸顕ノ動靜視察ニ澁川善助ヲ從事セシメアル狀況ニ就キ聞キ、
仝人ヲ無關係ニ置ク様懇願セリ。

法務官  「 龜川哲也トノ關係 」
龜川哲也氏トハ以前ヨリ承知シテ居リ、相澤中佐ノ公判開廷ニ及ビ一層聯絡ヲ取ルヤウニナリマシタ。
二月二十三日事件蹶起前ノ靑年將校ノ動靜ヲ話シ、
蹶起後ノ時局収拾ノ選定ニ關シ協議、柳川中將、眞崎大將ノ適任ナル事ヲ話シ、
二月二十五日蹶起前夜、下士官兵等ノ食糧費不足ナルトノ事ニ依リ、
仝人ヨリ一千五百圓ヲ村中氏ニ与ヘシメ、自分ハ百圓ヲ借用ス。
法務官  「 蹶起前ノ上部工作ニ就テ 」
山口一太郎大尉及龜川哲也ト私シノ三名ニテ會合セル際 ( 二十四日 )、
蹶起後ハ急速ナル時局収拾ヲ必要トス、之レニ關シテハ事前ニ上層部ノ工作必要アリトナシ、
山口大尉ハ義父本庄大將
龜川哲也ハ眞崎大將、山本英輔大將
自分ハ小笠原長生閣下
等、各々上部工作ノ役割ヲ決定シ、
其ノ趣旨ニ基き靑年將校等ノ動靜ノ一部ヲ電話ニテ申述ベマシタ。
法務官ハ
「 被告西田ガ常ニ説キアル國家改造ノ趣旨ニ依レバ、
 絶對的ニ非合法ヲ排シ、合法運動ニ邁進、 國民ノ輿論ヲ國家改造ニ導キ、
以テ天皇大權ノ御發動ニ依リ 日本改造法案大綱ノ原理ニ基キ實現スルト云フガ、
今回ノ被告ノ行動ハ今迄直接行動ヲ阻止シ來リタルト云フモ
青年將校 及 村中、磯部等ノ動靜矯激ニ亘ルヲ察知シ、
具體的計畫ヲ樹立シアルヲ知ルモ、身ヲ以テ阻止スルコトナく、
一度軍隊ヲ私用シ蹶起スレバ我ガ歴史ニ一大汚點ヲ印シ、
天皇ノ兵馬ノ大權ヲ干犯スルモノナリト感ジ、阻止セザルハ、
青年將校等ノ迷ヲ黙認シタルモノニシテ、
今マデ今日アル事ヲ豫期指導シテ來リタルモノト斷言セラレテモ 他ニ辯明スル餘地ナカラン 」
ト論及シタルニ對シ、西田ハ
五 ・一五事件以來極力直接行動ヲ否認シ阻止シ、
軍隊亦ハ一部右翼ノ民間團體ガ蹶起直接行動ヲナスモ  國家ノ改造ハ達成セラレズ、
我が國ハ他ノ諸外國ト相違シアリト説得ニ説得ヲナシ來リタルガ、
今回ハ自己ガ如何ニ阻止セントセシモ、靑年將校ノ決意固ク、
亦、一般ニ改造意識昂リアリシヲ以テ、數回説得セシモ、自己ノ力ニハ及バズ、
已ムニ已マレヌ心境ニテ二十六日午前五時トナリタルモノニテ、
今マデ軍部竝ニ一般ヨリ直接行動アル毎ニ自分ガ背景タル事ヲ一般ニ言ハレタルヲ以テ、
今度ハ總テノ終リナリトモ考ヘタリ云々
ト 事件前ノ行動ニ關シ、亦、心境ニ關スル陳述ヲナシ、
午後四時15日分終了、閉廷セリ
次回ハ三日午前九時開廷スル旨申渡サル
( 了 )

次頁 ・憲兵報告・公判状況 42 『 西田税 』 に  続く
二 ・二六事件秘録 ( 三 ) から


暗黒裁判 (三) 「 死刑は既定の方針 」

2020年10月16日 09時06分41秒 | 暗黒裁判・幕僚の謀略2 蹶起した人達


已に軍法会議の構成も定まりたることなるが、
相沢中佐に対する裁判の如く、優柔の態度は、却て累を多くす、
此度の軍法会議の裁判長及び判士には、
正しく強き将校を任ずるを要すと仰せられたり 
・・・本庄日記三月四日


二月二十九日夕刻
代々木軍刑務所に収容された叛乱将校たちは、
憲兵の強制捜査によっていっせいに訊問を受けた。
憲兵は三月二日には軍法会議に事件を送致した。
それから予審官の手によって予審から始められた。
予審官は日曜休日も無休で訊問を行ったが、
一人の被告に多くの時間をかけることができない。
なにしろ 百二十三名の第一次裁判は
陸軍省の方針としては 約一カ月半を予定していたのであるから、
事はいそがねばならない。
この予審がおわったのが四月中旬、
それから公訴が提起され公判が始まったのが四月二十八日。
香田大尉以下二十三名は一号法廷第一班で左の裁判官により裁判をうけた。
判士長  騎兵大佐 石本寅三 (陸軍省)
判士     兵科将校四名
法務官  藤井喜一 (近衛師団)
検察官  竹沢卯一 (近衛師団)
公判廷は四月上旬 軍刑務所に近い代々木練兵場の一隅に急造されたが、
鉄条網で二重、三重に囲まれ、その公判には各所に機関銃をすえた歩哨が立つという、
ものものしい警戒ぶりだった。
だが、その審理は全くの急速調で、
一人一人に同じことを審理するのは時間的に無駄だというので、
被告人たちの互選で代表者だけに応答させ、
異論のある場合だけ手をあげて各被告人に発言させた。
こうして一カ月あまりで結審となり、六月五日には求刑されたのである。
しかも、この求刑があってから一カ月後の七月五日には、
もう判決を下してしまったのである。
こんな裁判であったから、彼等被告たちの怒りははげしかった。
もともと、彼等は公判闘争を誓って自決を思いとどまったのであるから、
大いに冒論をもって闘うことを決めていた。
だが、それはすっかり当てがはずれたうえ、この極刑となったので、
憤激はひととおりではなかった。

清原少尉は
「 ある日 渋川善助がたまりかねて絶叫した。
『 裁判長、裁判長が職務としてやっておられることはわかりますが、
この裁判は一体なんですか、私たちが命がけで国のためにやってきたことが、
まるで泥棒以下のような裁判ではないですか、
同志の中には裁判官を勤めてきた将校もおります。
なぜ、二・二六が起り、そして二・二六の経過はなぜあのようになったかを
天下に明らかにし 生きた裁判をすることができないのですか 』
『 この裁判は特別軍法会議で一審制であり 上告はできないし、
非公開、弁護人なしということは、裁判の当初にきめられていたことで、いかんともしがたい。
しかし 君たちがいうことは制限しないし、なんでも裁判長は聞くつもりだから、
思う存分いってくれ 』
云い終った裁判長の眼には涙が浮んでいた。
裁判長の気持を察して渋川もうなだれてしまった 」 ・・清原手記
と、伝えている。
栗原安秀は
「 そもそも今回の裁判たるその惨酷にして悲惨なる昭和の大獄にあらずや。
余輩青年将校を拉致し来り これを裁くや、
ロクロク発言をなさしめず、予審の全く誘導的にして策略的なる
何故にかくまでなさんと欲するか。
公判に至りては僅々一カ月にして終り  その断ずるところ酷なり。
政策的の判決たる真に厳然たるものあり。
既に獄内に禁錮し外界と遮断す、何故に然るや 」
と 遺書している。
安藤輝三は
「 公判は非公開、弁護人もなく ( 証人の喚問は全部脚下せられたり )
発言の機会等も全く拘束され、裁判にあらず捕虜の訊問なり。
かかる無茶な公判なきことは知る人の等しく怒る所なり 」
と、鋭く裁判の不当を衝いている。
このような、将校たちの裁判へのいかりは、おしなべて、その遺書につづられているが、
しかし、その中に一貫して流れるものは
この裁判が初めから極刑という既定の方針をもって臨み、
これに都合のよいように、予審から公判まで誘導したものだとしていることである
村中孝次は、
「 渋川氏は一として謀議したる事実なきに謀議せるものとして死刑せられ、
水上氏は湯河原部隊にありて部隊の指揮をとりしことなく、
河野大尉が受傷後も最後まで指揮を全うせるに拘らず、
河野大尉受傷後 水上氏が指揮をとりたりとて死刑に処したり、
噫、昭和現代における暗黒裁判の状かくの如し、これを聖代とてうべきか--」 ・・続丹心録
と、この裁判がことさらに極刑にするために事実を歪曲した点を指摘し、
磯部浅一は、
「 新井法務官が七月一一日安田優君に
北、西田は二月事件に直接関係はないのだが、
軍は既定の方針にしたがって両人を殺してしまうのだ
と いうことを申しました。
軍部が彼等の自我を通さんがために、ムリヤリに理窟をつけて、陛下の赤子を殺すのです。
出鱈目とも 無茶ともいう言葉がありません。
軍の既定方針とは何でありましょうか 」 ・・獄中手記
と 訴えている。
すなわち、軍、とくにその幕僚は
すでに全員の死刑を方針として、初めから臨んでいたので、
ただ、裁判は これに理由をつけるためのもの、
しかも 死刑にするためには事実まで曲げているのだというのだ。
しかも、このような軍幕僚の策動は、至るところにあったとして、
磯部はこんな事例まで挙げている。
「 大蔵大尉以下数名の同志は不起訴になることにきまっていて、
前日夕方迄は出所の準備をしていたのですが、
陸軍省の幕僚が横車を押してムリヤリに起訴してしまいました 」 ・・獄中手記
幕僚の策動といえば、
のちの真崎ケースでもその疑いがあるように、
真崎大将はその遺書 「 暗黒裁判 」 に 述べている。
「 十二月二十七日には看守長 加藤髙次郎君が私の室に来り、
『 検察官より釈放の命令がありましたから、只今物品の整理中です 』
と 内報してくれた。
他に二、三の看守も同様のことを洩らしてくれたので、私は大いに待ったのだが、
結局、いつまで待っても何とも申して来らず お流れになった。
後で聞けば 陸軍大臣より電話にて停止命令が来たそうである。
しかして公訴提起となった 」

軍がこの事件に臨んだ態度は、初めから峻厳であった。
したがって東京軍法会議が厳罰方針を堅持しておったことは事実であるし、
また、この公判には常に陸軍省の圧力がかかっていたことも蔽えない。
裁判官はその良心に従って判決するというけれども、
陸軍大臣を長官としたこの軍法会議では、陸軍省法務局はその補佐機関であり
これに軍務局 とくに軍事課、兵務課あたりの発言も力強く作用したことである。
そこでは初めから死刑を既定の方針としたことは、その確証のないかぎり、
にわかに断定することはできないにしても、軍が厳罰方針を確立していたこと、
また 軍法会議が中央の方針に忠実であったことは、間違いのないことである。

次頁 暗黒裁判 (四) 「 裁判は捕虜の訊問 」  に 続く
大谷敬二郎著 二・二六事件の謎 裁判へのいかり  から